世界の平和とバッドエンド
街では帳が降ろされ始める頃、薄暗い、不気味な静けさに包まれた森の中、僕達は最後の休息をとっていた。
「あ~あ、明日は敵の根城に侵入だってのに、なんで俺達はこんな真っ暗な中、干し肉なんて食ってんだよ。もっと火をつけて豪勢に行こうぜ。」
「それじゃあ魔王に僕達のことがばれちゃうだろ。御馳走は全部終わってからだ。あと声が大きい。報告されでもしたら事だ。」
「全く用心深い勇者様だな!心配しなくても周りには何もいねぇって!今からそんなんじゃ明日に響くぜ。」
確かに少し気を張りすぎているのかもしれない。しかしもう魔王の城は目と鼻の先なのだ。ここまで来てしくじることは出来ない。それにしても、奇妙なほどに静かである。もう少し魔物の息遣いや鳥の羽音、命の音が聞こえてきても良いと思うのだが。
「貴方が不用心すぎるのよイグニス。」
「あぁ?いたのかアヤ。」
「いるに決まってるじゃない。リン、もう少しね。」
アヤは微笑みながら僕の名を呼んで言う。その微笑みは、どことなく緊張しているように見える。彼女も不安なのだ。相手は魔王だ。今までの相手とは訳が違う、当然だ。うん。と僕も笑いながら、彼女に返事をする。不安を取り除いてあげられるように。僕の緊張が彼女に伝わらないように。
「今まで三人で旅をしてきた。帰るときも三人一緒だ。」
「そうね。」
「はっ!当たり前だ!ここまで来て死んでたまるかよ!」
今日はもう休もう。そういうとみんなはそれぞれ横になった。僕が最初、アヤが次、最後にはイグニスが見張りをする。何時も通りに、何も言わなくても伝わる。
「じゃあ先に寝るね。」「先に休ませてもらうぞ。」うん。
ついにここまで来たのだ。一人になって、僕は今までの事を思い出す。初めて倒した魔物。初めて倒した魔族。ゾンビの王に吸血鬼。何時も三人で乗り越えてきた。そして今までの戦いを一通り反芻した後、僕達の村のことを思い出す。かけっこした事。喧嘩した事。そして、大人に内緒で山菜を取りに行き、イグニスの母さんに怒られたこと。穏やかだった日々。帰ろう。全て終わったら。
「交代よ。」
考え事をしている間に、交代の時間がやって来た。しかし、もうずいぶんと遅い頃だと言うのに、不思議と眠くならない。緊張だろうか。情けない。休まなければ動きは鈍る。取り敢えず横になろうとした時、アヤが話しかけてきた。
「ねぇ、少しだけ、付き合ってもらっても、良いかな…。」
構わない、と僕は答える。
「いよいよ明日で最後だね。」
そうだねと僕は答える。
「勝っても負けても最後だね。ねぇ私たち、生きて帰れるよね…。」
アヤの声は震えていた。僕は答える。
「五年前、僕が勇者にされた時さ、それでもずっと一緒だって言ってくれたよね。嬉しかった。修行の為に王都の学校に通うことになって、何が一緒だって思ったけど、君が編入してきて。今じゃ国一番の魔法使いだ。」
あの時は驚いたと僕は笑う。大変だったんだからと彼女が笑う。
「僕が旅に出るために中退したときは、君も学校を辞めてついてきてくれて。あの時は学校中が大騒ぎになった。」
「そして旅をして、初めて立ち寄った街で、冒険者になったイグニスに再会したわ。」
「どれだけ深い縁で、僕たちは結ばれているんだと思ったね。」
彼女は笑った。声も震えていない。
「大丈夫。この縁は魔王には切れないよ。僕を勇者にした神様にだって切れなかったんだ。生きて、これからもみんな一緒だよ。」
そうね。と彼女は笑った。
「ごめんね。付き合わせちゃって。もう大丈夫。リンは体を休めて。」
「情けない話、僕も緊張して眠れそうになかったんだ。ちょうど良かったよ。これで良く眠れそうだ。」
そう言うと僕は眠った。
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僕は今、僕達が育った村にいる。魔王を倒して帰ってきたのか。久しぶりだ。懐かしい。一人一人と言葉を交わす。みんな僕が出ていった時のままだ。母さん、母さんは何処だろう。
「おい。おい起きろ!朝だ!」
イグニスの声で目覚める。夢を見ていたようだ。どおりでみんな五年前の姿だった訳だと僕は振り返る。
「おはよう。イグニス、アヤ。支度を整えたら出発だ。」
「いきなりかよ。起きたばっかで大丈夫か。」
「起きたばかりだからだよ。相手が寝ぼけてる間に倒そう。」
大丈夫かよ、という呟きが聞こえたが、僕達は出発する。この場所に長居する意味はないし、一般的に魔族というのは夜に本領を発揮するものだ。魔王だって例外ではないはず。早いうちにたどり着いた方が良い。持久戦になって、夜にまで縺れ込むことになったら、間違いなく僕らは死ぬ。急ぎながらも慎重に、敵の本拠に向かう。日が昇り切る前に僕たちは目的の場所へとたどり着いた。
「ここが魔王城か。手薄だな。警戒もクソもないぜ。」
おかしい。僕達は何者にも出会っていない。森に入ってからずっと。どういうことだ。
「罠がありそうだ。慎重に行こう。」
「へぇへぇ。慎重に慎重に。」
何事もなく入れてしまった。城の中は整っていて、綺麗で、どこか厳粛な雰囲気がする。しかしどういう事だ。生活感がない。人の気配がしない。
「なんだこりゃ。偽の情報でも掴まされたか。」
「とにかく部屋を一つ一つ見ていこう。慎重に。」
僕たちは一つ一つ部屋を確認する。誰もいない。何もない。いや厳密にいえば物はある。だが最近になって使われた形跡がない。玉座にも誰も座していた様子はない。次で最後の部屋になる。日は昇りきった。というよりも少し傾いてきてしまった。
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「ここで最後。これは本当に偽物かもしれないな。」
そう言いながら扉を開ける。後ろでイグニスとアヤが息を飲んだのを感じた。僕も飲む。
「なんだ、ここ。」
何もない。何もない部屋である。簡素な装飾品と少し広いだけの。ただ魔王城における悍ましさが、まるでここ一室に押し詰められているかのような、悪寒がする。
「とにかく、調べてみよう。慎重に。なるべく離れないで。」
部屋に入って。何かあったらすぐに詰められる距離を保ちながら、僕たちは、部屋の中を調べる。
「何もないみたいだね。」
「そうだな。」
「そうね。…っ!?」
「アヤ!?」
何もない。そう思って引き返そうとした途端、アヤの足元が輝きだした。魔方陣だ。僕はすぐに距離を詰めて。彼女を引っ張りだそうとする。しかし伸ばした手は魔方陣に込められた力により弾かれてしまう。
「良くぞここまでたどり着いた。」
聞いたことのない声が部屋の奥から聞こえる。部屋の奥にもう一つ、魔方陣が発現していた。その上には黒い霧状のものが浮かんでいる。
「此処まで来てくれた礼として、遊んでやろうと思っていたが、実をいうとまだ不完全でな。皆で隠れていた訳だが、良い物を手に入れることができた。この女の体を使えば今すぐに復活できそうだ。」
「私を、どうする、つもり。」
「簡単な話だ。儂が中に入って、その体を貰い受ける。この体ならば、儂の厖大な魔力にも、…なんとか耐えられるだろう。」
「やめろ!!」
僕がそう言うが早いか、魔方陣はいっそう輝きを強めた。
「ふむ。成功したようだな。では相手をしようか。勇者様よ。」
「アヤ?」
弱くなった光の中から、アヤの声がする。アヤとなった魔王の。魔王となったアヤの。
「最初からこれが狙いだったのか。」
「あわよくば、と言ったところか。本来は、今回相手をするつもりなどなかった。」
と言ってアヤ、魔王が指を鳴らすと、辺りは魔物で覆いつくされた。
「もっとも今も直接相手取るつもりはないがな。皆で隠れていたと言ったろう。」
「クソっ!」
「多すぎんだろ!!」
僕とイグニスは魔物を切る。ひたすら切る。一匹残らず。
「ほぅ。しかし日が落ちてきてしまったな。残念だったなぁ。」
彼女は笑う。昨日見た。優しい微笑ではない。それは残忍で、冷酷で、壊れた魔王の微笑であった。彼女が今一度指を鳴らすと。イグニスの体が後方へと弾かれたように飛んでいった。
「かはっ!」
「イグニス!!大丈夫か!」
ほら他所見している場合ではないぞと、彼女は僕に向けて指を鳴らす。僕は捕まらないよう、必死で逃げ回る。周囲が弾けて、足が止まる。
「ほらもう逃げ場はないぞ。」
気がつくと周りは、魔法で弾かれた瓦礫が散らばり、下手に動いたら足が取られてしまいそうな、惨状だった。絶体絶命だ。
「あっけないものだな。」
彼女が僕を見据え、指を鳴らそうとする。僕は反射的に目を瞑り、直撃を覚悟する。しかし、来るはずの衝撃は何時まで経てども感じない。痛覚を無視し、素通りするほどの威力で、僕は消し飛ばされたのだろうか。その割には、体の感覚がはっきりと存在している。目を閉ざしている筋肉の強張りもある。僕は恐る恐る、といっても緩慢ではなく、俊敏な動作で目を開けた。魔王は彼女の手のひらを怪訝な顔で眺めている。彼女の指がもう一度僕に向けられる。僕は彼女の一挙一動を見逃さぬよう目を見開き、剣を構える。さっきと違って。
「何故だ。おかしい。魔力が届かない。何をした。」
彼女の指が鳴る。しかし何も起こらない。頭の中に彼女の優しい声が響く。
「私が、抑えている、間に、殺して。私は、大丈夫だから。」
僕は彼女に肉薄する。接近戦に持ち込み、力の限り剣を振るう。何が大丈夫なのだと思いながら。
「舐めるな。魔法が使えなくとも、貴様を倒す分には問題ない。」
魔王は、彼女の体には少々重たそうな、壁に掛けられたあった長剣で応戦する。一進一退の攻防が続く。
「くっ。」
彼女の顔が険しくなる。直接的な力のぶつけ合いでは、僕に分があった。少しずつ、魔王を追い詰めていく。あと一太刀というところで魔王が囁く。
「いいのか。儂を切るということは、当然この体を切るという事。間違いなくこの女も死ぬぞ。」
僕の剣が止まる。腹部を蹴られ、僕は吹き飛ぶ。
「なるほど。良い武器だとは思っていたが、思いのほか最高の盾でもあったようだな。」
彼女の顔に余裕の色が戻る。先程とは一転して、防戦一方となる。魔王の斬撃を捌きながら、アヤを助ける方法を考える。また声が聞こえる。
「私のことは良いいから。早く!抑えきれない!」
彼女の体が淡く、禍々しく光り始める。
「どのように儂の魔力を封じていたのか知らんが、それもどうやら限界のようだな。見ろ。」
魔王はそう言うと彼女の手を激しく光らせた。イグニスが呻き声を漏らしながら起き上り、僕の方へ近づいてくる。
「わりぃ。少し寝ちまってた。もう大丈夫だ。」
大丈夫な訳がない。派手に吹き飛ばされて、意識も飛ばされたのだ、その上直撃した壁は衝撃で崩れかけている。骨の一本や二本砕けていても不思議ではない。僕達の中で唯一の魔法使いで、回復魔法も使えるアヤの体が取られた今、戦闘中に怪我が治ることはない。イグニスが僕に話しかける。
「なぁ、あの光、やべぇよな。城ごと壊しかねぇ。」
確かに彼女の掌からは、先程までとは段違いの、濃密な魔力を感じる。
「逆に言えばよ、あの攻撃を防げば、多少なりとも隙ができるんじゃねぇか。」
確かにそうかもしれない、次の一撃を凌げれば、少なくとも同じ規模の魔法を連発はできないはずだ。
「確かにそうかもしれないけど、何か考えがあるのか。」
「俺が盾になって、あの一撃を抑える。お前はその隙を突け。」
「なっ。ダメだ!そんなことをしたら間違いなくお前は死ぬ!一緒に帰るんだ!アヤも助けて!」
彼は決意を込めた瞳で前を見据える。相手は待ってくれないようだと笑いながら、向けられた手のひらに立ち向かおうとする。彼女の掌から必殺の一撃が放たれようとした時、僕は彼の手を引き、後ろに下がらせる。
「なっ。馬鹿野郎っ!」
後ろから僕を罵る声が聞こえる。僕は少しだけ笑う。僕は思い出す。今までの事を、走馬灯のように。その中で、僕だけが使える魔法の事を思い出す。魔法使いではない僕が、勇者である僕だけが使える魔法の事を。僕は旅立ちの日、王様から貰った剣を構える。光が弾けた。
「なんだ…。」
彼女は怪訝な顔をして無傷の僕を見つめる。僕はゆっくりと彼女に歩み寄る。
「すげぇ。」
イグニスが呟く。魔法はもう始まっている。時間はもうない。
「馬鹿…。」
アヤだ。アヤは今から僕が行う魔法の正体を知っている。僕がもう村へ帰れないことも知っている。僕と彼女は魔力でできた檻に囲まれた。僕以外の表情が強張る。どういうことだと二人が問いかけてくる。
「封印魔法だ。僕だけが、勇者だけが使える奥の手。今から僕の魔力で君を封じる。」
「じゃあ何故お前まで檻の中にいる。」
「封印魔法は勇者の魔力が切れるまで解けない。勇者の魔力は死ぬまで尽きない。つまり僕ごと封印すれば、二度と解けることはない。死ぬわけじゃないから。僕たちはずっと一緒だ。」
僕は笑った。僕を非難するアヤの声が聞こえてきそうだった。
「ふざけるな!」
イグニスの怒号が響く。
「俺は!俺はどうすんだよ!俺も連れてけ!約束は三人一緒にだ!」
まるでこの世の終わりかのように彼は叫ぶ。唯一無事に帰れるというのに。僕は申し訳ない気持ちになる。僕たちは足元から少しずつ固められていく。
「先に約束を破ろうとしたのはそっちだろう。お互い様だ。それに約束は三人一緒に帰ることだ。3人一緒に封印されることじゃない。」
「納得できるか!」
完全に固まるまで僕たちは言葉を交わす。
「ごめんな。でも誰かが、魔王の事を、僕達の事を伝えなければならない。イグニス、頼む。それに封印されるだけだ。死ぬわけじゃない。いつか魔王だけを残して、約束を守りに行くよ。」
僕は笑いながら、語り掛ける。彼はまだ納得行かない様子で、檻に剣を叩きつけている。どうしたものかと僕は考える。すると沈黙を守っていた魔王が話しかけてきた。毒気が抜けたような、諦めたかのような顔で。
「見事な魔法だ。これが勇者の秘技というやつか。先程から解除を試みているのだが。どうもこれは無理のようだ。見事だ。」
彼女は呆れたように笑った。僕も笑った。ついに僕たちは口まで固まった。もう声は出ない。耳も固まった。もう直接声は聞こえない。
「馬鹿ね。イグニス泣いてたわよ。」
「それは見たかったな。」
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勇者一行が魔王城に乗り込んで暫くした後、人間の城に一つ報告が上がって来た。勇者は、魔王を自らの体と共に封印し、今もまだ戦っていると。報告をした戦士は、仲間を助ける方法を探すと言い、また旅に出た。世界は平和となり、魔族の脅威はなくなった。王都では大々的に祭典が行われた。どこか怯えていた人々の顔からも緊張が消え、いつの間にか笑顔が増えた。
それから幾年の時が過ぎただろう。王都の広場には英雄を湛える石碑がある。死してなお人々を守る、気高き存在として祀られている。良く見ると名前の彫られている場所には、不自然な空白が開けられている。そこに勇者の名は未だ彫られていない。