あなたの魂買います
あれは今年の一月だったか…
潰れかけたビルの入り口に、奇妙な看板をみつけた。
『あなたの魂買います。』
新年会で酔っていたのも手伝って、何気なく入ってみたのが事の始まりだった。
薄暗い廊下を歩くと、受付に20代後半の女性がいた。かなりのプロなのか、その笑顔には不自然な所はなく、私は吸い込まれるように彼女の方へと歩いていった。
「いらっしゃいませ。おまちしておりました」
予約していたわけでもないのに‘おまちしておりました’と、まるで私が来るのを知っていたかのような態度が印象的だった。
「では、お部屋へご案内いたします。こちらへどうぞ」
巧みな誘導にただ流されて、西洋風のドアの前で立ち止まった。
「こちらになります」
その部屋は8畳ぐらいで、麻のじゅうたんが敷かれてあり、その上にベッドがあるだけのシンプルな作りだが、ラベンダーとカモミールの混ざったような甘い香りがほのかに漂い、落ち着ける雰囲気だった。
入るなり中に居た20代前半ぐらいの見たこともないぐらい美女が、私の手を掴みベッドへ寝かす。
仰向けの体を撫でるように美女が全身を這う。次第に興奮する私の唇を奪うと、その綺麗な細い手でそっと目を閉じさせる。
瞼の向こうでおきている美女の誘惑に体はほてり、時間とともに静まり、いつしか私は眠っていた。
ふと目をさますと私は裸だった。私の横で美女も裸でこちらを向きニッコリとしていた。
何があったのかもわからぬまま服を着ると
「おつかれさまでした。素敵だったわあなた。またいらして下さい。」
裸の私が裸の美女の隣に寝ていた。 あの空白の時間、何がおこったのだろうか。
先程の受付で2万円を支払った。
酔いは完全にさめて、長い睡眠からさめたようなスッキリした感覚。ただ謎は深まるばかり
来る日も来る日もあの空白の時間を考えた。 でも彼女の笑顔だけが邪魔をする。
またあの店に行こうと思ったのは、1週間後だった。
受付の慣れた自然な笑顔。妙に落ち着く部屋。美女。そして深い眠りにつく。また目覚める。全て同じ。
会計は4万だった。
それから1ヶ月、1度も他の事を考えられなかった。またあの店に足を運んでみた。
が、そこに看板はなかった。ビルも取り壊されていて、空き地があっただけだった。
それでも街を歩けば通りすぎる女性を彼女と重ね、妄想にふけっては罪悪感を覚え。 もう忘れようと山にこもった。
森の妖精の夢を見ては彼女と重ね語りかけて…
落ち葉の上に寝そべっては、彼女を想い…
気が付くと鬱病になっていた。
木に頭を打ち付け、血だらけになっては、我に返り…
枝を折って体をいたぶっては、我に返り…
私は美女に魂を抜かれた。誰も足を踏み入れる事の無い山奥で、何も考えずさまよい。ボロボロになりながら虫を摘み、虫に摘まれ、それでも立ち上がるゾンビ。
私は美女に魂を抜かれた、哀れなゾンビ。
虫を摘み、虫に摘まれる哀れなゾンビ。
私は美女に魂を売った、哀れなゾンビ。
我を傷つけ、我に返る、哀れなゾンビ。
あなたの街に『あなたの魂買います』という看板はありませんか?
それは天国模様の地獄の入り口かもしれませんよ。
ゾンビより