第九話 剣の記憶
ルクシオンの国境には砦がある。
普段から警備兵が常駐し、一般人は近づくことすら許されない。
結界の綻びは、気配でおおよその見当がついていた。
夜。
警備がわずかに緩む時間帯を選び、アウレリアは気配を消して風上に立つ。
懐から取り出したのは、小さな白い花。
星睡花。
炊けば、落ち着いた香りが風下へと流れる。
白い煙がゆるやかに砦を包み込んだ。
星睡花の香りは、徐々に心拍を落とし、深い眠りへ誘う。
害はない。うたた寝のようなものだ。
目覚めても、何が起こったかは分からない。
物音が消えたのを確認して、アウレリアはそっと歩を進める。
「悪いわね」
眠りに落ちた兵士たちの横を通り過ぎ、結界へと近づく。
綻びから、微かな揺らぎが波紋のように広がっていた。
——十年前と、似ている。
だが、原因はわからない。
アウレリアは握っていた手を開く。
そこには、星を象った髪留め。
今は亡き両親からの贈り物だった。
失くすまで肌身離さず身につけていた。
だからだろう。
そこには、彼女の純度の高い魔力が宿っている。
慣れ親しんだ魔力に呼応するように、欠けた星が淡く光を帯びた。
こんな形で使うことになるなんて。
視線を落とす。
星睡花の効力は長くは続かない。
白煙が薄れ、兵士たちが身じろぎを始めている。
「乱れた魔力を還し、失われた均衡を取り戻せ。
結界よ、閉じよ」
指先から淡い光が広がる。
糸のように細い魔力が、綻びを縫い合わせていく。
その瞬間。
——懐かしい。
結界に触れた感触が、胸をざわめかせた。
私は、この魔力を知っている。
漆黒と青の鱗。
……何かが、見えた気がした。
眩暈が走る。
髪留めの魔力を使ったとはいえ、少し消耗したらしい。
揺らぎは消え、結界は静かに整っていく。
「ありがとう」
魔力の欠片も残っていない髪留めに小さく礼を言い、懐へ戻す。
きれいに直して、ルーカスに返さなければ。
目的は果たした。
すぐに離れなければ——
その時。
静寂を裂く、衣擦れの音。
アウレリアは息を呑む。
影が風のように疾走し、剣の切先が鼻先をかすめた。
星睡花の効力が切れた?
——いや、違う。
拝借した兵士の剣を構える。
今夜は月が隠れている。
覆面もしている。顔は見えないはず。
だが。
敵意のない剣ではない。
迷いのない、排除の剣。
弧を描いて振り下ろされる。
——キンッ
鋭い金属音が夜に響いた。
受け止めた瞬間、剣を伝って伝わる微かな揺らぎ。
動揺。
剣身が離れる。
アウレリアもまた、気づいていた。
アルフェン剣術。
洗練された、無駄のない軌道。
アルフェン公爵レオニスでさえ完全には体得していない型。
——それはかつての弟子の剣だった。




