第六話 名もなき再会
アルフェン家の屋敷は、十年前と変わらぬ姿で佇んでいた。
国と王家を守護する名門。その威光を示すかのように、広大な庭園と白亜の館が朝の光を受けている。
フィリオに促され、アウレリアは馬車を降りた。
庭も屋敷も、何も変わっていないはずなのに――
あの頃より空気は冷たく、門はひどく大きく感じられる。
指先が、わずかに震えた。
けれど、決めたのだ。
どんなことをしても、カイルを救うと。
意を決し、屋敷へと足を踏み入れる。
「レオニス様、アメリア様をお連れいたしました」
「ああ、通してくれ」
聞き慣れた声。
焦りと、わずかな疲労を滲ませている。
客間の扉が開く。
「失礼いたします」
顔を伏せたまま、奥へ進む。
後退りしたくなる衝動を押し殺す。
背後で扉が閉まる音がして、逃げ道は消えた。
「アルフェン公爵様、アメリア・ルシアと申します」
声は、震えていない。
自然な所作で裾を持ち上げ、片足を引き、膝を折る。
「顔を上げてくれ」
「恐れ入ります」
小さく息を吐き、ゆっくりと顔を上げる。
蒼い瞳が、まっすぐにこちらを見つめていた。
金色の髪は記憶のままだ。
だが、わずかに刻まれた皺と疲労の色が、十年という歳月を物語っている。
身だしなみに厳しかった兄の髪が、心なしか乱れていた。
息子の容態を思えば、無理もない。
「よく来てくれた」
「いいえ、公爵様のお言いつけとあらば当然でございます」
「ああ、感謝する。本来ならもてなすべきだが……」
「構いません。カイル様の容態を拝見させていただけますか」
「ああ。頼む。案内しよう」
礼をして背を向ける。
「ああ、アメリア嬢」
呼び止められ、足を止める。
兄に呼ばれた名が“アメリア”とは、皮肉なものだ。
「どうかいたしましたか?」
レオニスは何か言いかけ、視線を彷徨わせる。
ほんの一瞬。
確かめるような、迷うような――
だが、やがて首を振った。
「……いや。息子を頼む」
「はい。全力を尽くします」
背に視線を感じたが、気づかないふりをした。
カイルの部屋は、重苦しい空気に満ちていた。
「アルフェン公爵夫人様、アメリア・ルシアです」
挨拶すると、ベッド脇で手を握っていた女性が顔を上げる。
優しい栗色の髪は乱れ、琥珀色の瞳は赤く潤んでいる。
幾度も涙を堪えてきたのだろう。
「アメリア嬢ね。話は聞いているわ。早くカイルを見てあげて」
「失礼いたします」
小さな体は呼吸のたびに苦しげに上下している。
額に張りついた金の前髪。固く閉ざされた瞼。
けれど、汗をかいている。
体は必死に熱と戦っている証だ。
「息子はどうなの……? 昨夜はあなたの薬で熱が下がったのよ。スープも飲めたの。それなのに……私が代われたら……」
張り詰めていた糸が切れたように、侯爵夫人は言葉をこぼす。
三日三晩、眠らずに看病してきたのだろう。
「セレナ様」
その名を呼ぶと、彼女ははっと息を呑んだ。
そっと手を握る。
「大丈夫です。必ず良くなります」
その声は、かつてと同じ響きを帯びていた。
一瞬だけ。
セレナの瞳が揺れる。
懐かしいものを探すように。
だが――
気づかない。
「……そうね。信じなくては、ね」
涙が零れる。
かつて同じ未来を語り合った友だとは、
彼女は夢にも思っていない。
兄も。
義姉も。
目の前にいるのが、失われた名その人だとは。
これは再会ではない。
名を失った者と、
名を呼ばぬ者との――
静かな、十年ぶりの邂逅だった。




