第五話 扉の向こうへ
朝陽がカーテンの隙間から差し込む。
小鳥の囀りが、夜明けを告げていた。
結局、ほとんど眠れなかった。
アウレリアは気だるい体をゆっくりと起こす。
カイルは、どうなっただろう。
昨日の出来事が脳裏に浮かぶ。
セリーヌがアルフェン家へ向かったあと、ミロが元気な姿を見せてくれたのだ。
「アメリアお姉ちゃん、いつものクッキーちょうだい」
「お菓子を食べられるくらい元気になったのね。良かったわ」
「アメリアお姉ちゃんは命の恩人だってママが言ってた。ありがとう」
熱に浮かされ、生死の境をさまよっていたとは思えない笑顔だった。
ミロの頭を撫でたとき、どうしても甥の姿が重なった。
カイルは、あの子と同じ年頃だ。
大丈夫。
同じ病なら、あの薬で熱は下がるはず。
それでも、胸騒ぎが消えない。
身支度を整え、昨夜の残りのスープを温める。
空腹のはずなのに、食欲はほとんどない。
温かなスープが冷えた体に染み渡った、そのとき。
壁に立て掛けてあるステラ・ノクティスが、微かに震えた気がした。
思わず視線を向ける。
剣身は錆びついたまま。
あの星祭りの夜から、時は止まっている。
気のせいだ、と自分に言い聞かせた瞬間――
控えめなノック音が響いた。
セリーヌだろうか。
扉を開けると、そこには深緑の仕立て服を纏った青年が立っていた。
栗色のくせ毛が、朝日に柔らかく光る。
その瞳に、かすかな既視感が走る。
「……フィリオ」
思わず口をついて出た名に、青年は目を瞬かせた。
「あ、失礼いたしました。私はアルフェン家に仕える者。アメリア・ルシア様でいらっしゃいますか」
懐かしい響き。
だが彼の瞳に、気づきはない。
「そうですが……カイル様に何か?」
「一度は熱が下がったのですが、今朝また上がってしまいまして。ご当主様が、ぜひもう一度お力をお借りしたいと」
一瞬、言葉を失う。
アルフェン家。
自ら遠ざけた場所。
兄は――
私が生きていることを知らない。
けれど今の姿では、きっと気づかれない。
それでいい。
名乗るつもりはない。
胸の奥が、わずかに疼く。
家族に会えるかもしれない。
だがそれは、望んではいけないことだ。
私はもう、英雄アウレリアではない。
それでも。
甥が苦しんでいる。
それだけで十分だった。
「わかりました。準備をいたしますので、少しお待ちください」
青年は安堵したように微笑む。
「ありがとうございます。外でお待ちしております」
扉が閉まる。
鞄に薬草と器具を詰めながら、十年前の光景が脳裏をよぎる。
守るために剣を握り、
守るために名を捨てた。
それがアルフェンの責務だった。
弱さを見せる暇などなかった。
ふと、金の瞳が脳裏をよぎる。
星祭りの夜。
視線が絡んだ、あの一瞬。
……立派になった。
もう、私が守らなくてもいいほどに。
小さく息を吐く。
今は考えるべきことではない。
鞄を閉じる。
店内を見渡す。
ここが、私の居場所。
過去のためではない。
名のためでもない。
甥の命のために。
それだけで、十分だ。
アウレリアは振り返らず、扉を開けた。




