第四話 木漏れ日の決意
「アメリアちゃん、おはよう」
「あら、エレナおばあちゃん。いらっしゃい。この間の薬、どうだった?」
「それがねぇ、あの薬のお陰でね。医者に通っても治らなかった関節の痛みが、嘘みたいに引いたんだよ。ほら、今日は杖なしで来られた」
「本当? それは良かったわ。完治は難しいかもしれないけれど、薬湯を続ければ症状は和らぐはず。無理はしないでね」
「もちろんさ。今日はあのハーブティももらえるかい? あれを飲むと身体が軽くなるんだよ」
「ありがとう。すぐ淹れるわ。座って待っていて」
アメリア・ルシア。
それが今のアウレリアの名だ。
『木漏れ日』の若き店主。
小さな店だが、よく効く薬草と素朴な料理が評判を呼び、いつの間にか常連客も増えていた。
忙しい。
だが、この忙しさは嫌いではない。
「木漏れ日をもっと街中で開く予定はないの?」
特製スープと焼きたてのパンを頬張りながら、常連のアレンが言う。
「もっと客が入るだろうし、俺も頻繁に来られるのに」
「ここにあるからいいんだよ。隠れ家みたいでね」
エレナが「馬鹿だねぇ」と笑う。
「行列ができたら、あたしらが気軽に来れなくなるだろう?」
アレンも「それもそうか」と頷いた。
幸せだ、とアウレリアは思う。
薬草を選び、湯を沸かし、誰かの体調を案じる。
戦うのではなく、守るでもなく。
ただ、暮らす。
こんな時間を、私は知らなかった。
けれど。
――私だけが、こんなにも穏やかでいていいのだろうか。
その思考を打ち消すように、扉のベルが鳴った。
勢いよく飛び込んできたのは、商人のセリーナだった。
「アメリアちゃん、ごめん、水を一杯もらえる?」
「どうしたの? そんなに慌てて」
水を一気に飲み干し、ようやく息を整える。
「それがね……アルフェン公爵家のことなんだけど」
胸が、止まる。
「ご子息が三日も高熱でね。医者も匙を投げたらしいの」
「……カイル様が?」
十年前。
兄レオニスは当主となり、やがて子を授かった。
一度だけ、遠くからその姿を見たことがある。
小さな手。
兄に似た瞳。
抱きしめたい衝動を、必死に押し留めた。
死者が、姿を見せるわけにはいかない。
「公爵様は商人たちに良い薬はないかとお尋ねでね。藁にも縋る思いよ。ほら、この間ミロが熱を出した時すぐに良くなったでしょう?アメリアちゃんの薬が効くかもしれないって、思い出したの」
流行り病なら、効果はある。
だが、保証はない。
「私の薬で良ければ、すぐに用意するわ」
「本当に? 助かるわ。アルフェン家は英雄の家だもの。何かあったら、ルクシオンの一大事よ」
英雄。
その言葉が、喉を締めつける。
称えられているはずなのに、息が詰まる。
――私は生きている。
それなのに。
まだ“死んだまま”なのは、私の方だ。
裏の調薬室へ急ぐ。
棚に並ぶ薬草。
ミロに効いた解熱の配合を思い出しながら、慎重に量る。
魔術で病を消すことはできない。
できるのは、薬効をほんの少し後押しするだけ。
指先に、少しだけ取り戻した魔力を込める。
ばれない程度に。
気づかれない程度に。
それでも。
どうか。
どうか助かって。
小瓶に移し、セリーナへ渡す。
「これを、すぐに」
「ありがとう。きっと公爵様もお喜びになるわ」
ベルが鳴り、扉が閉まる。
静寂。
アウレリアはその場に立ち尽くした。
指先が、震えている。
これはただの薬。
流行り病なら効くはずだ。
それでも。
胸の奥が、静かに騒ぐ。
私は、もう英雄ではない。
だが――
家族が苦しんでいるのに、何もしないでいられるの?
小さく、息を吸う。
覚悟が、ゆっくりと形になる。
「……待っていて、カイル」
その声はかすれていた。
ただの薬師としてではなく。
ただの他人としてでもなく。
それでも、できることをする。
たとえ名乗れなくても。
それが今の、私の決意。




