第十話 呼べなかった名
深夜、執務室には二人だけ。
国王、エドガルド・ルクシオン・レイヴァルトの紫色の瞳は相変わらず何も映さない、
「ヴァルノクス卿、報告を」
近衛兵隊長リオ・ヴァルノクスは拳を胸に当て、軽く頭を下げる。
「結界に異常はありませんでした」
「侵入者の痕跡は?」
「ありません」
即答。
エドガルドはわずかに間を置いてから、「ならば良い」と続けた。
「引き続き結界周辺の警戒を怠るな」
「はっ」
執務室を辞しながら、リオは静かに息を吐く。
気取られただろうか。
しかし。
嘘はついていない。
結界は閉じていた。
揺らぎも消えていた。
結界周辺の見回りは王命だ。
だが、命がなくとも足は向いていただろう。
十年前、師の命を奪った原因となった結界は、リオにとって因縁の地だった。
例え命がなかったとしても、同じことをしていたはずだ。
昨夜。
砦に近づいた瞬間、いつもと様子が違うことはすぐに感じ取った。
星のような光が一瞬辺りを包み込み、すぐに消える。
人影が見えた気がした。
本能的に走る。
警備兵が居ない。
甘い香りが鼻をつき、咄嗟に鼻と口を覆う。
星睡花の香り……。
侵入者だ。
闇に目が慣れてきた。
相手の体格はそれほど良くない。
捕らえることは可能だろう。
まずは制圧する。
目的は後で聞き出せばいい。
跳躍して剣を振り下ろす。
——キンッ。
先回りした動き。
完全に剣筋を読まれた。
いとも容易く攻撃を防がれる。
剣身同士がぶつかった金属音が静寂に響いた。
——まだまだね。
声が聞こえた気がした。
呼吸。
間合い。
剣の軌道。
何度も叩き込まれた型。
「先……」
動揺から生まれた一瞬の隙を、相手は見逃さなかった。
身を翻して闇に溶ける。
追えたはずだった。
それでも、足が動かなかった。
気配が消える。
しばらくの間、リオはその場に立ち尽くしていた。
死者が戻るはずがない。
そう、分かっている。
それでも——
あの剣を、忘れたことは一度もなかった。




