そろそろ現実を見よっか
スーパーの棚の前で、ため息混じりの声が聞こえた。
「高くなったよなあ」
まるで呪文みたいに、誰かが言う。
私は値札を見る。
確かに安くはない。
でも、それだけだ。
その人は続ける。
昔はいくらだった、
あの頃はもっと買えた、
前はこんな値段じゃなかった。
話はいつも過去形だ。
現在の話をしているはずなのに、
参照しているのは何年も前の記憶ばかり。
私は思う。
その「昔」は、もう存在しない。
失われた楽園みたいに扱われているけれど、
戻れる場所でも、取り戻せる基準でもない。
物価が変わった。
収入も、環境も、価値観も変わった。
それなのに、
値段だけが昔のままであるべきだと信じている。
高い、高い、と繰り返す声は、
実は「理解したくない」という意思表示に聞こえる。
考えたくない。
受け入れたくない。
調整したくない。
だから現実そのものを否定する。
これはおかしい、間違っている、
自分の感覚のほうが正しいのだ、と。
私は、別に楽観的でも前向きでもない。
ただ、今の数字を今の数字として見るだけだ。
高いなら、高いなりに買い方を変える。
無理なら、諦める。
それだけの話だ。
過去の物価にしがみついて、
今を「異常」と呼び続けるのは、
現実と交渉することを放棄しているのと同じだと思う。
いつまでも昔の値段表を握りしめて、
世界のほうが間違っていると言い張る。
それは抵抗でも批評でもなく、
ただの停止だ。
レジに並びながら、私は思う。
現実を見るというのは、
諦めることじゃない。
更新することだ。
それができない人ほど、
声だけは大きくなる。
そして今日も、
「高い」という言葉だけが、
何も変えずに繰り返されていく。




