8.危うきは妖のみにあらず…
「おぉ…前から大きいとは思ってたけど、中は圧巻だね…」
朝日が差し込む吹き抜けの廊下を歩きながら、ほたるは思わず感嘆の声を零す。
転入手続きやら制服採寸やらに追われてあっという間に終わってしまった春休み。
せっかくの登校初日だし、同じクラスに配属された咲桜に色々と教えてもらいながら登校したいと思っていたのだが…どうやら生徒会業務で大忙しのようで、非常に心苦しいという旨のメッセージと謝罪スタンプが大量に送られてきた。
相も変わらず律儀な友人である。
「ふふ、あの時かなり激しく壊したような気がするんだけど…流石は名門校と言ったところかな?ぴかぴかの元通りだね」
「もう、他人事だと思って…その件はしっかり反省してよ?大蛇の姿にはならないって条件で、ハチの同伴がOKされてるんだから…!」
彼女の首にゆるりと巻きついているハチ──もとい八岐大蛇がほたるの訴えにくすりと笑みを零す。
あ、全然反省してないなこの蛇…
人間、妖怪、神様…誰でも大歓迎の安倍学園は例にも漏れず式神の同伴も許可されている。
流石に二度も校舎を大破されることは避けたいのか、学園側からはハチが本来の姿になることは禁止するという条件を提示された。
本人としてもそこは別に気にしていないらしく、むしろ上機嫌に通常の蛇サイズになってほたるの首元に巻きついている次第である。
初めは「おぅ…首に蛇が…」と緊張していたほたるだが、今では違和感なくその絶妙な感触を受け入れてしまっていた。
さすがの適応能力だ。我ながら関心してしまう。
さて、現在時刻は午前8時20分。
先程理事長との軽い挨拶を終えたほたるは、迎えをよこすから好きに散策しておいでという理事長の言葉に甘んじて校舎の西棟を宛もなく歩いていた。
生徒達が主に生活を送っている東棟とは別に、こちらは授業で使用するのであろう実験室や資料室やらが多く並んでいる。
「わ〜お、これは外から見ても分かるよ、すごい数の資料だわ」
「ふふ、せっかくだし中に入ってみればいいのに。特待生としての権利に、それらの自由も含まれていただろう?」
「うーん、でも勝手に入るのは気が引けるし…今回は見るだけって感じかな〜」
”特待生”なんて華ある肩書きを貰ってはいるが、椿ばあちゃんが言っていた通り”要監視対象兼万が一の保険”という意味合いの方がしっくり来る。
確かに施設や食堂、その他諸々を自由に扱える権利を特別に貰ってはいるが、これはあくまでギブアンドテイクの関係と言えるだろう。
ほたるが安倍学園に敵意を向けることがないよう、ご機嫌取りをしておこうという学園上層部の魂胆が見え見えである。
自分としてはこの能力やハチを使ってどうこうしよう、などとは1ミリも考えていないため、一般生徒と同じ扱いで構わないのだが……。
「我ながら警戒されてるなぁ…」
「ふふ、そう言う割には楽しんでるように見えるけど?」
そう言って愉快そうに目を眇めるハチに、ほたるはふふん!と得意げに鼻を鳴らす。
「あったり前じゃん!あの名門安倍学園に全額学費免除で通えるんだよー!?しかも卒業まで食堂メニュー全品無料!なんたる高待遇…!!この有り難き恩恵にあやからずして何が天星ほたるですか!」
クワッ!と目をかっぴらいて前のめりに主張するほたるに、ハチはぶれないねぇと苦笑する。
いくら未来を憂いたところで、自分がこれからここに通うという現実は確定事項なのである。
ならば、己が置かれた環境で得られるものは最大限吸収してやろう、というのがほたるの基本的な行動スタンスなのであった。
ほたるのマイペースさに、ハチもやれやれと呆れた笑みを浮かべている。
…ちなみに理事長こと安倍寿明さんだが、とても気さくで紅茶が似合いそうなThe・イケおじであった。
陰陽師だなんていうからもっと禍々しい雰囲気の人物を想像していたのだが…人は見かけによらないとはどの職種でも同じらしい。
「そういえば…私達目的地とか伝えてないけど、ちゃんとお迎えきてくれるのかな?」
「あぁ、それはほら。君にとっても過保護なあの老狐を想像してくれたら分かりやすいんじゃないかな?君の気配を辿って直ぐに駆けつけてくるだろう?あいつは」
ハチの含みを持った言い回しにほたるは思わずじとりと視線を向ける。
天星家の使用人─百恵さんは、驚くことに1000年以上も生きている九尾だったのである。
ハチと初めて会話した日、会話の途中でさらりと
『あぁ、言い忘れておりましたが、私も平安より天星家と永代を共にする狐の妖怪でございます。』
名を九尾と─なんて言うのだから、口に含んでいた緑茶を思い切り吹き出してしまった。
確かにずっと老けないし、どこで手に入れたの?とツッコミたくなるような知識を多く持っているとは思っていたが…
「百恵さんは百恵さんだよ。妖怪だろうとなんだろうと、ずっと私のお世話をしてくれたお姉ちゃんみたいな存在ってことに変わりはないの」
「ふふ、僕にも同じように接してくれて良いのに」
「あなたはまだ何考えてる分かんないからダメです!」
「これは手厳しい」
口ではそう言いつつも、楽しそうにくすくす笑っているハチに溜め息が零れる。
どうやら自身と百恵の接し方に差があることが気に食わないらしい。
ここ数日間も似たような問答を何度も繰り返したばかりである。
その度に勝ち誇ったような表情―相変わらず目は死んでいるのだが…──を向ける百恵と、笑みを湛えてはいるが殺気を抑えきれていないハチのやり取りは、なんだか年上の兄妹喧嘩を見ているようで正直面白かった。
「百恵さんが妖怪なら、案外優しい妖怪もいっぱいいるのかもね」
優しい百恵の姿が思い浮かび、ふと口から零れた言葉にハチが首肯する。
「うん、現代妖怪は基本的にこちらに友好的だと考えて良いんじゃないかな。君のおばあちゃんの代が、かなり頑張ってくれたみたいだからね。…でも、気を付けて」
─── 危ないのは、妖だけじゃないんだから。
そう言ったハチに、ほたるがどういうことかと口を開こうとした時。
「お、噂の転入生ちゃんはっけーん」
間延びした、妙に艶っぽい男性の声が廊下の少し先からほたるたちへと向けられる。
学園の生徒だろうかとほたるが顔を向けたとき。
──え?
「ふ〜ん。君、ほんとに良い魂の色してんね?随分と高位の神様がお目をかけていらっしゃるようで」
5メールは離れていたであろう距離を瞬きの間に詰めてきた彼は、流れるような身のこなしでほたるを壁際へと追い詰める。
「…へ?あ、あの!?」
「あのデカ蛇を倒したって聞いたからどんな怪物が来ると思えば…ハハッ、とんだ女神様じゃねーかよ!」
「め、女神さま?…あの、ってか近いです!」
身長は人型時のハチと同じくらい…つまり180後半くらいのこれまた随分と整ったお顔立ちの男性に突如迫られており、ほたるは心の中で悲鳴を上げていた。
…恐怖8割。ときめき2割の何とも形容し難い感情である。
青い瞳とそれを少し薄めたような水色の髪をひとつの三つ編みにして背中に流しているその人(?)は、壁に手を付いて品定めするようにほたるをまじまじと見下ろしている。
…見た感じは20代後半の雰囲気だ…どうやら生徒ではないらしい。
やったら誰なんこの人!?教師!?と混乱する脳をそのままに、ほたるはとりあえず口を開いた。
「えっと…?学園の関係者さん…ですか?」
「ん?あーそんなとこ。てか君、意外とこういうの慣れてる?普通俺みたいなイケメンに迫られたら、最低でも腰抜かすぐらいすると思うんだけど…」
「アハハ…まぁ美形に迫られるのは慣れてますかね…」
なるほどかなり自意識がお高めのお方らしい。確かに一般人なら男女問わず顔を赤らめてぶっ倒れてもおかしくない状況かもしれないが、こちとら既に咲桜やら百恵やらハチやら多種多様な美女美男を大いに浴びてしまっている。
今更人間離れした美形が襲ってきたところで驚きはするが頬を染めるぶっ倒れるようなほたるではないのだ。
…だからこそ、今の状況をどうするべきか困惑しているのだが。いっそ今からでも気絶した方が良い気がしてきた。
ほたるの集中がこちらに向いていないことに気付いたのか、男はくくっとさらに笑みを深めて、さも愉快そうに目を弧にする。
「…へぇ?考え事する余裕まであるんだ。…おもしれーじゃん。そのすまし顔、どこまでもつかな?」
「えっ、」
おもむろに頤を上げられ、こちらに近付いてくる端整なかんばせにほたるはギョッと目を剥く。
ちょ、はぁ!?この人、出会って数分の人間にキスするつもりなの!?
ど、どうしよう。殴る?いや、さすがに暴力は…
祝詞…は、ばあちゃんに乱用禁止されてるし…万が一この人(?)ごと払っちゃったら大事だし…
心の中であーでもないこーでもないと打開策を考えていると、ふととある事に気が付いた。
…この、思わず吸い込まれるような、独特な色味を雰囲気を放つ瞳。
間違いない。
目の前の彼は人外である。
ただ、百恵やハチとはどことなく毛色が違うような…
ほたるがぼんやりとそんなことを考えていると、首元から徐にチッ、と不機嫌満載な舌打ちが聞こえてきた。
瞬間──ほたると謎の男性との間にビリビリッ!と白い稲光が無数に走る。
「わっ!?」
「っ…」
男は一瞬驚いた表情を見せたが、数歩距離を開けて再び不敵な笑みを浮かべている。
そうして男が視線を送る先には、ほたるを庇うように人型になって立ちはだかるハチがいた。
「え、ハチ!?」
「......わぁー、これはこれは。厄災の大蛇がまさか人間様を守る日が来るなんて、ねぇ?」
「ふふふ。そうとも、彼女は僕のトクベツでね。君みたいな節操無しに触れさせるつもりは毛頭無いんだよ」
「ハハハ、よく言うぜ!」
対面して早々ニコニコバチバチと見えない火花を散らせる2人に、ほたるはどうしたものかと首を傾ける。
百恵のハチに対する態度と言い、目の前の状況と言い、どうにも彼は他所から買っている恨みが多いように思える。
「節操無しだァ?そりゃあお互い様ってもんだろ!ここでそのぺらっぺらな紳士面剥いでやろうか?」
「ふふ、やれるものならやってみなよ。君程度、人間状態で十分さ」
あれこれヤバくない?とほたるが気付いたころには、既に二人とも戦闘態勢に入っている。
「待って二人とも!一旦落ちつ」
「ご主人様は下がってて?あ、良ければ少しの間目を瞑ってて欲しいな。君の目には極力綺麗なものを映しててもらいたからね」
「おいおいその理論で行くとお前は真っ先にそのかわい子ちゃんの視界から消えるべき存在になっちまうぜ?」
「あぁこれはもう私じゃ止められないヤツだ…」
諦めて理事長でも呼んでこようかと、ほたるが踵を返そうとした時──後ろから馴染みのある、そして恐らくこの修羅場を止められる可能性を持つ彼女の…救世主の声が響いてきた。
「ほたるちゃ〜〜ん!こんなところにいた…!先生がほたるちゃんのこと呼んでくるって教室出ていったっきり全然戻ってこないからどうしたものかと…って、どういう状況なの…?」
群青色の髪をさらさらと靡かせながら小走りで近づいてくる我が心の友─神代咲桜の登場に、思わず彼女に抱き着いた。
…と同時に、彼女の言葉に引っかかりを覚え、そう呼ばれた彼を凝視する。
「…へ?せ、先生?」




