「筆を折る」
>昔、ある小説家が編集者に「今時の若者(実は編集者自身)にはこの表現は分かりませんから書き直してください」と言われ、絶望して筆を折ったという話を聞いて何だかなーと思ったことがあります。
>あ、「筆を折る」って文字通りに筆を壊すという意味ではなくて…
(Xでのとある投稿)
「慣用句が話題のようだな」
「そうですね」
「私は慣用句だの諺だの四字熟語だのが嫌いでね。『虫が好かない』どころか『畏怖嫌厭の念を抱いている』と言っても良いほどだ」
「まあ分かりにくいですしね」
「そう。あれは使用者の思い上がり、知識のひけらかしではないのか!文章はまず分かりやすくあるべきであるのに!」
「『冷嘲熱諷』ですね」
「まあそんなところだ。それで、この文章を見てくれ。分かりにくいところはあるかね?」
「…いえ、特に問題はないと思いますが」
「よく読んでくれ。最後に『「筆を折る」って文字通りに筆を壊すという意味ではなくて』と書いてあるだろう。これは慣用句らしい。君は『筆を折る』という慣用句を知っているかね?」
「知りませんね」
「私もだ。な○う小説を18000冊読んだ私も知らないということは、よっぽど使われないものらしいな。『編集者に文句を付けられて、思わず筆を破壊した』なら分かるが別の意味があるというわけだ」
「筆に別の意味があるというわけですね」
「そうだな。なぜ今時筆なのか。小説家ということを考えると、これは筆記具の比喩だろう。小説家にとって筆記具は大事な商売道具だ。それを折るということは、編集者の言葉によっぽど腹が立ったのか」
「『腹を立てる』も慣用句ですね」
「…しかしそれでは『絶望して』ではなく『怒って』と書くべきではないのか。うーむ…そうだ!『筆記具を変えた』という意味ではないのか」
「ペンや万年筆ですか」
「いや、それでは弱い。もっと大きく変えた、たぶん…ワープロソフトに」
「編集者に文句を言われたからと言って、ワープロに変えても何も変わらないでしょう。表現が旨くなるわけでもないし」
「そこだよ!最近のワープロソフトはAI機能付きじゃないか。くだらない慣用句を適当に変換してくれるぐらいはお手の物だろう」
「『お手の物』も慣用句ですね」
「…これで分かった。この小説家は、表現が分かりにくいと言われたので、AI機能付きのワープロソフトを使うことにした。こういうことだな」
「では、なぜそう素直に書かなかったのでしょう」
「そこだよ。それが慣用句を使う人間の悪いところでね。『筆をへし折る』という語句を使うことで、暗に編集者への怒りを込めた二重の意味を持たせようとしたんだ」
「『へし折って』まではいませんが」
「だかこれでさらに推理できることがある。この文章を書いた者こそ、この『小説家』なのではないか」
「なんと」
「わざわざ『筆を折る』等という聞いたこともない慣用句を使い、それが慣用句ですよと、これまたわざわざ付け足す。こんな慣用句を使うから編集者に分かりにくいなどと言われるのに、直接言い返せずこんな文章を書く。いかにもありそうじゃないか」
「考えすぎじゃないですか」
「いや、この投稿が有名な小説家に対するものであったというのもそういうことだろう。嫉妬や憧れ、自分も小説家なんだといううぬぼれもあったのだろうな。『焼き餅焼くなら狐色』程度にしておくべきだったのに」
「まったくそうですね。自信がないので『小説を書くのを止めました』と素直に言うだけで良いのに」
「君『筆を折る』という慣用句を知らないと言っていたよね」
「知りませんね」
山口慶佳 著「narrow小説と慣用句」より