そして神は居なくなった
もはや一刻の猶予もない。
疫病の流行は避けられないところに来ている。
下船して岩倉さんを医療チームに引き渡した後、俺はすぐに会社に電話した。
だが、つながらない。
夜だからなのかと、翌朝、朝一でホテルから電話をかけたのだが、やはり同じであった。
明らかに何かが起きている。
俺は大阪への帰路、駅で片っ端から仕事関係のいろんな場所に電話をかけてみた。
焦る中、何件かのはずれを引いた後、電話に最初に出たのは千住院であった。
「……おう、榊か。船の方はあかんかったみたいやな……。」
いつになく弱々しい声の千住院。
やはりそこに異変を感じ。俺は携帯にかじりついた。
「千住院さん?榊です。大阪で何かあったんですか?」
「疫病神が大阪にやってきた……あいつら船以外の方法で大量に入り込んできよった。」
遅かったか。
俺は予想通りの展開に歯ぎしりした。
「……こっちも抵抗はしたが、何せ数が多すぎる。法力も使い果たした。もうアカン。」
電話の向こうで激しくせき込む声が聞こえる。どうやら千住院は病院にいるようだった。
「大丈夫なんですか?千住院さん。」
「……熱で頭が回らん。息苦しい、意識がもうろうとする……。多分わし、隔離されるからもう切るで。お前も気をつけろ。逃げ場はないぞ。」
そして電話はこちらの返事を待たずに切れた。
急がねばならない。
俺は、荷物を持って新幹線のホームにかけだした瞬間、その光景に戦慄して立ち止まった。
人ごみの中に、スサノオ様がいるのである。
駅のホームに、新幹線に乗り込む人々に、ホームを出る電車の中に……。
もはや事態は少なくとも霊的に進行な方向に向かっている。
俺は覚悟を決めて大阪行きの新幹線に乗った。
電気街にたどり着いた俺を迎えたもの、それは静けさだった。
かろうじて店は開いているものの、昼間でもにぎやかだった商店街を歩くものは誰もいない。
いるのは店に我が物顔で居座るスサノオ様達。そして、彼らに呼び寄せられたのか不気味で異形な虫たちが周辺に飛び交っている。
まさに地獄。
周辺にはあれだけいた福の神や守り神が姿を消し。スサノオ様の天下といったところである。
これでは営業どころではない。抵抗の弱い人間であればたちどころに不幸になるか、病気になるかの二択だろう。
恐ろしいことに、その光景は帰路、ほとんどすべての箇所で多い少ないはあれど確認されたことであった。
一体事務所はどうなっているのか?
俺はそのグロテスクな光景を眺めながら速足で会社へ向かった。
昭和レトロ感ある会社はいつもの場所に、いつも通り無事存在はしていた。
だが、戸が閉められ、カーテンも閉められ、中を伺うことはできない。
俺はその前で、三分ほど頭を掻きむしり、周辺を見回しながら考えた後、どうすることもできず戸を叩き大声で呼びかけた。
「社長!明石さん!いますか?榊です!帰ってきました。」
もはや無駄かもしれぬと思えてもやるしかなかった。
半ば衝動的な行為。
そして、そのすぐ後に反応があった。
俺の目の前でカーテンが少し動き、社長が顔をのぞかせる。
社長は鍵を開けると周囲を警戒し。
「早うお入り。」
と小さく俺に指示した。
俺が頷き、さっと事務所に入ると、社長は鍵を閉め戸止めのつっかい棒を当てる。
どうやらここで居留守を決め込んでいるようであった。
「すまんな。いきなりのことでこちらはどうすることもできんかった。土地神のワシもようよう外に出られん。」
事務所を見渡すと、社長といつも置物のように鎮座している祖霊様しかいない。あとは社長の神使である空飛ぶエイが漂うだけである。
平日の昼間なのにまるで休日出勤してきたかのような光景であった。
「……明石さん達は?」
「とにかく昨日は大混乱でな。うまいこと逃がしたつもりやが。……さて、今はどうしていることやら。」
「そんな……。」
「ほかの神々も似たようなもんや、ここを動けんワシやえべっさん以外はほとんど逃げ散ってしもたんと違うかな。こうなるとワシも様子を見に行くことすらできん。」
無理もない、ここの福の神はほとんどスサノオ様の追い落としに力を貸していたのだ。
あんな強力なスサノオ様が、大量にやってきたら共存するどころか目を合わせることもできまい。
「えべっさんは無事なんですか?」
「さっき電話で話したが、社殿を半ば占拠されてるらしい。幾柱かのスサノオさんを接待中やそうや。」
俺はその光景を想像し、心から恵比須様に同情した。
疫病神はもてなすのが作法とはいえ、限度がある。
おそらくキャパオーバーな数のスサノオ様の団体の接待に忙殺されているのだろう。
社殿があるから逃げるわけにはいかないとはいえ、この場合、はっきり言って逃げるが勝ちかもしれない。
「今回ばかりは何もかも手遅れやったな。まさか世界中の穢れの波が日本に押し寄せるとは思ってもおらんかった。福の神もろくに抵抗できず、街を乗っ取られてしもた。ここまで状況が悪化したのは百年ぶりくらいやな。」
社長も渋い顔で反省の念を述べていた。まさに想定をはるかに超える勢いだったのだろう。福の神が団結する間もなく追い散らされてしまった。
これではご利益どころではないだろう。
百年に一度の災厄が、今まさに起ころうとしているのであった。
「社長。これからどうすれば……?」
俺が社長にそう尋ねたのは、前向きな意思より、むしろ不安からのものであった。
それに社長も深刻な面持ちで答える。
「ここまで来たら、穢れの力が盛大に使われていることを幸いとするしかないやろな。これだけの霊威を発揮してたら、じきにその力は尽きる。今はそれを待つしかないわ。」
「……それってどれくらいかかるんですか?」
「前の例で行くと、2年ほどか。」
その試算に俺は気が狂いそうになってきた。
途方もない話である。
この混乱と恐怖に人類は耐えられるのか?神々はその神威を維持できるのか?
もう何もかもが見通せない暗闇に入った気分だ。
俺は絶望から、もう何も考えられなくなってきていた。
どんどん!
そして、戸を叩く音がする。
俺たちはその音に震えながら振り向いた。
戸の向こうに穢れた気配を感じる。
向こうにいるのは、明らかにスサノオ様のようだった。
「弘田はん!」
どんどん!
「いてるんやろ?」
どんどん!
「わかってるで。」
どんどん!
「出て来てや。」
どんどん!
「一緒に遊ぼやないか。」
どんどん!
「ワシ、別に怒ってへんで。」
どんどん
「なぁ、弘田はん。」
そして聞こえてくる、スサノオ様の声。
俺は震え上がったが、社長はまたか、といった面持ちでため息を静かにつくと。
身をかがめながら小さな声で俺に囁いた。
「ええか、返事したらあかんで。」
俺はその言葉に恐怖で顔を引きつらせながらうなづいた。
もう打つ手はない。
俺はもうそう結論を出すしかなくなっていた。
もはや浄化することも、神にすがることもできない。
疫病の伝播は止められず、このままでは人々は街に出ることすらできないだろう。
繰り返し戸の向こうから聞こえる呼びかけを聞きながら、俺は自分たちの力及ばず仕事は失敗したことを認めざるを得なかった。
そして、神はいなくなった。
それは、俺たちの長きにわたる戦いの始まりの日でもあった。
そして神は居なくなった
世界は穢れに満ち溢れ
神は街から消えた
だが、榊君はあきらめない
人類の贖罪と商店街の再興を願い
俺たちの戦いはこれからだ!
次章!反撃開始!
公開を待たれよ!




