榊君は今日も行く
もし自分の罪を告白するなら、神は真実であり義であるから、その罪を赦し、すべての不義から私たちを清めてくださる。
聖書『ヨハネの手紙一』1章9節
真夏の大阪。
周辺にはアスファルトの道路を砕くドリルの音が響く。
自分の声もよく聞き取れない中で。目の前の作業服の男は俺の出した名刺に怪訝な顔をしていた。
「弘田土地管理?……道路工事に管理会社が何の用ですか?」
まぁ、そう言うよな。
俺は予測していた反応を笑顔で受け止めた。
工事の作業中、大事な話があると呼び出された現場監督。工事も始まっているのに今更管理会社と名乗る人間がやってきたというのだ。好感を持って出迎えられることなどあろうはずがない。
仕事の邪魔をしに来るな。とでも言いたげな反応に俺はめげずに話をし始める。
「ええ、実は付近の地権者の方からお話がありまして。工事をするのは構わないんですが、その上で一つお願いを聞いていただきたくてですね……。」
「……騒音ですか?」
なるほど、「付近の地権者」と言えば真っ先に思い浮かぶのがそれだろう。もしかするとよくあるかもしれない。
だが、俺の依頼者はその種の「地権者」ではない。
俺は笑顔を崩さず首を振った
「いえいえ、そういう話ではありません。だだ、少しだけ皆さんのお時間をいただきたいんです。」
「時間?」
いまだ怪訝な表情の監督。
俺は彼の言葉にうなづくと背後の神社をさし示した。
「工事の休憩時間をで結構ですので、あちらの神社にお参りいただきたいんです。安全祈願で。……ええ、10分もあれば済む話ですので。」
俺の言葉に監督の表情には困惑の色がますます浮かび上がった。
彼は名刺と俺の顔と背後の神社を何度も見渡す。
「……それはみかじめ料のようなものの要求ですか?」
そう来たか。
確かに、聞きようによっては上品なみかじめ料の要求に聞こえなくもない。
俺はそれに大きくかぶりを振った。
「いやいや、お賽銭は一銭もいりません。お参りしてもらうだけ、本当にそれだけです。気持ちだけで結構ですので。」
嘘ではない、「地権者」は依頼人はそういうことはあまり気にしないタイプである。ただ気持ちだけの話なのである。
だが監督はそれが逆に気持ちが悪いらしい。
「本当に地権者がそんな事言ってたんですか?事前に関係者には話を通しているはずですけど?」
「多分そうだと思います。でもまぁ、「ウチは聞いてない」っていう人が出てきちゃって……私も困っていまして。」
沈黙。
暑い中、周辺にはドリルのドドドという音かひたすら響く。
まずい。
もうどうやって断ろうか考えている感じだ。
どうする?
俺が笑顔のまま対策を考える。
だが無情にも判断は俺のリアクションより早く下される。
「とにかく、こういう話は現場ではなく会社か役所に言ってください。我々もスケジュールが一杯なので。」
そう言って名刺を付き返してくる監督。
確かにこう言われるとここは引き下がるしかなくなってくる。
だが、俺はここで引き下がるわけにはいかなかった。
「いや、あの監督だけでもいいんです!形だけ!それで依頼人の顔も立つんですよ!私もいっしょに行きますから!お願いします!5分だけ!」
立ち去ろうとする監督に必死に縋り付く俺。
もうなりふり構っていられなかった。このままではまずい。何しろ依頼人は……。
「しつこいな!一体お参りしなかったら何が起こるって言うんだ!」
どぉん!
と監督が叫んだ瞬間、監督の背後で爆音が響いた。
それと同時にアスファルトが砕かれた地面から、ものすごい勢いで水柱が上がる。
俺はそれに天を仰いだ。
「……あーあ……。やっちゃった。」
現場は大騒ぎ、監督事態の収拾のためかどこかに飛んで行ってしまった。
交渉失敗。
俺は周囲の様子にため息をついて、なおも吹き出し続ける水柱を見上げた。
普通の人間には豪快な水柱に見えるかもしれない。
だが、俺の目には見えていた。
水柱は竜の形を成しながら天に昇っている。
それは水の吹き出し方に合わさるようにしばし周辺を飛び回るとやがてこちらを見下ろすような形で制止する。
それは水柱がその龍の仕業であることを霊視した結果であった。
「龍神様!交渉終わるまで待って居てくださいって言ったじゃないですか!何やっているんですか!」
こうならないように慣れない人間相手の交渉をしていたのに、話が違う。
交渉失敗しかけていた事実を棚に上げ、抗議する俺にどこ吹く風といった感じの龍神様。
というか、爬虫類(?)の表情は正直解らない。
「あまりに無礼。こ奴らは我に対しての敬意がなさすぎる。おぬしの話にも耳を貸そうとせぬではないか!これくらいやらねば私の腹の虫がおさまらんわ!」
龍神様がそう言うとさらに増す水圧。
たちまち俺含め周囲に雨のように水が降りそそぐ。
焼けつくようなアスファルトがどんどん水で冷やされていく。
俺はそれにがっくりと肩を落とした。
「……あー。だめだこりゃ。……もう、思う存分やってください。あとはこっちでフォローしますから。」
そう言うと俺は首をすくめ、大騒ぎになっている現場を尻目に近くの縁石に腰掛ける。
背広も髪もずぶ濡れだ。
ここはもう、くそ暑いのが涼しくなったと開き直るしかない。
俺はスマホを取り出し、何とか液晶の水を拭き取ると、カメラで水柱を撮影する。
別に意識してなかったが、防水のスマホにしておいて助かった。でなければ今頃顔面蒼白になっていたことだろう。
―神社の近くで水道管破裂、水神様のお怒りかー。
まぁ、こんな感じで噂をネットにでも流しておけば、少しはあの神社に対する意識も高まるだろう。
ささやかだが、やらないよりはましだ。
俺の名前は佐藤宏。
この近辺の神々の間では「榊」と呼ばれている。
仕事は、神の声を聴き、トラブルを解決すること。
……なのだが。
今日みたいにうまくいかないこともある。
神の声を聴くというのは、楽なことではないのである。
暑い夏でも寒い日でも
今日も行く行く榊君
うまくいこうがいくまいか、
神の声は聞かねばならぬ。
さて今回のお話は?
次回の話を楽しみに。