案内人の夢
完全なる自分用のリハビリ。いつも通り面白くないです。お読みになられる方がいらっしゃったら、ご注意ください。読み切りです。いつか消します。
消化できない夢を見ていた。
黒のシルクハットとスーツを着た人物が、私に手を差し伸べた。
この状況をどう話していいかわからないが、彼をたとえるなら不思議な案内人とでもいうべきか。
彼は言う。
「君をこちら側の世界にくれないかい?」
――君の覚悟が欲しい――
泣きたいけれど泣くのは許さないといった、今にも壊れそうな笑みが私に向けられる。
それは最大限こちらに配慮しようとして失敗した、悲しい自分本位の優しさで。私の胸を突くには十分だった。
切ない痛みは甘美な香りに等しく、私はふらふらとその手のひらに止まってしまった。
「……ありがとう」
ああ、もう逃げられない。なぜだろうか。漠然とそう感じた。
了承してしまった私は、彼から約定と一つの贈り物を渡された。
「この指輪は、君と君がいた世界を繋ぐもの」
そう言って渡されたのは、シルバーのダブルリング。誰にも気づかれない流れ星のようなきらめきを放っていた。
「指輪がないと、君は君の世界から認識されない。逆に指輪がなくても、ここの世界は君を認識してくれる」
ここの世界はね、君がいた世界空間ではない。もう一つの異空間であり異郷である。目を凝らして。
風が吹き、帳のように覆っていた何かがざわざわと音を立てながら、意思あるかのように左右に分かれる。
今更ながら気付いたが、私達が立っていたのは巨木の太い枝だった。遮っていたのは青々と茂った大きな暗緑色の葉。
目隠しがなくなったかのように、眼下が見渡せた。
山には人工的な道がつくられ、小さな家々がぐるっと道に沿うように並んでいる。家々からは、オレンジのささやかな灯りがぼんやりと照らす。
「この異郷は、君を歓迎する」
何がなんだか分からない内に、景色が暗転した。
気付くと、自分の家の部屋にいた。
白昼夢かと思いきや、左指に硬質な違和感を覚えた。見ると薬指に銀の輝きが淡く反射していた。
言いようのない緊張感が胸に迫る。掌はじんわりと汗を持っているのに、何故か冷たい。
ドアノブを回して、居間を目指す。
台所にはいつも通り母がお茶を入れていて、その光景に酷く安心する。
「お母さん!」
――よかった、いつも通りだ。――
「なに。」
湯呑みにお茶を入れている母は、こちらを見向きもしない。
「これ! 指輪もらったの!」
「ゆびわ?」
私はなにか言わなければと思い、指輪を抜き取って、右手で摘んでみせた。
「指輪なんてないじゃない。それよりどこにいるの?」
「えっ」
まさかと思い、自分の身体を見た。何の変哲もない見慣れた身体である。今摘んでいる指輪をしっかりと握ろうとするが、手が震える。何とかして左手の薬指に付け直す。
「ほら!」
私はもう一度、母親に指輪を付けた状態でみせた。
「ふーん、綺麗ね」
あまり興味を示さなかったことに、私は何故か焦りを覚えた。
「ねね、これは見える!?」
私は指輪をまた外して、そこら辺にあるもので、つかみ取りやすかった、受話器を取ってみせた。
「あら、受話器がないじゃない」
ここで漸く私は、自分に起きている出来事を薄っすらと察した。
「ね、お母さん。私のこえ、きこえる?」
受話器を探し始めた母親に、動揺した声で尋ねた。
反応がないことに、唇が震えだす。
――ああ、私はこの世界から消失したんだ。――
指輪が唯一、私をこの世界に繋いでいる。
指輪がなければ、私はこの世界から異質な存在として承認されない。なんと儚い身になってしまったのだろうか。
弱々しく主張していた指輪が、鎖のように威圧的なものへと変わる。
それでも私は、この小さな指輪に頼るしかないし、心細さは変わらない。
働かなければ。そんな秩序性のない思いが突き上がってくる。
「あのね、お母さん。聞いてほしいんだけど、」
指輪を付け直した私は今までのことを話し出した。
「この状態で私、働けるのかな?この世界から消えた私は死亡届を出すしかないのかな」
不安が次々と生まれ、逃げたい私は冗談交じりに口に出す。
「……指輪があればどうとでもなるでしょう。……どうして」
「え」
やっと口を開いた母親は、投げやりのような答え方をした。そして、その深い黒の瞳が私を射抜く。
「どうしてあなたは先にいなくなってしまうの」
――私はここにいるのに――
そう伝えたくても、そういうことを言っているのではないことが、彼女の濡れた瞳を見て分かってしまった。私がとんでもないことをしてしまったと。
――ああ、私は異質になった。――
私の身体の構成は、作り変わってしまった。この世界の構成のものではなくなってしまった。この世界の住人と同じものを、同じ立ち位置で見ることは、もう叶わない。
まだ、行きたいところがあった。誰かと一緒に見たいものがあった。それは同じ条件だから意味があったということ。その尊さを知らなかった私は、事の重大さを悟り始めた。孤独を突き付けられたのだった。
そして、約束を交わしたあの人は、どうなったのだろうか。
私は本当にあの人を信じてよかったのか。胸中をじわじわと後悔が蝕む。
否、もうあの人しか私は頼る人がいないのだ。 迎えに来てくれないだろうか。
そうでなくとも、あの人は今どうしているだろうか。
あの悲しい微笑みが幸せになってればいいと、願う。
ともかく私はペテン師に騙されたのか、神隠しにあったのか、そのような気にされたのだった。
自分が見た夢だったり。。アレンジはしましたが。