【2】②
「先に言っとくけど、杏理が愚痴ったわけじゃないからね」
美波が前置きしながら話し始めた。
「こないだクラスの女子で話してるときに、麻由が『そういえばあの本どうなったの?』って言い出してさ」
絋哉からの感想を訊かれた杏理は、遠慮がちに「……ううん、なにも。やっぱり迷惑だったのかな。わたしつい本気にしちゃって、こういうのダメだよね」と自嘲していたという。
それに対して、麻由が我がことのように憤慨していたそうだ。
おそらく真人が聞いたという絋哉に関する話の主も、杏理本人ではなく麻由なのではないか、と感じた。
そうだとしても麻由に思うところなどはないのだが。
「あたしは中高が女子校の理系メインのコースで、三分の二は理系だったんだけど。あの子は地方の共学公立で、理系クラスは女子二人だったんだってさ。あ、麻由もそこまで極端じゃないけど似たような状況だったらしいわ。だから余計に肩入れしちゃうのかもね」
唐突に切り出した彼女の話の行き着く先がまったく見えない。
確かに絋哉たちは理学部所属だが、それがどうかしたのか?
「ほら、よく『なんとかの姫』ってあるじゃん? サークルとか学部とか」
「う、うん……?」
所謂『男の中に女の子一人』状態を指すのだろうが、続けられたその言葉からも美波の真意は不明なままだ。
「でも実際、少なくとも高校でそういうのないと思うんだよね。例えば桜木が高校の時、男子クラスに女子一人とか二人だったとしてその子のことチヤホヤしたりする?」
「……しねーよ」
仮定だとしてもあり得なさ過ぎて、声に呆れが滲んでしまう。
「でしょ? でも他のクラスの子たちにイヤミ言われたりしてたみたいだよ。まあそれはともかく、杏理はなかなか馴染めないってか他人の言葉の裏読みできないの気にしてるみたいだからさ。そんなの必要ないとあたしは思うけどね。ホントいい子だし」
美波が多少言葉を濁しながらもいろいろと説明してくれたことで、杏理が大学入学以前に周りの女子とうまくいかずに孤立していたらしいと初めて知った。
単に「可愛くて天然で、悩みなどなさそうな愛されキャラ」くらいにしか感じていなかった己の無神経さが腹立たしい。
◇ ◇ ◇
「あの、井上さ──」
「桜木くん、ごめんね。わたし、社交辞令とか理解できなくて真に受けちゃって。興味なんかないのに気を遣って合わせてくれたんだよね? わたし空気読めなくて、本当にごめ……」
翌日、ようやく一人でいるところを捕まえて詫びようとした絋哉に、彼女は話させてもくれなかった。
精一杯の笑顔のつもりなのだろうが、涙混じりの声。好きな相手を深く傷つけて、こんな辛そうな表情をさせているのは紛れもなく自分なのだ。
「ちが、俺はホントに──」
「もういいの。気にしないで」
すべてを断ち切るような杏理の台詞に、絋哉はそれ以上何も言えずに借りた小説を差し出した。
「ありがとう、井上さん。これすごく面白かったよ。それだけは疑わないでほしい」
「……うん、わかった」
俯き加減で絋哉と目を合わせようとはしない彼女に本を返すと、踵を返しその場を立ち去る。
──黙ったままじゃあんたが何考えてるかなんて伝わらないでしょ。
美波の言葉が不意に脳裏を過った。
その通りだ。絋哉の喜びも幸せな気分も、何一つ杏理には届いてなどいない。
……考えてみれば当然の結果なのに、最悪の事態を招いた今になるまで絋哉は理解できていなかった。