【2】①
「なあ、コウ。お前なんかやった?」
「は!? 何、ってナニ?」
朝一の講義で会うなり訊かれて意味もわからず問い返した紘哉に、友人の真人の話は衝撃でしかなかった。
「いや、クラスの女の子たちが『桜木くんてちょっとどうかと思う』って喋ってんの聞いたから。俺はコウのことすごい性格いい奴だと思ってるし、なんかあったのかなって」
いったい何のことだ? まるで見当さえつけられない。
「……別に心当たりはない、けど」
紘哉は自分を面白味のない生真面目な人間だと思っていた。
特別優れた部分はないと自覚しているし、誠実さだけが取り柄だとさえ考えていたくらいだ。
実際に、ここ最近どころか大学入学以来誰かとトラブルを起こした覚えもなかった。
何があったのか、紘哉の方こそ教えて欲しい。
「あ、井上さん。英語の──」
真人と別れて向かった二限目の講義室。一限をその部屋で受けていたらしい杏理を見つけ、紘哉は彼女に話し掛けようとした。
「……桜木くん」
「杏理ちゃん、次一緒だよね⁉ さ、行こ!」
しかし、杏理の声に被せるように横から麻由が彼女の腕を取る。
紘哉を睨みつけたかと思うとパっと目を逸らした麻由が、想い人を連れて去って行った。
「桜木、ちょっと」
わけもわからず呆然としていた絋哉は、呼ばれるまま廊下に出た美波に着いて行く。
二限目は欠課になってしまうが、正直もうそれどころではなかった。
「あんた杏理に借りた本返してないの?」
構内のカフェテリアに先導され、それぞれ飲み物を買って隅の席に落ち着くなり、美波が咎めるような口調で切り出す。
「あ、うん。まだ読んでて──」
あっさり答えた絋哉に、彼女はわざとらしく溜息を吐いた。
「もう一か月だよ⁉ 趣味に合わないならそう言えばいいじゃん。杏理は気にしないよ、そんなの」
「え⁉ いや、そんなことない。面白いよ!」
慌てて両手を振りながら否定する絋哉に、彼女は、胡乱な目を向けて来る。
「じゃあなんでそんな時間掛かってんの?」
「……大事に、ゆっくり読んでる、から」
事実だった。『好きな女の子に借りた』本。触れるだけで幸せな気分になれる。
一ページずつ、一文字ずつ、目に焼き付けるようにじっくり読んでいた。そういう読み方をするジャンルの小説ではないのは、もちろん承知の上で。
「だったらせめて杏理になんかないわけ? 借りたまんま一か月スルーってさぁ。しょっちゅう顔合わせてんのに。桜木ってもっとちゃんとした奴だと思ってたよ、あたし」
「なんか、って。……え?」
問われた意味さえわからない絋哉に、友人は呆れた様子を隠そうともしなかった。
「だから! 『面白いけど、時間なくてなかなか進まなくて』とかなんでもいいんだよ! 黙ったままじゃ、あんたが何考えてるかなんてあの子には伝わらないでしょ」
「あ、そっか。そう……」
まったく頭の片隅にもなかった発想だった。『杏理の本』に夢中で、他のことに意識が行く状態ではなかったのだ。