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栞の気持ち

 木彫りの時計が五時を示している。閉店が近づき、客もみんな帰ってしまっていた。大晴はカウンターで亜子を膝に乗せて一緒に人形ごっこをしていると、服の隙間から、亜子の首から下がっている鎖がふと目に入った。


「あ……!」


大晴は恐る恐る、首から外れないようにたぐりよせて、懐中時計を手に取って見てみると、


「何だこれ?」


 一本しかない針が一の辺りを指しているのだが、小さな釘で針が動かないように留められている。

 隣でアイスコーヒーを飲んでいたニッカポッカ姿の耕造が、


「栞が言うからな、俺がそうしたんだ」

「へぇ……?」

「本人が子供だから、間違って年齢が変わると何かと問題になるからだろうな」


 ゆっくりとアイスコーヒーを飲む耕造の横顔をちらりと見ながら、大晴は小声で、


「亜子のこの時計ってさー……」

「しおりちゃんからもらったー」

「そうなんだ。亜子ってどこから来たんだっけ?」

「あっち!」


亜子は店の入り口を指差す。


「家ってどこなの?」

「ここ!」

「そっ……かあ」

「亜子ってさ」

「おにいちゃん、こうえんいこ!」


亜子の満面の笑みに大晴はつられて笑顔になる。カウンター横の扉から出て来た栞がカウンターの下にある棚を覗き、


「あ、洗剤切れちゃった」と呟く。

 耕造がグラスを置き、


「俺が公園連れてく」

「じゃあ、俺、取ってきます。奥ですよね」


 大晴は亜子を隣の椅子に降ろし、立ち上がる。


「ありがとうございます」


 残念そうな亜子の表情から、『外……』としょんぼりしていた加津が思い出される。大晴は亜子の頭に手を置き、


「次遊びに行こうな」


 亜子はぱあっと笑顔になり、


「うん!」

「良かったですねー、亜子ちゃん。そういえば最近私も出掛けてないかも」

「この店開き過ぎじゃないのか?」

「楽しいからいいんですけどね」


 話を聞きながら、大晴は扉を開けた。



「えーっと、これか」


 倉庫の棚から洗剤を手に取り、渡り廊下に出る。


「あっついなぁ」


 蝉の鳴き声がそこかしこから聴こえ、空気はムシムシしている。大晴は足早に廊下を渡り、扉を開けた。

 庭にある祠には猫の彫り物がされた板が飾られていた。

 台所に戻ると、壁にかかっているカレンダーが目に入る。店の休みの日に丸がされていて、祝日の月曜日に印がされている。大晴は目を輝かせた。



 大晴はフロアに続く扉を勢い良く開け、


「栞さん!」

「……どうした?」


カンナが店に入ってきた所だった。大晴はカウンター横にあるカレンダーを力一杯指差す。一瞬で勢いは吹っ飛び、顔が熱くなるのを感じながら、


「ら……来週の月曜、創立記念日なんです。一緒にどこか行きませんか?」


虚空を見つめ、顎に残っている髭を触る耕造。カンナは目を丸くしている。栞は嬉しそうに、


「いいですね」

「えっ」


 カンナの声に、栞は不思議そうに振り返る。


「いや何でも……」


 カンナはもごもごとする口に手を当て、明後日の方を向いた。


「そしたらどこ行きましょうか?」

「えっと……考えてなかった」


 大晴は目も合わせられず頭をぽりぽりと掻く。髪の隙間から見える耳が赤くなっている。


「ふふ、じゃあ考えておきますね」

「あ、いや、俺が……」


 栞は意気揚々と、


「任せてください。良い案があるんです」

「そっ……かあ」


 いつものように笑っていたが、大晴は再び顔が熱くなるのを感じていた。


                    *


「ただいまぁ!」


 リビングにまでご機嫌な大晴の声が響く。テーブルに夕飯の準備をしている真千子が、眉間にシワを寄せる。


「あの子、もうそろそろ受験だって分かってるのかしらね」


 ソファでテレビを見ている博は、チーズを食べながら、


「さあなぁ」

「呑気ね」


 博は缶ビールを持とうとした手を止め、慌てて振り返る。


「えっ、いやーなあ」

「大晴もよ」

「……食べるか?」


 チーズを差し出す博に一瞥をくれた真千子は冷たい声で、


「もう夕飯」

「うまいぞ」


 博は懲りずに、にかっと笑った。


                   *


入道雲が活発な青空のもと、芝生が広がる公園の大きな木の下でビニールシートを広げ、その上に栞が大きなお弁当箱を開けた。蝉がせわしなく鳴く中で、額に手ぬぐいを当て、


「作りすぎちゃったので、いっぱい食べてくださいね」


 大晴は感動して、


「おいし……」

「わあい」


 亜子が早速おにぎりを手に取る。


「……そうですね」


 夢中でおにぎりを頬張っている亜子を見て、小さくうなだれる大晴。


「この公園素敵でしょ??広いし亜子ちゃんも喜ぶと思って」

「あ、いい場所ですね」


 周りを見渡すと離れたところに滑り台やブランコなどの遊具があり、子供たちが保護者に見守られながら遊んでいる。ひなたは太陽の光が強くて汗ばむが、ここのような木陰は風も涼しく感じて心地よい。

大晴は、ささみ揚げを口に入れると、笑みがこぼれた。


「うまい」

「どれ?わたしもたべたい!」

「これ」


大晴と亜子でがっつくように食べ、ほとんど無くなると、亜子はいそいそと靴を履き始めた。


「亜子ちゃん?」

「あそぶ!」


 亜子は目線の高さで木に掴まっている蝉を、間近で興味津々に観察している。茶色の羽が透き通っていて、艶やかに光っていた。栞は大晴が残りをつまむ様子を見て、


「良かった。お弁当用のおかずってあまり作らないから心配だったけど」

「そうなんですか。めちゃくちゃ美味しかったです」


栞は満面の笑みになる。しゃがんで雑草をいじり始める亜子の後ろ姿に、栞は振り向き声をかけた。


「亜子ちゃん、遠く行っちゃだめですよ」

「はあい」

「……!」


 栞の左手首の辺りが一瞬透けているように見えて大晴は目を見開く。


「どうしました?」


 栞が振り返り、首を傾げたときには、すでにいつも通りだった。


「いや、何でも……」


 大晴は口ごもる。栞は水筒からお茶を一杯注いでひとくち飲んだ。


「冷たくて美味しい」


 遠くで子供たちの楽しそうな声が聞こえる。飲みながら風で揺れる葉を見上げている栞の横顔を見て、大晴は拳を固く握りしめた。


「栞さん、あ、あの……、今度は二人でどこか行きませんか?!」


栞は一瞬驚くが、目をそらして伏し目がちになる。


「……私より、学校のお友達を誘ったら良いんじゃないかな」

「駄目なんですか」


大晴の声が小さくなる。栞は顔を上げ、無理に笑顔を作って、


「まだ若いでしょう?ついていけるかどうか……」

「そんなことないです。栞さん若いし」

「ふふ、そうですか?変えたら、人から見ればおかしく見えないのかもしれないけど、そうじゃありませんから」


着物の上から胸を押さえる仕草に大晴は驚きと不安が入り混じるが、拳を握りしめ、


「栞さんも、時計持ってるんですか?」

「持ってますよ。今いらっしゃる中だったら、私が一番長いくらい」

「どうしてなんですか」

「……私はこの世界を見ていたいんです。なんでもない日常を過ごしたい。ただ、この気持ちもなくなった私はどうやって生きているのか考えも及ばないですが」

「本当の栞さんは何で……」


栞の静かな表情に言葉が続かなかった。


「今日は休日なのに出て頂いたので、来週はお休みにしましょうか」

「仕事じゃ……」


 栞は穏やかな顔になり、


「期末試験も近いと思うので、試験勉強頑張ってください」

「勉強なら家でもやってるし」

「三年間しかないんですから、楽しんでください」


大晴はムキになって、


「栞さんと仕事してる時も楽しい……というかためになるし」


栞は笑顔で、


「いろんなこと、学校で学べるのってきっと楽しいですよ」


 強い風が吹き、栞は風が来た方向に目を向ける。


「……」


 大晴はそのまま口をつぐんだ。


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