栞の手ぬぐい
ティータイムの時間も過ぎ、お客さんもまばらになってきた。白髪の老夫婦が、角の席で窓の外の花を見ながら寛いでいる。男性は腕時計を見てから目尻の皺を深くし、
「母さん、そろそろ帰ろうか」
「そうしましょうか」
向かいに座っている女性は杖を付いて立ち上がり、男性は女性の手を握り支える。会計の対応をした栞は、ゆっくりと扉を開ける二人を静かに見送って微笑みを浮かべて見送っていた。
「ありがとうございましたー」
大晴はテーブルを片付けながら、
「たまに来ますよね」
「仲良さそうよね」
栞はハンバーグに野菜を盛りながら嬉しそうに、
「そうですね。あんな白髪の似合うおばあさんになりたいですね」
「いや、白髪はいやだろ」
食器を運ぶカンナが通りすがりに口を挟んだ。
「そうですか?」
しばらくして、会計を済ませた客が店を出たので、大晴は片付けに行く。食器を下げてカウンターに置くと、不満げな顔が出ていたのか、栞がきょとんとした顔で食器を受け取った。
「どうかしたんですか?」
「だってさっきの客、大盛り頼んでおいて結構残してるから……。栞さんのカレーおいしいのに」
栞の手の皿には、カレーが半分程残っている。
「もったいないけど、お口に合わなかったのかも」
「前もカレー頼んだことのあるお客なんですよ」
「体調悪くなったのかもしれないじゃない」
栞は少し不安な顔をして、まじまじと皿のカレーを見る。
「それはまずい……ですね。傷んでたかな」
「そんな事ないです。普通に帰ってたし」
大晴は、不満がちょっとずつ怒りに変わり、口を尖らせる。
「それなら良かった。大晴さん、もう休憩ですよね。良いもの見せますよ」
台所にある六人掛けテーブルの端っこでカレーをひとくち口に入れる。スパイシーな味に、どことなく異国を思い出させるような風味だ。栞がフロアの扉から顔を出し、大晴の目の前の席に腰掛けた。大晴はカレーを頬張って、
「カレーおいひいです」
「良かった。大晴さんはいつもおいしそうに食べてくれるから、安心します」
さらに頬張り、
「本当においひいから」
栞は懐から布を取り出し、
「じゃあ、これは、何でしょうか?」
「えーっと、ハンカチ?」
「これは、手ぬぐいです。着物の端切れを縫い集めたものなんですけど、ハンカチみたいに使ってるんですよ」
布を一枚開いて違う柄を見せてくれる。
「こっちは麻の葉、こっちは七宝つなぎ。昔からある模様なんですけど、ちゃんと意味があるんですよ。ところでこの手ぬぐい、何色あると思いますか?」
「え?」
麻の葉という布は黄色、七宝つなぎという布は水色だったから、
「二色?」
「この二つだけじゃないんですよ。私も数えてないんですけど、色んな色と模様があるんです。大晴さんは見たことありますか?」
すっくと立ちあがり、今度は手ぬぐいを大きく広げて見せてくれる。色も模様もたくさんあって、十種類以上はあった。栞はどことなく嬉しそうで得意げだ。
「こういう柄物好きだから集めちゃうんですよね」
ハンカチを眺めながらニコニコしている。
「へぇー、綺麗ですね」
つられて口元が緩む。
「物事は一面だけじゃないんですよ。ちょっと見ただけでも分からないし、開いてみないと結局何色あるのかも分からないでしょ?」
栞はすとんと座って手ぬぐいを畳み、懐へとしまった。
「……はい」
大晴はひとまず頷いてみる。続けて何か言わねばと口を開くが、頭の中はぐるぐると混乱しているばかりで何も出てこない。栞は気にせず立ち上がり、
「そうだ、食材がいくつかなくなりそうなものがあったから、休憩の後に奥から持ってきておいてくれませんか?」
「え?分かりましたけど……」
「お昼ゆっくり食べてください」
フロアへと戻る栞の後ろ姿を、大晴は何か言いたげに目で追うだけしかできなかった。
お米や砂糖、ストローなどを入れた段ボールを持って、台所の奥にある渡り廊下を通る。大晴が足を止めて何気なく庭を見ると、中央に生えた木の横に小さな祠がちょこんとあった。祠には、蜜柑や水の他に手の平サイズの木の板が中央に飾ってある。
「何だあれ?」
木の御札に見えないこともないが、何か表面がでこぼこしている。亜子がおままごとでもして置いたのだろうか。
「大晴さん、袋もなくなっちゃいそうだったので、それも補充お願いします」
扉の先から栞の声が聞こえてくる。
「あ、はい」
気になりながらも踵を返し、その場を後にした。
*
大晴がトイレから戻り、病室に入ると、丁度看護師が血圧をはかっているところだった。
「安静にしてますよ」
加津はいつもと違って眠そうな表情で大人しく腕を出している。
真千子は安心しきれない顔で、
「立ち上がりとか」
「ないですね。来週からリハビリに入るので、どうなるか分かりませんが」
「分かりました。よろしくお願いします」
白いカーテンをシャッと軽い音を立てて閉め、看護師は出て行った。
「ばあちゃん、外行く?」
「そうねぇ」
穏やかな表情でぼんやりと呟いた加津は、首を傾けて雲が浮かぶ青空を見つめる。大晴はその見知らぬ横顔を目の当たりにし、ふと生き生きとしていた加津を思い出していた。
しばらく加津と世間話をして部屋を後にすると、早足で通り過ぎる看護師や医者とすれ違った。大晴はしょんぼりして、
「元気ないよね」
「というか、落ち着いた、じゃない?ボケる前のお義母さんに戻ったみたいな……。痴呆進んでるのかしら」
「どっち」
「そうよねー」
真千子は明るく笑う。
「お父さんも今度休み取れるから来れるらしいわよ」
「ばあちゃん喜ぶだろうね」
「お義母さん、忘れてないかしらね」
大晴は苦笑いで返事せざるを得なかった。