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喫茶レディーバグ

駅から高校へ行く出口とは逆方向に出ると、朝向かった弁当屋とは違う道に入り、住宅街の中を進む。しばらくすると、ひと気のない小さな神社が見えてきた。境内を囲うように植えられた桜の花はもう散り始めていて、ピンク一色の地面が広がっていた。

 大晴は鳥居の外から手を合わせて、


「背が伸びますように。それと、筋肉がつきますように。これでいいか!」


神社から目と鼻の先にある古めかしい木造の二階建てに到着した。関東大震災と東京大空襲をくぐり抜けた建物で、かつては旅人が泊まる宿だったらしい。まわりの現代的な建物の中では異質な存在に映り、今にも昔人が出てきそうだ。


『喫茶レディーバグ』と書かれた看板が掲げられた店の扉の上部にある窓を覗き、思わず顔が緩む。いつものように「カラン」とドアベルを鳴らして開けると、店内にはテーブル席に二組の客が座っていた。大晴はまっすぐカウンターに向かい、声を抑えて、


「お疲れ様ですっ」


 黄緑色の着物に白いフリルのついたエプロンを着けた栞が振り向いた。栞は優しい笑顔とコロコロとした鈴の音のような声で、


「お疲れ様です、大晴さん。丁度良かったぁ。これ、取れないですか?」


 片手で袖を押さえながら、カウンターの壁一面にある棚の上を指差す。

 大晴はカウンターの中に入り、背伸びをして覗き込んでみると奥の方にグラスが一つ入り込んでいた。すぐに取って渡す。


「これですか?」


栞は可愛らしい笑顔をグラスに向けて、


「ありがとうございます。戻すときに入っちゃったのかも」


 大晴の表情が一瞬固まるが、


「そ、そうですね。けっこう高いから俺が置いちゃってたかもしれないです、すみません」


「大丈夫。この場所はあんまり使わないの置いとこう」

 栞は壁掛け時計に目をやり、


「あれ、今日ちょっと早い」

「それは、用事がすぐ済んだんでその足で来たんです」


 手を繋いだ夫婦の客が扉を開けた。


「そうなんですか。いらっしゃいませー」


グラスに氷を入れ、水を注ぐ栞を、大晴がさり気なく隣でじっと見ていると、


「横顔見過ぎよぉ。いつものことだけど」


 テーブル席の客と雑談していたはずの瑠璃子がいつの間にか戻ってきて、メニュー表で耳打ちした。瑠璃子のニヤついている顔も見れず、大晴は顔が熱くなるのを感じる。

 白いエプロンの下に着ているワンピースを翻した瑠璃子は、


「大晴くん、オシゴト」

「あぁっ、はい、すぐ着替えますっ」


急いでカウンターの横の扉に手を伸ばした。



 窓から柔らかい日差しが差し込み、アランが棚の上で気持ち良さそうに眠っている。ゆったりとした時間が流れる店内はほぼ満席で、カウンターではコーヒーを飲みながら本を読んでいる人や、テーブル席では年配の女性たちがケーキを食べながら話に花を咲かせている。

 メニューを広げた若い女の人二人組が手を挙げた。


「すみません」

「はい」


 大晴は呼ばれたテーブルへ向かう。


「これって他のコーヒーとどう違うんですか?」

 

メニューの飲み物欄を開いて、片方の女性が写真を指差す。


「はい。そちらのマンデリンは苦味の中に少し酸味があって、甘いものによく合いますね」

「じゃあ、それで。あとガトーショコラも」

「私はメロンソーダとバナナパフェ」

「はい。少々お待ちください」


 カウンターで栞に注文を伝えていると、ドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませー」


 花束を抱えた金髪の女性が顔を出す。


「お疲れー」


カンナは、赤やピンク、黄色の花束をカウンターの端ににどさっと置き、溜め息をつきながら空いている椅子に座った。彫りが深い顔立ちだからか、ちょっと眉間にシワを寄せるだけで不機嫌そうに見える。瑠璃子はグラスに水を注いでカンナの前に置き、


「カンナ、もう仕事終わったの?」

「休憩中。もう売れない花があったから持ってきた」

「きれいじゃない」


瑠璃子が棚の端に置いてある空の花瓶を取り、水を入れる。

カンナは茎を切って花瓶に活けながら、


「いつまでもつかどうか分かんないけど、まぁいいでしょ」


大晴は切った茎を片付けていると、何かが指に刺さった感触がした。


「いてっ」

「大丈夫ですか?!」


 栞が駆け寄り、大晴の手首を掴んで有無を言わさず血の滲んだ指先を流しで洗う。


「あー、バラの棘だろ」

「もう、気を付けなきゃ駄目ですよ」

「気づかなかった……」


 栞は救急箱を奥から持ってきて、薬を付けて絆創膏を巻いてくれた。


「治るまで調理のお仕事禁止ですよ」


 大きな瞳がまっすぐ大晴の目を見る。


「……はい」


 大晴は俯き、前髪で目が隠れる。


「私が作るわよ」

「そうですね」


そっと手首をおさえた大晴の耳が人知れず真っ赤に染まっていた。


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