未来は見えなくても
店の入り口に、「close」の札が掛かっている。カンナと栞はカウンターに座り、ごくごくと麦茶を飲みながら、
「慧もか。早かったな」
「そうですね。良かったです」
店内を、キャーと叫びながら亜子が走り回っている。カンナは花瓶に生けたトルコキキョウに触れて、
「瑠璃子、この花好きだったよな」
「瑠璃子さんはお花全般好きでしたね」
「確かにな。そういや花の名前全然覚えてなかったな」
「あはは、そうですね」
亜子が栞の隣の席によじ登って膝立ちになり、両手で栞の目を隠す。
「だぁーれだ?」
視界が真っ暗になった栞は、心臓が大きく鼓動するのを感じた。
「亜子、危ないから降りなー」
「ばあー」
亜子はぱっと手を離す。景色が戻り、栞の心臓も落ち着きを取り戻す。栞は引きつった笑顔で、
「ちょっ……亜子ちゃん、びっくりさせないで」
亜子は笑いながら椅子からぴょんと降り、棚から人形を取って遊び始める。
「栞、どした?顔色悪いよ」
瞬きをしても、心配そうなカンナの顔がくっきりと見える。栞は安心して、
「なんか、気が抜けちゃったのかも」
「そうだなー」
カウンター横の扉が開き、私服に着替えた大晴が出て来た。
「お、お疲れー」
「あ、カンナさん店からまた花くれたんですか?」
「きれいだろ」
麦茶を持つカンナの手の甲を大晴が指差して、
「手荒れひどいじゃないですか」
カンナは切り傷がついた両手を目の前にして、やけに嬉しそうに、
「そうだな」
「薬塗りましょうか」
栞が席を立つ。
「絆創膏もくれ」
リュックを背負った大晴は振り向きながら、
「お疲れ様でしたー」
「はーい」
エプロンを外した栞は、カウンター横の扉を開け、棚から薬箱を持ち出す。台所の端に置かれた鏡に映る崩れた髪を見て、一度薬箱を置き、直し始めた。横を向きながら調節していると、直す左手が徐々に薄くなって半透明になっている。それに気が付き手が止まった。
「あ……」
栞は呼吸が浅くなりながらも、直に見ようと手の平をゆっくりと下ろすと、元に戻っていた。バクバクと鳴る心臓の鼓動が耳にまで届く。左手の拳を包むように胸の前で両手を握って、栞は目をぎゅっと閉じた。
*
大晴が病室に入ると、加津がすでに横になっていた。
「なんだー。もう終わっちゃったの?」
真千子は洗濯かごから服を畳んで紙袋に入れている。
「先生が早く来れたらしくてね」
「ばあちゃん、リハビリ疲れた?」
加津は淡々と、
「うん」
「外、行く?」
「ううん」
「そっかあ。まあ、元気ならいいんだけど」
「あんた、今日もバイトなんでしょ?」
「え、う、うん」
病室から見える、白い校舎が目に入る。
「早く行った方がいいんじゃない?」
「う……うん。そうするよ。今日はばあちゃんの顔が見たかっただけだから」
「そう」
「本当は一緒に散歩でもしたかったけど」
窓のカーテンを閉め直しながら真千子は口元が綻ぶ。振り向くといつも通りのへの字の口で、
「勉強は?」
「やってるよ、もちろん」
大晴の声が裏返る。
「ならいいのよ」
「じゃあ、先に出るから」
「気を付けて」
大晴は首を捻りつつ病室を後にした。
*
夕暮れ時、最後のお客さんが帰ったテーブルを片付けながら、大晴はカウンターの方を向く。
「今日はカンナさんバイトだったんですか?」
「そうです。もう外のボードも入れておいてください」
大晴がおぼんに乗せた食器をカウンターに運ぶと、棚にカップを戻そうと伸ばす栞の手が半透明になっているのが目に入る。栞の手からカップが落ち、派手な音をさせて割れた。
「ダメですね、ぼーっとしちゃって」
泣きそうな顔で笑顔を作る栞は、透けた手を隠すようにするが、大晴は栞の手を目で追っていた。栞がカップを拾おうとしゃがもうとすると、大晴はカウンターに足早に入り、栞を後ろから抱きしめた。
「大晴さん……?あの、離してください」
「いやだ」
「え……どう、したんですか?」
「無理して笑わないで」
開きかけた口を閉じ、栞の表情が曇る。大晴は一層強く抱きしめ、上擦った声で、
「ずっと、一緒にいてください」
栞は目を見開き、首に回された大晴の腕を掴む。色がまだ薄いが、手は元に戻っていた。
「……ずっとは無理ですよ。だってもう……」
「だったら本当の栞さんの所に行く」
栞は涙声で、
「……馬鹿」
大晴がその声にはっとし腕の力を緩めると、栞は振り向くが、そのまま顔を大晴の胸に埋める。
「どこですか。俺、どこでも」
「教えません」
「なんで……」
「後、どれくらいいられるか、分からない」
涙がこぼれ落ちる栞。
「それでも、一緒にいたい」
大晴は拳に力をこめる。目にいっぱい涙を溜めた栞は泣くのを堪えながら大晴を見上げた。栞は震えた声で、
「私があなたを分からなくなっても?」
「うん」
「あなたの重荷になるだけでも?」
「うん」
「あなたを苦しめる存在になっても?」
「……うん」
力強く栞を抱き寄せる。
「私はいや……!」
ボロボロと涙を溢す栞は大晴の背中に腕を回し、力いっぱい抱き付いた。栞はしゃくりあげながら、
「……た、いせいさんは、大晴さんのっ、人生を生、きてください」
「もう無駄だって」
小さく笑う大晴。
「どこにいても見つけるから」
目を真っ赤にした栞の頭からすぅ……と消え、大晴は残った着物と時計を強く抱き締める。窓辺に差し込むオレンジ色の夕日がやけに眩しかった。




