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「アンタ。私のこと馬鹿にしてんの?」
金髪の美女に呼び出された杏鶴を追いかけた先には、立派な横長のリビングがあり、開放的な空間に、幾つかの気配を感じ取る。
本来なら家族団欒の場所なのに、和やかな雰囲気とは無縁の空気が流れていた。
雪翔の斜め前に立って、冷め切った無機質な目を正面に向ける杏鶴。
そんな彼女と対面し、アームチェアに頬杖を突いた金髪の女性。
離れたソファーに座り、上等なティーカップに口を付けている穂鷹。
そして、もう一人。
部屋の隅っこで体育座りをして、膝の上でスマホを操作している、パーカーのフードを目深に被った華奢な少女。
ここには、柚鳥家の四姉妹が一堂に会していた。
それなのに、互いが互いを意に介さない。
起きている出来事を他人事のように観測している。
今正に、兄弟喧嘩が怒りそうな緊迫感の中で。
「……千隼。主語なく話すのは止めてください。大学生にもなって、察してもらわなければ、まともな会話もできないのですか?」
開幕から杏鶴の毒舌が冴え渡る。
手加減のない鋭利さは、彼女の苛立ち、不満、反抗の意思を露わにしていた。
その迫力に蚊帳の外である雪翔が息を呑んでしまう。
一触即発の距離感に、嫌な汗が背中を伝っていく。
千隼と呼ばれた実の姉を焚きつけることに、一切の躊躇がない。
雪翔も彼女には、様々な苦言を呈されてきたけれど、そこには杏鶴なりの手心が加えられていたのだと、こんな場面で思い知る。
それだけ、二人の仲は険悪であった。
「はぁ? 分からないとは言わせないわよ……」
一方の千隼も分かり易く敵意を剝き出しにして、唇を噛んで見せる。
今にも飛び掛かってきそうなのに、杏鶴は飄々とした態度を崩さない。
「さっぱり見当もつきません。私が何をしたと言うのです?」
それがまた怒れる美女を掻き立てた。
「はぐらかしたって誤魔化せないわ。私の物を勝手に捨てたでしょ!!」
「私の部屋に放置されていた。持ち主の分からないスクラップは廃棄しましたね。生活する上で邪魔でしたので」
「それが私の化粧道具だって言ってんのよ!」
「自分の持ち物だと言うのなら。自分の部屋できちんと管理するべきでしょう。私の部屋はあなたの物置ではないのですから」
「何か月も帰ってなかった癖に。何が自分の部屋よ。何で帰ってきた訳?」
激しい剣幕の応酬に、雪翔の割り込む隙もない。
間髪を入れず、杏鶴が言い返す。
「あなたこそ。彼氏と同棲していたのでは?」
「なっ……」
「もしかして。愛想を尽かされてしまったのですか」
「チッ。 アンタぁ……」
「フラれた腹いせに私に当たるのは止めてください。酷く迷惑です」
「ムカつく。昔から生意気なのよ。二度と帰ってこなくてよかったのに……!」
沸々と煮え滾る憎悪が、苛烈な炎を立ち昇らせる。
これは良くない。
そう身構える雪翔に呼応するように、千隼がゆらりと立ち上がった。
それから一歩踏み込んで、一直線に杏鶴に迫る。
遅れて付いてきた右腕は、大きな放物線を描いて、バチンッと。まるで電流が流れたかのような破裂音を響かせた。
「いってぇ……」
雪翔の身体はぐらりと揺れて、堪え切れずに尻餅を付く。
左頬を抑えながら顔を上げれば、痛みでぼやけた視界の中に、顔を真っ赤に染めた千隼と、目を丸くした杏鶴が映っている。
それとは別の、複数の視線にも晒されているような気がした。
「何なのよ! 邪魔しないで!?」
見ず知らずの他人を平手打ちしておいて、悪びれる素振りも一切ない。
寧ろ、杏鶴を庇った雪翔に対し、全ての攻撃性が集中している。
「さっきから目障りなんだけど。アンタ。何なの?」
まるで自分が王様かのように振る舞う姿は、如何にも独善的で。
杏鶴とは、水と油の関係なのだと思い知る。
杏鶴の口をもう少し悪くして、攻撃性を加えれば、彼女みたいになるのだろう。
顔立ちはそっくりなのに、性格は少しずつ違う。
千隼は明らかに、他の姉妹よりも荒々しい性格をしているのだろう。
他者を傷付けることに容赦がなく、神経を逆撫でする言葉で雪翔に詰め寄る。
「この出来損ないの彼氏かなんか?」
「その方は、杏鶴の先生です」
「じゃ。部外者じゃない。私達家族の問題に首突っ込んできてんじゃないわよ」
義務的に補足する歩鷹の言葉に、千隼が一層顔を顰める。
彼女ら姉妹の間で、唯一共通しているのは、杏鶴に興味がないこと。
何も知らない。気にもならない。考えたことすらない。
だから、こんな馬鹿げた嘘がまかり通ってしまう。
それが何より物悲しい。
「俺は……、部外者じゃない」
それを否定したところで意味はない。
雪翔が杏鶴の彼氏だと宣ったところで、現状は何も変えられない。
だからこそ、声にしなければいけなかった。
何に代えても、その言葉だけは否定する。
「俺は、この子の保護者だ」
杏鶴を背に立ち上がる。
雪翔は、彼女と、彼女達と。正面から向かい合った。
空気は静まり返り、ティーカップを置く硬質な音が寂しげに響く。
「……何言ってんの? 公私混同ってヤツ?」
千隼の表情は、困惑の色に染まっていた。
その感覚を嫌がるように、瞳は鋭く細められ、吐き出された言葉には、確かな軽蔑が込められている。
一人の少女に固執し、保護者などと言い出す雪翔は、不審者でしかないだろう。
杏鶴にだって、同じ顔をされているのかもしれない。
彼女とはまだ喧嘩の真最中なのだ。
「そう……。やっぱり、杏鶴の男ってことね……。へぇ。アンタもやるようになったじゃない。男に付け入って、巧く利用するなんてさぁ」
妙に納得したように、不快な笑みを浮かべて、早口に捲し立てる千隼。
その声は、誰の元にも届かずに、部屋の四隅に霧散していく。
一人で踊る彼女の様は、滑稽な舞台を見ている感覚と似ていた。
「な、なによ……」
そう言って凄んで見せるけれど、怒りを圧倒するに恐ろしさが足りていない。
この世の中で、少女の泣き顔ほど怖いモノはないのだから。
「杏鶴はそんなことしないさ」
男に取り入ることが出来るのなら、もっと優しくして欲しいものだ。
「甘えるのが凄く苦手で」
すぐに弱音を隠すし、無茶をし過ぎてしまうから困り物で。
手抜きを知らない愚直さに目が離せない。
「ひた向きに努力が出来て、頑張り過ぎなところが逆に欠点なくらいで。見てるこっちが大丈夫かって心配になる。そんな子なんだ」
彼女のことを、もっと知って欲しい。
その努力を見てあげて欲しい。
彼女を拒む環境は、雪翔が受け入れない。
一欠けらの希望でしかないとしても、世界が優しくなるように言葉を紡ぐ。
「頑張り屋さんな杏鶴を。君達の妹を。お願いだから。貶めないでくれ」
それさえあれば、仲直りができなくてもいいから。
杏鶴が杏鶴らしく居られるのなら、さよならだって構わない。
けれど、
「ーーで」
千隼の肩は、わなわなと震えている。
部外者である雪翔の言葉で心を動かせるなら簡単な話だ。
こんな風になるまで拗れてなんかいない。
「知ったようなこと言わないでッ!!」
爆発した千早は、力任せに腕を振るう。
雪翔を目掛けて飛んできたそれは、先程よりも強烈な痛みを。
視界が飛ぶ程の衝撃を、まだ熱の残った左頬に刻み付けた。




