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夏の美容院を出た雪翔は、英蓮高校の生徒も登下校で利用するバスに乗り込み、市街地から南下する。仕事や学校帰りの時間帯と噛み合って、バス内は多少混んでおり、着席することはできなかった。
手持無沙汰な時間は、流れていく景色を眺めながら過ごす。
混雑した状態であっても、人の声ははっきりと聞こえてきて、ちらりと話し声の方を一瞥すれば、見知った制服を着ている少女が二人。スマホの画面を見せ合いながら、楽しそうにお喋りをしている。
彼女等が何年生かは分からないが、少なくとも杏鶴よりは幼く見えた。
「次は栗林公園前~。栗林公園前~」
程なくして、雪翔が降車するバス停に辿り着き、人波に沿ってバスを降りる。
丁度良く青信号になった横断歩道を渡り、ガソリンスタンドの脇道を進む。
ずっと東に歩いていけば、琴電琴平線の線路が通っており、人通りが増えてきた。高校や中学校等の教育施設が集まっていることもあって、学生が多い印象だ。
その近くにある住宅地に、杏鶴の自宅はあった。
「ここか」
絢爛な門扉が構えられた一軒家は、レンガ調のタイルに囲まれ、広々とした庭を有している。屋根付きのカーポートまで備え付けられている優雅さで、外観から確認できる二階部分には、十分な広さのバルコニーまで見えていた。
何処を取っても立派な家屋だ。
ここに今は、杏鶴を含めた四姉妹で暮らしていると言うのだから、持て余しているのではないかと思う。今では、杏鶴もいないのだから。
今も、帰ってきてはいないのだろうか。
自身の家に居場所がないと言っていた姿を思い出せば、期待は薄い。
僅かでも手掛かりが得られれば御の字と思うべきだろう。
元気な姿を姉妹の誰かが見ている。それだけでも、少しは安心できそうだった。
「……さてと」
ただし、会話をするためにも、雪翔は準備をしなければいけない。
ここでもやはり、杏鶴との関係性を開けっ広げに話す訳にはいかないのだ。
「ふぅー。俺は教師。俺は教師」
そう暗示をかけて、身嗜みを整える。
不審者だと通報されれば一貫の終わり。
リスクだけは飛びきり高く、得られる物があるとも限らない。
それを全て承知の上で、嘘を演じる覚悟を決めた。
杏鶴の嫌う嘘で、彼女を探し求める。
シナリオはこうだ。
雪翔は、杏鶴の担任教師であり、連日の欠席を心配して、お見舞いにきた。
その設定を、自分の中に落とし込む。
些細な違和感で崩壊する作戦だ。
それを承知で足が止まらない雪翔は、何処かおかしいのだろう。
寝ていない頭が、ストッパーを壊してしまったのかもしれない。
「よしっ」
夏がセットしてくれた、ビジネスマン風の髪型を整え、インターホンのボタンを押す。
そのまま待つこと十秒。
ノイズの音で通話状態に切り替わり、「はい」と、端的な返事が返ってきた。
その単調な声は、少しだけ杏鶴に似ているような気がする。
「初めまして。杏鶴さんの担任をしております、和泉と申します」
「……何の御用でしょう?」
「杏鶴さんがここ数日体調を崩しているようなので、少しお見舞いにと」
「そんな連絡は受けてませんが」
「す、すいません。仕事を片付けて、急いで学校を飛び出したものでして……」
柚鳥家の自宅の電話番号など知る筈がない。
杏鶴の携帯の番号すら、雪翔は知らないのだ。
とは言え、言い訳にしても信憑性が薄い。
悪質な悪戯であると思われないよう、補強する必要がある。
「失礼ですが、杏鶴さんのお姉さんでしょうか?」
「はい。挨拶が遅れてしまい申し訳ありません」
「いえいえ。ご両親がお仕事で不在の間、御兄妹だけで生活されていると聞いております。御多忙なお時間の中、本当に申し訳ありません」
「……」
「お時間は取りませんので、少し杏鶴さんとお話しできませんか?」
「……分かりました。中へどうぞ」
「あ、ありがとうございます……!」
抑揚の感じさせない声で言って、プツっと通話が切れる。
「……えっと?」
雪翔が得た柚鳥家の知識を総動員した結果、どうにか不審者として疑われることはなかったようだ。しかし、こんなにも簡単に上げてくれるとは予想外。
何かと理由を付けて追い返されると思っていたが、存外あっさりとしている。
杏鶴が家にいないのであれば、それを隠したいと考える方が自然だが。
雪翔を招いても問題がないのか。
抵抗がないのか。分からない。
状況次第では全てを打ち明けて、協力を求めるつもりだが。どうなるか。
「いるのか? 杏鶴」
緊張が増すのとは裏腹に、通話が切れたきり進展がない。
許可は得られた筈なのだが、出迎えに来くれたりはしないらしい。
「お邪魔します……」
びくびくしながら門扉に触れると、鍵は掛かっていなかった。
円滑に開閉する扉を押して、石張りで仕立てられた通路を歩く。
改めて玄関の前に立つと、見計らっていたかのように扉が開いた。
「初めまして。杏鶴の姉の歩鷹と言います」
そこに立っていた、美しい女性に息を呑む。
間違いなく、彼女は杏鶴の姉だろう。
それが一目で分かるほどの面影が随所に見受けられる。
絹のようにサラサラの白い髪は腰まで伸びて、雪翔のことを凝視する赤い瞳が、宝石みたいに凛と煌めく。
出会った頃の刺々しかった杏鶴を更に研ぎ澄まして、洗練させた容貌。
メリハリのある体型に、仄かに香る香水の匂い。
杏鶴が何事もなく育てば、きっと、これだけ綺麗になるのだと思う。
「こ、こんばんは。お邪魔します」
あまりに美人過ぎて別の緊張感が湧き出す。
人と関わることには慣れているのに、委縮してしまいそうな迫力だ。
「こちらに」
そう案内されて、靴を脱ぐ。
上がり框に足を乗せると、歩鷹は踵を返して歩き始めた。
「……えっと。杏鶴さんの体調はいかがですか?」
「良くなっていますよ。御足労いただいて申し訳ありません」
「季節の変わり目ですから。……少し。長引いてしまっているようですけど」
少し踏み込んでみても、前を歩く彼女に動揺は見られない。
興味も。関心すらも。
「落ち着いているようでしたら、提出物関係の話もできそうですね」
何もかもデタラメだ。それでも退かない。
そして、
「ええ。ご自由にどうぞ」
歩鷹も拒まない。
彼女の様子は微塵も変わらず、淡々と言ってのける。
「そ、そうですか。ありがとうございます」
その発言に、雪翔の方が面食らってしまう始末だ。
杏鶴との再会が、俄かに現実味を帯びていく。
予想してなかった展開に、どっと汗が噴き出すのを感じる。
「どうかされましたか?」
「あぁ。いや。ご迷惑になるかなと思いまして……」
「あの子を気に掛けて来られたのですから。直接会っていかれては?」
それが彼女の優しさなのか、事務的な処理なのかは、雪翔には判断できない。
考えている余裕もなかった。思考が乱雑とし始めて、喉が渇く。
リビングの手前から階段を上がって、二階へ。
左右二つずつある部屋の右奥まで進み、歩鷹が止まる。
扉のプレートには、たどたどしい文字で【あんずのへや】と書かれていた。
「杏鶴。担任の……、先生がお見舞いに来てくれていますよ」
コンコンと小気味良いノック音を響かせながら、声をかける歩鷹。
生憎雪翔の名前は覚えてもらえなかったらしい。その方が好都合ではある。
「……寝てますかね?」
反応が返ってこない。
そのせいで気を揉む時間が生まれてしまうが、そんな不安も一瞬で終わり、カチャッというか細い音が、いやに静かな廊下に反響する。
扉が開くと、そこには間違いなく、俯き加減の杏鶴が立っていた。
「あなたのお見舞いに来てくださったのです」
「……」
彼女は一言も発しない。
それが、彼女達の関係を示す温度感だ。
その先に何かが生まれることはない。
用件は終わったとばかりに歩鷹は振り返り、階下に降りて行ってしまう。
残されたのは、俯いたままの杏鶴が一人。
「……帰ってたんだな」
居場所がないからと逃げ出した場所に彼女はいる。
その表情には、全てを諦めたような悲哀が滲み出していた。
「こんな所まで探しにくるなんて。非常識な人ですね。ストーカーですか?」
「悪い。もう一度だけ。杏鶴と会いたくてさ」
気取った台詞もまるで恰好付かない。
お道化たピエロにもなれなくて、クスリとも笑ってはくれなかった。
寧ろ、明らかな敵意を孕んで、雪翔を睨む。
「私はもう二度と。あなたに会いたくはなかったです」
数日振りに再開した少女は、出会った頃と同じ、とても冷たい目をしていた。




