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 仕事終わりの帰り道。

 高松駅を出て広場を進み、駅駐輪場の前を通り過ぎる。

 午後にかけて天候は悪くなり、夕方になって小雨がぽつぽつと降り出していた。


 折り畳み傘の生地を叩く雨音を聞きながら、水溜まりを避けて歩く。

 天候のせいか人通りは少なく、代わりに車の交通量が増えている。

 頻りに行き交うヘッドランプに照らされると、少し前を歩く赤い傘を持った少女が見えた。


「あ……」


 自分と同じように雨を凌ぐ誰かは、雨降りの下で綺麗な白髪を煌めかせる。

 こんな日こそ雨を弾くウインドブレイカーを着ればいいのに、彼女は制服に身を包んでいた。


 歩幅の違いか。このままの歩調で歩けば、すぐに追いついてしまいかねない。

 雪翔は意図的に速度を落とし、落ち着かない視線を彷徨わせた。

 意味もなく空を見上げてみても、生憎の曇天で気持ちは晴れ晴れとしない。

 寧ろ、風に吹かれた雫が目に入ってしまう始末だ。

 

 傘は少し前傾させて歩いた。


「……今日も蒸し暑いな」


 直近で発生した台風は、特別大きな被害も出さずに北上したが、僅かな影響を残している。


 秋の気配を前にして、夏の残り火が最後の足掻きを見せていた。

 この台風が温帯低気圧に変わる頃に、秋の始まりが告げられるのであろう。

 丁度良く、秋分の日も近い。


「その頃には……」


 変わってしまうモノもある。

 生きていればこそ、変化は免れないものだ。

 そして、少しずつ順応していく。


「……」


 青いコンビニの前を通り過ぎ、交差点の角を曲がる。

 その死角に、赤い傘が置かれていた。


「うおっ」


 撒菱のように設置された罠を寸でのところで回避し、足を止める。

 しかし、それは見透かされており、二段構えの要領で、学生鞄が振り子のようにして飛んできた。雪翔は反応できず、腹部に重い衝撃を食らわせられる。


「おぅふ」

「遅いです」


 雪翔がいつの間にか追いついていた訳ではない。

 元より存在に気付いていた彼女が待ち伏せをしていたらしい。


「何避けようとしてるんですか」


 傘を肩に掛けて、杏鶴が顔を上げる。

 その瞳は分かり易く細められていて、明らかな不満を発していた。


「いやっ。別に避けた訳じゃ……」


 彼女は一度も振り返ってなかったように見えたけれど、雪翔の思慮不足であったみたいだ。


「ほら。この前来た警官がパトロールを強化するみたいなこと言ってたからさ」

「どうせ同じ道を辿るのです。他人として振舞うのは逆効果だと思います」

「そ、そうかな? まぁ。一理はあるかも……」

「堂々としていれば、怪しまれることもないですよ」


 そう言い切って、踵を返す杏鶴。

 そのままアパートに向かって、ゆっくりと歩き始めた。


「何よりも。今更だと思います」


 自分の家に帰るような足取りで。


「……確かに」


 雪翔も幾らか駆けて、杏鶴の隣りに並んだ。


「杏鶴がウチに来てからもう一か月くらい経ったっけ?」

「いえ。丁度二週間くらいです」

「えぇっ。まだそんなもんだったか。時間の経過が遅くなった気がする」


 夏の終わりに彼女と出会い、色んなことがあったから、もう随分と長い間一緒に過ごしたような気がする。大学を卒業してからは、同じような一日を繰り返す日々で、時間の流れが速くなったように錯覚したものだ。


 特筆すべきことのない一か月は、気にも留めない内に過ぎ去ってしまうけれど、この二週間はとても濃密な時間だった。

 きっと、何年先も忘れることはないだろう。


「私も。あっという間でした」


 彼女は、まっすぐに目の前を見据えて言う。

 その瞳は力強く、凛とした雰囲気を纏っていた。


「目が回るような毎日で。顧みる時間もないくらい」


 それと同時に、確かな疲労感も見て取れる。


「あ、杏鶴。昨日の。その……、ごめんな?」

「掘り返さないでください。もう忘れましたから」


 水を差されたというようにムッとした杏鶴が反対側に首を回す。

 不注意な発言で、記憶を呼び起こしてしまったらしい。

 ここでの謝罪は、雪翔の自己満足に過ぎなかったのかもしれない。

 

「……そうして貰えると助かる」


 情けない落ち度など記憶から消してもらうに限る。

 

「俺は……、最後まで。杏鶴の嫌いな。駄目な大人だったよな」

「……突然どうしたのです?」

「今日は、久々に自分を顧みる日なんだよ」


 鹿奈に絞られて、自分がどんな人間であったかを自覚した。

 杏鶴にとって、雪翔は理想の存在とは程遠く、理解出来ない存在だっただろう。


「沢山迷惑かけた」

「止めてください。気持ちが悪いです」

「おいおい。言い過ぎだろ」


 彼女と視線がぶつかる。

 赤い瞳は、戸惑いの色を浮かべて揺れていた。


「あはは」


 雪翔の乾いた笑い声が、雨音の中に虚しく響く。

 

「杏鶴に良い話を持ってきたんだ」

「……」

「ついでに悪い話も付け足そう。良い話と悪い話。どっちから聞きたい?」


 本当は、夕飯の時にでも話そうと思っていたけれど、今話そう。 


「また。何かのおふざけですか」

「違うって。選ばないなら俺が勝手に決めるぞ?」

「……」

「あー。でも、悪い話の内容は考えてなかったや。はは」

「一体何なのです……。やはり、ふざけていますよね?」

「ふざけてないよ。人生で一回くらいは言ってみたくてさ」


 会話が上滑りしていく薄ら寒さを感じる。

 それを埋め合わせするように、雪翔は更に言葉を続けた。


「じゃ。まぁ。本題になるんだけど」

「……本当に良い話なんですよね?」

「え?」

「雪翔。話したくなさそうに見えますけど」

「そんなこと……」


 ない。と言いかけて、喉の奥が引っ掛かる。

 雨足は徐々に勢いを増し、騒音にも似たノイズが、不快なくらいに騒々しい。

 頭の中は思考で溢れ、だからこそ、考えることを放棄してしまう。


「いや。杏鶴にとっては、本当に良い話だよ」


 そこで、一呼吸置いて、言葉を紡ぐ。


「神谷がさ。杏鶴と仲良くなったろ?」

「鹿奈さん……? ま、まぁ。そうとも言えるかもしれません」

「おー。もしや照れてるのか?」


 見知った名前に僅かながら緊張を解いて、杏鶴がはにかむ。

 だからもう。彼女の顔は見えなかった。

 言い淀んでしまわないように、一息で捲し立てる。

 

「それでさ。神谷が杏鶴の面倒を見るって言ってくれてるんだ」

「……え?」

 

 誤魔化すように前を向く。

 この選択が、前向きな物であると言いたくて。


「俺には任せられないらしい。厳しいんだよ。あいつ」


 雨音に掻き消されてしまわないように声を張り、自虐的な笑みを浮かべる。

 その表情を、杏鶴に見せることもできないのに。

 

「あいつも物好きだよなぁ。こんな厄介事に自分から首を突っ込んで」

「……」

「でも、願ってもない話だ。杏鶴にとっては特に」

 

 彼女が、社会的な自由を手に入れるまで身を置く環境として、この上ない条件だ。これ程のチャンスは、二度とやってこないだろう。


「正直。いつか後継者は見つかると思ってたし。それが信用できる神谷だったら、杏鶴のことも安心して任せられる」


 名残惜しくないと言えば、嘘になってしまうけれど。

 これ以外の最良な選択肢は思いつかない。

 

「まさか。こんなに早く見つかっちまうとは思わなかったが」


 そこまで言い切って、いつもの曲がり角を通り過ぎていたことに気が付く。

 慌てて立ち止まって隣りを向いても、杏鶴の姿は見当たらない。

 振り返った道路の真ん中で、彼女は立ち尽くしていた。


「杏鶴……?」

「雪翔の。意志ですか」


 雨のカーテンに阻まれる中で、鈴の音のような声だけが、やけにはっきりと聞こえてくる。


 真意を問い正す言葉は、雪翔の足を水溜まりの中に縫い付けた。


「……俺がどうかなんて関係あるか?」

「そんなこと知りません」

「分かんねぇ……。杏鶴がどうするかは、鹿奈と二人で決めてくれ」


 それが、一番実のある話合いになる筈だから。


「いいえ。もう充分です」

「急いで決める必要は……」

「この二週間。迷惑ばかりかけてごめんなさい」

「……」

「お世話になりました。さよなら」





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