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「本当に今日。雪翔の友人がいらっしゃるのですか?」

「ああ。そろそろ来るんじゃないかな」

「……私が同席していていいのでしょうか」

「そんなの承知で呼んでるんだから。いいに決まってるだろ?」


 定例会の開催は、週末の九月十五日に、雪翔の家で行われることになった。

 客人達は仕事終わりにやってくる予定で、今は十九時を過ぎた頃。

 直に到着してもおかしくはない時間帯だ。


「神谷の件で信用できる奴には知っといて貰っても損はないって分かったし」


 困った時に手を貸してくれる存在は、多いに越したことはない。

 勿論。それは相手を選ぶので、苦楽を共にした劇団のメンバー以外に打ち明けるつもりはなかった。


「……」

「面倒くさかったか?」

「いえ……、そういう訳ではないです」

「なら。少し緊張してたり?」


 今日の彼女は、普段よりそわそわしている。

 表情が硬く見えていたのは、気のせいではなかったらしい。

 

「……受け入れて貰えるものなのでしょうか」

「心配すんな。俺の友達だぞ?」

「変な人達の集まりってことです?」

「まぁ。正直否定はできないな。俺は違うけど」

「あなたは寧ろ。親玉のような存在でしょう?」 

「俺のことを巨悪みたいな言い方するなよ」 

 

 今日やってくるのは、大学卒業後も連絡を取り合っている友人達だ。

 雪翔にとっては、人生で最も濃密な時間を過ごしたと仲間であると言える。


「劇団ピザ……、でしたっけ?」

「ピ座な。覚えやすい名前だろ?」

「ただのダジャレですよね?」

「まずは名前で一笑い」

「私だったら真顔になってます」

「ひ座かピ座かで採決を取ったんだよな」

「どうして誰からも止められなかったのです……?」


 雪翔が名付けた劇団ピ座の命名センスに杏鶴が絶望している。

 その呆れっぷりは、夕飯を作る手が止まってしまう程だ。


「焼豆腐ってこんくらいの大きさで切ってけばいいのかな?」

「はい。あまり小さいと崩れてしまうので、一口大で構いません」

「へーい。これ終わったら白菜とキノコも切り分けとくよ」

「お願いします。できた物から鍋に加えていくので」


 コンロにココット鍋を置いた杏鶴が、火加減の確認を行っている。

 横から中身を覗くと、焼き色の付いた長ネギと程よく火の通った牛肉が寝かされており、香ばしい匂いがキッチン中に広がっていた。


「最早塩胡椒だけでも美味しく食べられそうだな」

「間違いないとは思いますが、今日はすき焼きを作るのでしょう?」

「そうだった。仕事終わりで腹減ったから早く食べたくて……」

「もう少しの辛抱です。我慢した後には、より美味しく感じられますよ」

「それはそうなんだけど。こんだけ近くで美味い匂いを嗅がされると……」

「夕飯作りを手伝うと言ったのはあなたでしたが?」

「だってさー? 今日は人数多いし、四人分は流石に大変だろ?」

「……そう思うのでしたら、最後まで堪えてください。自分の言葉にはーー」

「責任を持てね。はいはい……。分かってますとも……」

「それは何よりです。そこの割り下を取ってもらっていいですか?」


 雪翔への相槌もそこそこに、てきぱきと作業を進めていく杏鶴。

 相変わらずな塩対応だけれど、手伝いを名乗り出たのは自分自身なので、途中で投げ出すのは格好悪い。

 

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 透明な容器を手渡し、杏鶴がそれを鍋に注ぐ。

 中身は、醤油とみりん。砂糖と水が混ざった物で、ぐつぐつ煮え始めてくると、カットした焼き豆腐や白菜。しめじを投入していく。


「家ですき焼きって贅沢な感じするよな」


 焼き豆腐が裏返される様を眺めながら、そう呟く。

 思い出すのは自分が学生だった時代で。

 あの頃は、何もしなくたって美味いご飯が食べられていた。


「我が家では、特別な日にしか作ってくれなかったよ」


 和泉家ですき焼きが食卓に並ぶのは、高校の入学式とか、年末の大掃除を終えた後とかで、口にする機会はそれほど多くなかったと思う。

 

 それ故に情緒的な思い入れがあって、家族みんなで鍋を囲み、他愛のない話を交わしていた当時の情景が、不思議と鮮明に思い出された。


「妹と肉の奪い合いをしてたのも懐かしい」

 

 お兄ちゃんなんだから我慢しなさいと、最終的に軍配が上がるのは、妹だったことも含めて。

 

「そういうの」

「ん?」

「少しだけ羨ましいです」


 記憶の中にいる自分と近い年頃の少女は、表情も変えない。

 そこに悲痛な嘆きはなく、だからこそ、羨望という感情だけが浮き彫りになっていた。


「私が物心ついた時にはもう両親はいなかったので」


 彼女らの間には、関わり合うことを許さない物理的な距離があって。

 それがあるから、彼女の両親も、杏鶴にだけは甘かったのかもしれない。


「……そういや。柚鳥家では、兄貴がご飯を作ってくれてたのか?」

「ええ。まだ学生だった兄が家事をしてくれていましたね」

「本当に何でも出来る兄貴だったんだなぁ」

「ただ、料理は得意とまではいかなかったみたいで」

「へぇー。なんか意外だ」

「幾つかの献立がローテーションしていて。特に多かったのは……、カレーライス」


 そう言って、ほんの僅かに瞳を伏せる。

 まるで、その時は二度と訪れないと言うように。


「じゃ、楽しみだな」

「……何がです?」

「次。兄貴が帰ってきた時がだよ」


 憂いを無視して、雪翔は笑う。

 突拍子もない言動に対し、杏鶴は眉を顰めていた。

 そんな視線も気にならないくらい、明るい未来を思い描く。

 

「杏鶴が兄貴にカレーライスを振る舞ってさ。美味しく作れるようになったってことを知ったら。きっと……。すげぇ喜んでくれるんじゃないかな」


 そんないつかが待ち遠しい。

 弛緩した口角が戻らない程に。


「へっへっへっ」


 不気味に笑い続ける雪翔。

 その様子を一瞥して、杏鶴の視線は手元よりも遥か下に落ちた。


「その時は、あなたも……」

「俺も?」

「……いえ。どうかしてました」


 何かを言い掛けた言葉は、彼女によってなかったことにされる。

 確かな息継ぎは、話の区切りのようで、追及を止して見守っていると、杏鶴は緊張を解すみたいに深く息を吸い込んでいた。


 それから、柔らかい微笑みが浮かべる。

 

「今の私の技術では、満足してもらえない可能性があります」

「いやっ……。どんだけ舌が肥えてんだよ」


 そんな顔をして自分を陥れるから、つい反射的に突っぱねてしまったけれど、彼女の声は寧ろ弾み始めている。続く言葉は、小気味良いリズムで紡がれた。


「だから。雪翔は、これからも私の練習に付き合ってくださいね?」


 強引な言い方をする癖に、窺うような視線が近付く。

 答えは考えるまでもない。

 それなのに、喉の奥で何かが引っ掛かった。


「……あ」


 閉塞感を無理やり抉じ開けようと口を開き、しかし、言葉にするには時間が足りない。


 雪翔を待たずして、ピンポーンと、来客の到着が知らされた。

 一瞬の間。雪翔が動けずにいると、すかさず扉がドンドンと打ち鳴らされる。


「え。借金取りですか……?」


 あまりにも遠慮なく叩くから、杏鶴も半身で振り返って、この感想。

 その騒々しさに促され、雪翔の足も玄関に向いた。


「……俺の友達の筈だけどな」


 物騒な雰囲気にあてられ不安になるが、幸い借金とは縁がない。

 ドアノブに手を掛けて、恐る恐る扉を開く。


 そこにはやはり、見知った顔の男が二人。肩を並べて立っていた。


「あのね? むかしっからそうなんです。変わらない奴なんです」

「そうですかぁ。そいつは、あんたも気を揉んでしまうだろう?」

「でもね。言ったって聞きゃしない。痛い目見たって堪えてねぇんだ」

「そうですかぁ。だけど、そんなところも嫌いじゃないんだろう?」

「人たらしってやつなのかねぇ。罪な男だよ」

「……」

「……」


「「えへへへへへへへ」」


 やけにしゃがれた声で喋る二人が、同時に身体を仰け反らせて爆笑。

 自宅前で行われる狂気に理解が追いつかず、危うく脳を破壊されかけたけれど、寸でのところでどうにか正気を保てた。

 背後からは、「やっぱり、変な人達です……」と怯えた声が聞こえている。

 

「……ナツ。アツシ。人の家の前でいきなり漫談を始めるな」


 級友達は、昔から何も変わらない。

 それ故に、少し刺激が強すぎたみたいだ。





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