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六章『劇団ピ座』
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『朝夕はめっきり涼しくなりましたが、お風邪など召していらっしゃらないでしょうか。毎年楽しみにしている、秋刀魚が美味しい季節になりましたね』
仕事終わりを見計らって送られてきた長文メッセージは、鼻につくほど畏まっていて、中身のない挨拶部分が九割五分を占めていた。
幾らスマホの画面をスクロールしても中々本文に辿り着かない。
これがただの悪戯メールなら、無視をしてもいいのだが、送り主に旧友の名前が表示されている以上、隠された連絡事項を探さなければならず、並のスパム以上に質が悪かった。
これをアカウントの乗っ取りだと考えないのは、これが初犯ではないからだ。
毎度お馴染みのやり口に、またやりやがったなの気持ちが禁じ得ない。
「うぜぇ……」
我慢できずに、率直な言葉も溢れ出してしまう。
『つきましては、おまえとの更なる親睦を深めたく、ご多忙のことと存じますが、季節毎に開催されている定例会を、今回も開催したいと思っております』
「頼むから。それを一番最初に持ってきてくれ」
ようやく文末にたどり着き、予想通りの内容に悪態を吐く。
続く文章はこうなっていた。
『ご都合の良い日は、改めてナツ様にまでご連絡ください。お店の希望も受け付けております。私めの個人的な意見としましては、美味しいお肉が食べたいです』
「秋刀魚じゃねぇのかよ」
そう最後まで律儀に突っ込んで、ふぅと短く嘆息する。
身体の疲労度を鑑みるに、この僅かな時間で、かなりのストレスを被っていた。
「行儀が悪いですよ。食事中に携帯を見るのは」
苦言の一つでも入れようと返信内容を考えていたら、正面に座る杏鶴に叱られてしまった。
今は絶賛夕飯の途中で、机の上には白御飯に味噌汁。
ブリの照り焼きが並んでいる。
「すまんすまん。返信は後にするよ」
渾身のボケをスルーされ、ヤキモキしている奴もいるかとは思うが、それくらいのお灸は据えて然るべきだろう。杏鶴に怒られてしまう方が恐い。
「ご飯のおかわりってまだある?」
「ありますよ。私も注いでくるので貸してください」
「サンキュー。大盛りで頼むわ」
彼女に茶碗を渡し、三度目のおかわりを頂く。
今日の献立は白御飯との相性が抜群で、幾らでも箸が進んだ。
「このブリの照り焼き。はちゃめちゃに美味しいぞ」
脂の乗ったブリは、その一切れに旨みがぎゅっと詰まっていて、甘辛いタレとの相乗効果が果てしない。口の中で簡単にほぐれて、白米と混ざり合う瞬間は、いつまでも味わっていたかった。
「胃袋に限界がなければ永久に咀嚼していたい」
それが、率直な感想である。
「和食は初めて作りましたけど、失敗なく出来ていたのならよかったです」
「こんなのほいほい作れちゃったら、作れないモノなんてもうなくなるぞ?」
「絶賛具合が凄まじいですが、照り焼き自体にそれ程難しい工程はありません」
「え。そうなん? てかてかにするのにすげぇ苦戦しそうだけど……」
「難易度は初級編です。初心者向けのレシピの中に入っていましたから」
「おぉ。びっくりするくらいネットの受け売り」
家庭科の授業でしか料理経験がないと言う彼女の教本は、手持ちのスマホであるらしい。今時はレシピ本の必要もなく、スマホさえあれば、何でも調べられてしまう。
料理系のコミュニティサイトも数多く、その利用は基本的に無料。
腕を磨き上げてきた主婦の叡智が、指先一つで手に入れられると考えれば、杏鶴の上達が早いことにも納得できた。
彼女は、レシピを読み込む性格であるから、失敗も少ない。
「現代っ子だなぁ」
「知りたいことを簡単に知れる。良い時代です」
「だからって、何でも鵜呑みにするのは良くないと思うぞ?」
「当然分かっています。ネットリテラシーに関する授業も受けていますから」
「それも当然大事だけど……、まずは友達に聞いてみたりとかさ」
ネットの海は混沌としているので、自分の知識だけで正しい情報を精査することは難しい。時には、信頼の置ける友人の知恵に助けられることだってあるだろう。
三人寄れば文殊の知恵。
そんなことわざもあるくらいだ。
だがしかし。
「私に友達はいません」
きっぱりと杏鶴は言い切ってしまった。
「……ゼロ?」
「ゼロです」
「俺は四人もいる。勝ち」
「勝負はしていません。あと……、四人だけの間違いでは?」
「はぁー? それだけいたら充分なんだがぁー?」
雪翔の友人関係が寂しいと言いたげな杏鶴に語気を強く主張する。
決して取り乱した訳ではない。
「友達なんて、量より質だ」
「凄く下世話な言い方をしていませんか……?」
「何でも話せる奴が一人でもいれば十分って話だよ」
「……まぁ。そうなのかもしれませんね。私にはよく分かりません」
その言葉の中には諦観にも似た感情が込められていた。
それだけで、彼女の学校での立ち位置が分かってしまう。
「……別に。杏鶴が悪い訳じゃない」
「え……?」
「ガキの頃は特に。正しさが受け入れられないこともあるさ」
周囲と違うことを異常とみなし、多数意見に同調し、一人ではないことに安堵する。
自分に自信がない故に。
一人ぼっちが惨めなものだと怖れるが故に。
子供が作る歪なルールの中で、杏鶴は生き辛いばかりだろう。
目標のために孤独になることを、彼女は厭わない。
その姿が余計に、年齢不相応な特異性を際立たせている。
「社会に出れば、多少はマシになる」
高校を卒業して、身を投じる環境が一変すれば、関わる人間も未成熟な子供ではなくなっていく。周囲の価値観はより多様化していき、自分と異なる他者を嘲る行為が、如何に狭量であったかを理解する。
不寛容こそが未熟さの証明。
小学生の時からずっと教えられてきた。
みんなちがってみんないい、と。
「だから、杏鶴が変わらなくていい」
彼女は、社会でやっていける人間だと思う。
好感を得られる性格であるからこそ、鹿奈ともすぐに打ち解けたのだ。
「そのままでいてくれ。その内時代が追いつく」
「……俄かには信じられないセリフです」
「杏鶴には人を惹きつける魅力があるよ。ガキには分からないかもしれないけど」
「な、なんですか突然っ。歯の浮くようなことを……」
彼女が学校で孤立しているというなら、誰も彼も見る目がない。
きちんと向き合うことで、杏鶴はこんなにも素直な反応を返してくれる。
可愛いらしい反応を。
「俺が同級生だったら放っておかないぞ?」
「えっ……? それってーー」
「友達になるから。その代わりに演劇部に入ってくれって誘ってた」
「……さいてい」
「高校の時は本当に人手が足りなくてなぁ」
もし当時の演劇部に、杏鶴のような身体能力の子が入ってくれていたら、アクションの幅が広がっていたかもしれない。
当時は、色んな勧誘を行っていたけれど、どれもあまり効果はなくて、歯痒い想いをしたものである。
「雪翔は弱みにつけこむタイプなんですね。よーく分かりました」
「いやいや。俺だって買い食いとか付き合うぞ?」
「部活終わりにお腹が空いているだけでしょうっ」
「勉強のために舞台とか映画観に行ったりしてさ。悪くないだろ?」
「……遊んでばかりじゃないですか。私は大学受験への準備で忙しいのです」
「うわっ。マジでそう言って断られるんだろうな。めっちゃ想像ついた」
そんなパラレルワールドがあっても、上手くは行かなかったのかもしれない。
冷たくあしらわれている光景が、いとも容易く想像できる。
「……」
けれど、杏鶴は俄かに口淀んでいて、ゆっくりと雪翔を見上げた。
「あなたとなら。友達に……」
「なってくれてたか?」
「……雪翔も。あまり友人は多くはないみたいですから」
「ははは。言うじゃねぇかコイツー」
もしもの話に今を変える力はない。
ただし、その発露には価値があった。
「なぁ。杏鶴」
言葉にしながら、思い浮かんだ悪巧みが可笑しくて、笑ってしまう。
「なんですか?」
不審な雪翔を見上げる彼女は、不思議そうに首を傾げ、続きを待っている。
「大人の友達を作ってみないか?」




