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「これは何処に向かっているのですか?」
「イイトコだよ。着いてからのお楽しみだ」
「……何だか不気味なんですが」
「信頼されてないなぁ。神谷もいるんだから安心しろって」
「人気のない所に連れ込んで、私を何処かに売り飛ばすつもりです……?」
「そんなことしねぇよ。イイトコだって言ってるだろ?」
「その言い方がとてつもなく怪しいのです」
夕飯の後片付けを終えた、雪翔、杏鶴、鹿奈の三人は、最寄りのバス停からネオンモール高松行のバスに乗り、大的場、大的場口、瀬戸内町、中央卸売市場前を経由して、新北町にあるスーパーマーケット前の停留所で降車した。
杏鶴には、まだ目的地を明かしていない。
そのせいか、彼女は先程から頻りに周囲を警戒していて、雪翔から一定の距離を保とうとしている。売り飛ばすなんて物騒なことを言っていたし、何か杞憂している様子だが、その反応も面白いので、はぐらかして先に進む。
目的地は大通りから逸れた場所にあるため、自然と裏道を歩くことになり、人通りは一層少なくなった。
街灯の間隔も開いていき、心許ない光源だけが足元を照らしている。
暗がりが増すと、杏鶴の口数もぴたりと止まってしまったけれど、鹿奈が隣りに追いついて、他愛ない雑談を持ち掛けてくれていた。
雪翔は、そのまま先頭を歩き、ゴルフセンターのフェンス沿いを北へ。
二十時を過ぎた時間帯でも、ネットで囲われたグラウンドには灯りが灯っており、ゴルフボールをスイングする気持ちの良い打球音が辺りにこだましていた。
打ち上がったボールを横目で探しながら進み、交差点を左手に曲がる。
それから少し進めば、目的地が見えてきて、大きな看板には、スーパー銭湯【トンボ温泉】と書かれていた。
「おーい。こっちだぞー?」
気が付いたら、五十メートル程後方に二人がいる。
手を振って催促すれば、明らかな不満が返ってきた。
「歩くのが早いのよ!」
顰め面で文句を漏らす鹿奈。
隣りを歩く杏鶴は、トンボ温泉のコテージのような外観に目を瞬かせていて、好奇心の方が勝っている表情だ。
「すまんすまん。久しぶりに来たから気持ちが浮ついて」
「あんたがはしゃいでどうするのよ。杏鶴ちゃんを連れて来たかったんでしょ?」
追いついた二人と並んで、大きな外観を見上げる。
三角屋根と豆腐型。二つの建物が連なって、正面から見ても相当広い。
「ここは温泉ですか……?」
「温泉とはちょっと違うかもしれないけど、大きな浴槽はあるんじゃないかしら。杏鶴ちゃんは銭湯に来るの初めて?」
「初めてです。でも、電気風呂と呼ばれる凶器的な設備があることは知っています」
「ふふっ。ここにもあったら一緒に入ってみましょうか」
「と、特殊な訓練なく挑戦して大丈夫なのですか?」
「もしかして感電すると思ってる? あなた意外と世間知らずなのね」
「はっはは。面白い会話してないで中入るぞー」
杏鶴の可愛いらしい勘違いを笑いながら、雪翔が先立って中に入る。
ロビーには、受付の他に入浴後一息吐ける畳の広間や、簡単な軽食を食べられるスペースがあり、子供が喜びそうなクレーンゲームまで置かれていた。
軽食コーナーの一角には、ご近所に住んでいるであろうおじいさん三人組が、入浴後のビールをキメて、意気揚々と世間話に興じている。
まだ今日は月曜日だけれど、週末のようなテンション感だ。
「和泉はよく来てるんだっけ?」
受付で杏鶴と鹿奈。二人分の料金を支払い、自身は回数券で会計を済ませていると、隣に立った鹿奈がそんな疑問を投げかけてきた。
杏鶴は、どうしているのかと振り返れば、彼女は物珍しい物を見るようにクレーンゲームを覗いていた。
「仕事の日とかは会社のシャワー室で済ませることが多いんだけどな。休日に偶には羽を伸ばして、デカイ湯船で人心地付くのも悪くないって思ってる」
疲れが溜まった時に浸かる温泉の効果は計り知れない。
思い切り奮発した贅沢でもないけれど、このちょっとした非日常感が馬鹿にできない癒しになったりもするのだ。
「確かにね。私もこういうところは久々だからちょっと新鮮」
「杏鶴は勝手が分からないだろうから、色々教えてやってくれ」
「はいはい。それじゃ、また貸し一つかしら。この前のお返しもまだなのに」
「うっ……。頼れる奴が神谷しかいなくてな。我儘聞いてもらって悪い。借りは耳揃えて返すよ」
雪翔と二人きりでは、杏鶴を連れ出すことはできなかったかもしれないから。
急な思い付きに付き合ってくれた鹿奈には、本当に感謝している。
「ふっ。冗談よ。奢ってもらったし。チャラでいいわ。この前のも。今日のも」
「え? いいのか?」
「その代わり。杏鶴ちゃんは好きにさせてもらうから」
「……俺が許可したって、後で怒られるのは嫌なんだけど」
「それはもう我慢しなさいな」
「杏鶴には尊い犠牲になってもらうしかないか……。てか。何するつもりだよ?」
「そんなこと男のあんたに言える訳ないでしょ」
「……いやっ。ホントに何するつもりなんだよ」
勘違いかもしれないが、若干のやらしさに固唾を飲む。
もしかすると、人選を間違えてしまったのかもしれない。
「どうかしましたか?」
そんなやり取りを露とも知らない杏鶴が、ゲームコーナーから帰ってくる。
こちらの様子を伺いつつも、視線はチラチラ後方に運ばれているので、余程アーケードゲームのことが気になっているらしい。
雪翔は、そんな子供らしさのある杏鶴に、これから起こり得るかもしれないあれやこれやを想像しながら、心の中だけで謝っておいた。
「いや……。何でもない。残念だけど、俺は杏鶴とは一緒に入れないから」
「当たり前です。砕きますよ」
「風呂から上がったら、またここで集合な」
「あの……。私は何も持ってきていないのですが……」
「大丈夫。手ぶらでも諸々レンタルできるんだ。後のことは神谷に聞いてくれ」
「え……?」
「ほら。杏鶴ちゃん行くわよー」
後のことは丸投げすると、杏鶴は鹿奈に腕を取られ、問答無用で連れ去られていく。
「ま、待ってください。まだ心の準備ができてーー」
その時になって、初めて本気で取り乱し始めた杏鶴だったが、鹿奈が取り合ってくれることはなく、赤い暖簾の奥に吸い込まれていった。
「……なむなむ」
彼女の無事を願いながら、受付で入浴セットを受け取り、青い暖簾を潜る。
「おっ」
脱衣所には、丁度誰の姿もなかった。
もしや貸し切りではないかと淡い期待をしたけれど、浴室に入れば、小学生くらいの子供を連れた親子が目の前を通り過ぎ、大学生らしき二人組が大浴場を楽しんでいる。
「……そりゃそうだよな」
雪翔の希望は、そう簡単に叶うことはない。
期待した時点で外れると言っても過言ではなかった。
ただ、貸し切りではなかったものの、時間帯もあってか、ゆったりと過ごしている人が多い。騒々しい人間がいないのはささやかながらも幸福と言える。
少しふくよかな少年もルールを守って騒いだりすることはなく、どっしりと構えてジェットバスに浸かっていた。
バイブレーションみたく振動する少年を横目に、雪翔は一先ず流し台へと向かって、レンタルしたボディソープとシャンプーで身体を洗う。
一日の汚れをしっかりと洗い流し、入浴する準備を整えたところで、人の多い大浴場には向かわず、サウナのある別室へ。
木の扉を開けると、モワッとした熱風が吹き出してくる。
全身を包む熱気を掻き分けて中に入ると、見えない死角に先客が座っていた。
入り口から一番遠い場所に座っていたのは、白髪交じりの長髪をオールバックにした六十代程度のお爺さんだ。精悍な顔付きと引き締まった体を持つその人は、トンボ温泉の長老として名を馳せ、このサウナの番人として君臨している。
何人もの男が彼に挑んだが、彼よりも長くサウナに居座った者はいない。
雪翔も以前から彼のことは知っていて、幾度となく苦渋を飲まされている。
ここで会ったが百年目。
今日も今日とて勝手に勝負を挑ませてもらう。
「ふぅー……」
長期戦になると覚悟を決め、はす向かいに腰を下ろす。
開戦のゴングが鳴り響くその刹那、白髪の男性はふっと顔を上げ、紳士的な笑顔を浮かべてみせた。その悠然とした表情に、恐怖心すら抱いてしまう。
強大な敵に立ち向かうような畏怖と全能感。
この人に勝利した時、男として一皮剥けることができるのだと信じ、雪翔は最終ラインの恐怖心を捨てるのであった。




