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「どうぞ。口に合うといいのですが」
「ありがとう。とっても美味しそうね」
三人分の配膳を終えた杏鶴が、雪翔の斜め前に腰を下ろす。
食事の時は、ソファーを明け渡しているのだが、今日はそこを鹿奈に譲っていて、杏鶴が家主でもないのに完璧なお客様対応をしていた。
彼女にとって鹿奈は、持て成すべき相手だと認識しているみたいだ。
「もう食べていいか?」
テーブルには夕飯が出揃い、全員が席に着くのを待って、早速催促する雪翔。
待てができない子供のような言動は、杏鶴の反感を買いかけたが、呆れたように苦笑して、すぐに頷いてくれる。
「構いませんよ。お待たせしました」
「よしきた! あ、そういやおかわりって」
「なくても、あなたが連絡を怠ったのが原因ですよね」
「そ、そっか。そうだよな……」
「……一杯分はあります。あなたはよく食べるので、多めに作っておいたんです」
「なんだ! ビビらせるなよ!」
「うるさいです……。いいから早く食べてください」
「いただきまーす!」
特急で手を合わせ、先の割れたスプーンを手に取る。
最初の一口目は、帰宅した時から食欲を掻き立てて止まないクリームシチューに狙いを定めた。具材に使われているのは、にんじん、じゃがいも、玉ねぎと、カレーの時と変わらないが、輪切りにされたウインナーも入っており、具沢山。
乱切りにされたじゃがいもをホワイトソースに絡めて、口へ運ぶ。
滑らかな舌触りと主張し過ぎない甘さは、ソースのコクを際立たせて、味の纏まりを生んでいた。今回は煮崩れもしていない。
「うまっ」
「ホントだ。美味しい」
鹿奈も雪翔と同じ反応を示している。
思わずといった様子で、口の中の物を呑み込む前に感想を漏らしていた。
口元を左手で隠し、大きく目を見開いている。
「そうですか。……よかったです」
対して。杏鶴は、ほっと胸を撫で下ろしていた。
鹿奈とは面識も浅いし、緊張するのも無理はない。
「下拵えもしっかりされてる。杏鶴ちゃんは几帳面な子なのね」
「料理一つでそこまで分かるものですか?」
「分かるわよ。具材の大きさが均等に揃えられてるなぁとか。玉ねぎが繊維に沿って丁寧に切り揃えられてるとか。ガサツな人にはできないもの」
「……その口振りは、神谷さんも料理を?」
「同居人が生活力皆無でね。私がお世話してあげなくちゃ生きていけないのよ」
「なるほど……。納得です」
そう大きく頷いて、杏鶴の視線が雪翔に向く。
「ん? どした?」
「……」
「はぁ。お互いに大変ね」
「いえ……。私はただの居候ですから」
「もしかして。俺の生活力が終わってるって話をしてる?」
「ええ。間違ってないでしょ?」
「失敬な。俺は料理以外ちゃんとしてるし、飯だって健康に気を付けてる」
模範となるのは無理だと自覚しているが、最低限度の水準は維持している。
世の中には、怠惰が行き過ぎて、虫が湧くような環境で生活を送っている人間だっているのだ。
それに比べれば、雪翔は相当マシだと言えるだろう。
下を見れば幾らでもいるのである。
「気を付けてるって……、これのこと?」
「おう。ありがとうな杏鶴。トーストしてくれてるから。いつもの百倍美味い」
「それだと元が低すぎることになりませんか……?」
鹿奈が指をさして、杏鶴が呆れた視線を向ける。
その先にあるのは、雪翔の食生活の軸を担っている健康パンだ。
今日は主食ではなく、クリームシチューの付け合わせとして食卓に並んでいる。
円盤型そのままの大きさではなく、杏鶴が手を加えて、一口サイズに切り分けられ、軽く表面を焼いてくれているため、そのまま食べるも良し、ホワイトソースに浸して食べるのも良しという逸品になっていた。
「そのよく分かんない怪しいパン。かれこれ一年以上食べてるわよね……」
「よく分かんなくねぇよ。健全な健康パンだ」
「でも、味しないって愚痴ってなかった?」
「か、完全栄養食だから味わって食べるもんじゃないんだって。健康のためなの」
「そんなことを言う割には、冷凍食品とカップ麺ばかり食べていたみたいですが」
「身体に悪い物を食べても、このパンなら相殺を……」
「しません」
「しないから」
ばっさり二人から切り捨てられ、雪翔の主張は弾圧される。
適当なことを宣うなという視線があまりにも冷たい。
「それを継続できる忍耐力があるなら。素直に自炊しなさいよ」
「自炊したって栄養が摂れる訳じゃない。こんにゃくばっか食べるかもしれんし」
「屁理屈言わないの」
「屁理屈じゃなくて。栄養素を満遍なく食事に取り入れるとか。俺には高等技術過ぎて出来ないって話だ」
これだけを食べていればいいなんて代物は、この世に存在しないだろう。
色んな栄養素があって、多種多様な食材が存在し、その中から取捨選択して、バランスの良い食事を心掛けるのは、上司の顔色を窺う空気読みなんかよりも遥かに難しい神業なのだ。
まして、雪翔は栄養士でもなんでもない。
大した知識は持ち合わせていないのである。
「今なんかは、美味しく栄養を摂れてるんじゃない?」
「それは確かに」
「だったら。杏鶴ちゃんに感謝しないとね」
「ありがとな杏鶴。おまえなら管理栄養士も目指せるぞ」
「……私は、自分が提示した対価を支払っているに過ぎません。感謝される謂れはないです」
「それで、こんだけうまい飯作ってくれるなら何の文句もないよ」
少なくとも、トーストした健康パンの更に百倍は美味しいご飯だから。
「勝手に満足していてください」
「へーい」
「ふふっ」
「な、なんで笑うのですか?」
「別に? なんでもないケド?」
「……明らかに意図を感じました」
二人のやり取りを見ていた鹿奈が、満足そうに口角を上げる。
そこに何か感じ取ったらしい杏鶴は、不満げに眉をしかめていた。
「馬鹿になんてしないわよ。拗ねてる杏鶴ちゃんが可愛かっただけ」
「す、拗ねてなんかいません。どういう解釈ですかっ」
「だって、こんなに真心込めて作ってるのに。対価とか言っちゃうんだもの」
「レシピ通り作っただけですっ!?」
二人は、食事の手も止めて言い争いを始めてしまった。
雪翔は、もうそろそろ一杯目を平らげると言うのに。
「言ったでしょ? 料理でその人のことが分かるって」
「だ、だったらなんです?」
「このシチューは、食べる人のことをよく考えられてると思うのよね。具材は少し大きめで、充分におかわりできる量も用意してあったんだっけ?」
「なっ。あ、あなたは……」
「そうね。隠し味は……、ってところかしら?」
「全然違いますケド!!」
我関せずで聞き流していたので、何の話をしているのかあまりよく分かっていないが、端から見た感じだと、杏鶴の方が劣性に追い込まれているらしい。
十も年下の学生をいじめるのはけしからん。
ここは助太刀せねばと、雪翔が咳払いを一つ。
「あー。なに言い合ってるのか知らないけど、喧嘩はそこそこに……」
「「うるさい!!」」
「ひえっ……」
雪翔の周りには、気の強い女性が多い。
何故そうなのかは考えたこともなかったが、一つの要因に彼のノンデリカシーな一面が作用していることは、疑いようのない事実だろう。




