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 一日休息を取ることで、杏鶴の体調は回復した。

 早速学校に復帰しようとした彼女ではあったが、雪翔に許されず、彼に監視されながら休みの連絡を入れることになり、他人の家で一人留守番を任されている。


 家主は早朝から仕事に向かい、帰ってくるのは十八時頃になるらしい。


 今は昼食時を過ぎたばかりの明るい時間。

 杏鶴は今し方、柔らかく煮込んだうどんを食べたところで、使用した食器を流し台に運び、後片付けを済ませていた。


 蛇口を捻り、水を止める。

 キッチンペーパーできちんと水気を拭き取ってから、棚の中へ片付けた。


「ふぅ……」


 この瞬間。家の中には自分しかいない。

 それが、不思議で仕方なかった。


 杏鶴が言葉を発しなければ、物音一つ聞こえてこない。

 時々アパートの前を走り抜けていく車の排気音もすぐに遠ざかっていき、まるで、自分が世界から隔離されているような錯覚を覚える。


 誰にも必要とされていない。

 優秀でなければ置いていかれる。

 

 そんな焦燥感に駆り立てられたが、深呼吸をして、蓋を閉じた。


 一人の時間は色んなことを考えてしまう。

 身体が病むと心も弱気になっているみたいだ。


 その癖、昨日は一日中眠っていたため、体力は有り余っている。

 雪翔が珍しく強引だったから学校は休んだけれど、暇で暇で仕方ない。


「……何をしていたらいいのでしょう」


 普段の彼女であれば、学校を休む選択肢などまず存在しなかった。

 多少の体調不良で休むなんてズルいこと。

 我慢できる範疇なら辛抱することで忍耐力が手に入る。

 それが、模範となる人の在り方だと、そう教えられてきたから。


 休息も。ご褒美も。杏鶴は知らないまま。ここまで生きてきた。


「私を一人にして放っておくなんて」


 口を衝いて、思ってもいない言葉が漏れる。

 彼は仕事だ。学生以上に簡単に休むことはできないだろう。

 それを分かっていて、不満を言ってしまう自分が不思議だった。


「……暇です」

 

 全てそのせいである。

 彼女にとって、暇こそ悪だ。だから、何かをしていたくなって、ほとんど習性のように教科書へ手を伸ばすけど、考えが変わって動きを止めた。


 今日は心身を休める日。

 学校を休んだのに勉強していたら矛盾する。

 今日のところは、休暇を全うするべきだろう。

 明日から本調子で頑張るためにも今日は勉強しない。そう決めた。


 雪翔もまだまだ帰ってこない。

 彼を待つ間、何をしていよう。

 そう考えて、目に付いたのが、彼の趣味が詰まった本棚だった。


 数百冊収まる巨大な本棚には、映画に小説。漫画まで並んでいて、今日だけでは網羅し切れない膨大な量のエンタメが収納されている。

 

 この間おすすめされた映画も目立つように飾られていた。

 手には取って、矯めつ眇めつ眺めてみたけれど、何を使って再生すればいいのかは分からず、渋々断念。


 今度は映画の棚から一列逸れ、小説のコーナーを見上げてみる。


 雪翔のコレクションは、高校の図書委員として働き、市営図書館にも足しげく通っている杏鶴でも、見たことのない作品が多い。


「意外と読書家なんですよね……」

 

 この前の休日も黙々と小説を読んで過ごしていた。

 その後続けて映画を観ようとしていたくらいだし、日常的に創作物を摂取するのが当たり前になっているのだろう。

 きっと、大袈裟ではなく、評論家にも劣らない膨大な知識があるのだと思う。


 下品なことも平気で言うし、美味しくないパンを進んで食べるような変人だが、存外芸術的な感性を持ち合わせている。


 人は見掛けによらない。

 和泉雪翔という人物は、関われば関わる程に、本心の見えない人だった。

 

 二百は超える小説の中で、目に留まった文庫本に手を伸ばす。

 タイトルは【消えた二十一グラム】。作者の名は、


「風花恵海……」


 その本名ともペンネームとも言えない名前には見覚えがあった。


 昨今若者を中心に知名度を上げている作家の名前で、英蓮高校の図書室にも多数のリクエストが届いている。

 杏鶴はそれ程詳しくはないけど、作家の顔出しは一切行われていないみたいで、界隈の中でも異質な存在として注目を集めているらしい。


 雪翔は、風花恵海の愛読者のようだ。

 本棚の一角には、同作者の作品がずらりと並べられていて、有名になる以前の作品まで揃えられていた。


 手に取り易い位置に置かれているのもまた、よく読み返しているためだろう。


「お借りします」


 彼が好む作品に興味が惹かれ、一冊手に取る。

 あらすじを読み比べながら、どれを読もうか考えていると、視界の端で鎮座している写真立てに視線が吸われた。

 

 そこに映っているのは、雪翔と彼が作った劇団の仲間達。

 皆カメラに背中を向けているので、素顔までは分からない。


 そこまでは既に雪翔本人から聞いていたけれど、その写真立てとは別に小さなフォトフレームが倒れている。前面を伏せるように転倒しているため、写真の絵は確認できないが、それも雪翔に関する写真であることに間違いない筈だ。


「……」


 丁寧に整頓された本棚の中で、一つだけ伏せられた写真。

 それが妙に気になった。


 こと掃除に関してだけは几帳面な雪翔が、倒れている写真に気付いていないとは考えられない。意図してそうしているのだと勘繰ってしまう。


 悪趣味だと分かっていても、好奇心に唆されて手を伸ばす。

 アクリル製のフォトフレームを起き上がらせて見たのは、恐らく昔の写真で。

 旧式のデジカメで撮った物なのか画質も悪く、一目では全容を確認できない。

 

 相当古い写真だろう。

 それをわざわざ印刷して、手元に残している。


「ここに写っている人達は……?」

 

 真ん中に写っている少年は、小学校低学年くらいの背丈をしており、そんな彼を囲むようにして、大勢の大人達が様々なポーズを決めている。


 その恰好は、さながら戦隊物のヒーローみたいで、クラス写真や家族写真には見えなかった。画質のせいで何処で撮った物かも分からないが、小さな少年がとても幸せそうにしている空気は伝わってくる。


 満面の笑顔で、ピースサインを作る雪翔は、誰より楽しそうに笑っていた。


 この写真に写る彼は本当に嬉しそうで。

 だからこそ、この写真を伏せた理由が、杏鶴には分からなかった。





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