26
26
騒がしい物音で目を覚ますと、視界には見慣れない天井が映っていた。
一瞬ここが何処か分からなくて、視線を横に滑らせてみると、大きな本棚があって、自身が雪翔のベッドで横になっていたんだと気が付く。
起床してからの記憶が曖昧で、正確に思い出せないが、気分が悪かったことは何となく覚えていて。意識を失った後に、雪翔が介抱してくれたのだと思い至った。
「いって! ぶつけたぁ!」
部屋の中に彼の姿は見えなかったが、声は聞こえてきている。
何やら騒々しいのは玄関の方で。視線だけで部屋の入り口を窺うと、息を切らした雪翔が、膝の皿も擦りながら部屋に中に飛び込んできた。
「おぉ! 目覚めたのか」
彼の右手には、小さなビニール袋が握られている。
容量以上に物が詰め込まれたそれは大きく膨らんでいて、はみ出したベットボトル飲料の蓋が何本か飛び出していた。
「今、起きました……」
「そのまま寝てていいぞ。辛いだろ?」
起き上がろうとすれば片手で静止され、雪翔がベットの横に腰を下ろす。
杏鶴のことは見ずに袋の中をガサゴソと漁った後、無造作に右手が伸びてきて、視界の半分を隠してしまう。
その手が凄く冷たいから。
自身の体温がいつもより高くなっているのだと分かった。
「やっぱ熱があるな。体温計買ってきたから測ってくれ」
「買わないといけなかったんですか……?」
「一人暮らしをしてから体調崩すことなくってさ」
平然とそんなことを言いつつ、新品の体温計を箱から取り出す雪翔。
パッケージを丁寧に破いて、手渡してくれる。
「……どうも」
「大したことないといいんだけどなぁ」
体温計を受け取って、脇に挟む。
測定している間、雪翔は袋からスポーツドリンクを取り出して、テーブルに置いた。その隣りには、市販の風邪薬とマスクも並ぶ。
杏鶴が眠っている間に、色な物を買い込んできたらしい。
「あれっ。冷えペタがない!? ちゃんと買ったのに!?」
けれど、何か足りていない様子で絶叫している。
放っておくと四つん這いになって、周囲を捜索し始めた。
「何処にいったんだぁー!?」
「……いったいどうしたのです」
「ああ! さっき膝ぶつけた時に廊下に落としてたわ!」
「うるさい……」
バタバタと足音を轟かせながら、落とし物の所に雪翔が飛んで行く。
誰かに盗まれたりなんてしないのに随分と慌ただしい。
普段よりも騒々しい気がするのは、きっと、気のせいではなかった。
「熱。測れました」
そうこうしている内に、体温計が電子的な音を鳴らす。
取り出して数値を確認すると、液晶には38、0℃と表示されていた。
「結構高いなー……。買っといてよかった。失礼するぞ」
「……え?」
「これで少しは楽になるといいんだが」
そう独り言みたいに呟いて、再び手が伸びてくる。
指先が前髪に触れて、優しく左右に払うと、額に解熱シートを貼っていた。
「……さっきから気安いですよ」
「細かいこと気にしてないで。今日はこれで大人しく寝てろ」
「いえ。もう充分休めました」
「はぁ?」
「勉強しないと、いけないので」
休むように促す言葉を撥ね除けて、重い身体を持ち上げる。
無理やりベッドから抜け出そうとすると、眼前に手刀が飛んできた。
「あたっ……」
「ばか。そんな状態で頭に入る訳ないだろ。今日一日はちゃんと休め」
面食らっている間に掛け布団でくるまれて、ベッドの上に戻される。
それに抵抗しようとしても、弱った体力ではまるで相手にしてくれない。
子供をあやすみたいな所作で、簡単に寝かしつけられてしまう。
「俺の家で風邪引いたんなら、我が家のルールに従ってもらう。無茶は許さん」
有無を言わせぬ語気の強さ。
普段そんな表情見せないのに、怒ったような顔をしていて、面食らう。
「家主には逆らうなよ。おおん?」
取って付けたような悪ぶりも決して恐ろしくはなくて。
寧ろ、彼がとても身近な存在のように感じられた。
「……昨日は、面倒は見ないって言ってた癖に」
「あれは売り言葉に買い言葉ってヤツだ。ふっかけてきた杏鶴がよくない」
「大人なら考えて発言をしてください。責任感がないです」
「ふっふっふ。残念だったな。俺は杏鶴が嫌いな駄目な大人なんだよ」
雪翔はそう自分を貶めて。けれど、不敵に白い歯をキラめかせた。
「食欲は? あるか?」
「今はあまり……」
「うどんとかゼリー買ってるから。食べたくなったら言ってくれ」
雪翔が持ち上げた買い物袋には、まだまだ沢山の物が入っていて、リスの口のように膨らんでいる。きっと、必要以上の物が、その中に入っているのだろう。
「……分かりました」
「おう。他にも何かして欲しいことあったら遠慮はいらねぇ」
「あなたは……、カレーを温め直して食べるように」
「ありがとな。でも、俺のことは気にしなくていいから」
雪翔は少しだけ困ったように眉根を下げると、柔らかく微笑む。
そこには面倒だとか。煩わしいとか。そういった感情は少しも見えない。
「早く元気になるように。いいな?」
「……ふふ。あなたは本当に変な人です」
「やっぱり、人と違う方がカッケェからさっ」
「中学生のような価値観はどうかと思います。でも……」
そういう人なんだと、頭が理解しようとしている。
だから、この人であれば、大丈夫だと思ってしまうのだろう。
「でも?」
首を傾げて、途切れた続きを促す雪翔。
しかし、その続きを口にするのは癪だと言うように、杏鶴は首を振った。
「何でもありません。言い間違えです」
反射的に素っ気ない態度を取ってしまう。
視線もどうしてか、ずっとは合わせてはいられなかった。
「明らかに何か言いかけてなかったか?」
「もう寝ます」
「きゅ、急に……?」
ぶっきら棒に言い放ち、逃げるように瞼を閉じる。
この数秒で幾らか体温が上がったと感じるくらいには、身体が熱い。
起きたばかりなのもあって、すぐには眠れないと思っていたけど、目を閉じても近くにある人の気配が、杏鶴の心を優しく解す。
穏やかな睡魔は、想像よりも早くにやってくるのだった。




