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「怪我だけはするなよ? 包丁使う時は猫の手だからな」

「そんな初歩的なことは知っています。心配せずとも大丈夫ですから」

「いーや。俺はここで見てる」

「気が散るのであっち行ってください。部屋でテレビでも見てればいいでしょう」

「折角だからカメラも回すわ。なんか記念だし」

「何の記念なんですか……。恥ずかしいので止めてください」


 台所で手を洗い、キッチンペーパーで水気を拭う杏鶴。

 その後ろにはカメラを構えた雪翔がいて、カレーを作ろうとする彼女を冷やかしていた。まな板と包丁を取り出した杏鶴は、肩越しに不満顔で振り返っていたけれど、本当に雪翔が撮っていることに気付いたら、慌てた様子で顔を背けて、黙々と作業を始めてしまった。


 調理台の上には、雪翔が買ってきたパンパンの買い物袋が鎮座している。

 

「どうしてピンポイントでカメラなんか持っているんです」

「ははは。昔。それこそ演劇してる時に、稽古の様子とかをさ。ネットに上げたりしてて。その頃の遺産かな。解散した後。誰かに押し付けられたんだっけか」

「……調べたら今でもその動画は見られたり?」

「あー。どうだろ。削除はしてないからネットの海の底に残ってるとは思うけど」

「へー」


 彼女の方から質問してきたのに、興味なさそうに鼻を鳴らす。

 杏鶴は手元の作業に集中しているみたいで、袋から野菜を取り出していた。

 彼女から預かった買い物メモに従い、にんじん、じゃがいも、玉ねぎのカレー三種の神器は揃い踏みだ。


「撮るのは百歩譲っていいですけど、流出させたりはしないでくださいね」

「失敬な。そんなモラルのない奴じゃねぇ。ちゃんと個人利用に留めるよ」

「……変なことに使ったら容赦しません」


 にんじんを水洗いしながら、杏鶴が鋭い眼光を飛ばしてくる。

 それもばっちり記録に残して、彼女の手元にカメラを近付けた。


「今から野菜を切っていきまーす」

「説明まで……。ホームビデオか何かですか」

「言われてみると確かにそれっぽいな」


 劇団時代の話で懐かしくなって、当時の気持ちでカメラを回したに過ぎなかったけど、面白半分で始めた以上の意味はあったのかもしれない。


「あとで杏鶴にもあげるな」

「要りませんってば」

「いつか見返したくなる時が来るかもしれないぞ?」

「たどたどしく料理を作る。恥ずかしい記憶をですか?」

「初めてだからいいんだろ。それに。俺的には……。昔家出をしてた時に、優しくて、格好良いお兄さんとカレーを作ったなぁって思い出してくれたら嬉しい」


 杏鶴が大人になり、今よりも自由に生きられるようになった時に、こんなこともあったなと。一つの思い出になってくれていたら最高だ。


「……そんな時はきません」

「そうか。……ここは編集でカットしておくな。あまりにも悲し過ぎる」

「都合良く記憶を捏造するのはズルなんじゃ?」


 手厳しい杏鶴に傷付けられ、傷心の雪翔。

 カメラを持つ手も支えられないくらい脱力してしまいそうになるが、その間も彼女はテキパキとにんじん、じゃがいもの皮をピューラーで剥いている。

 玉ねぎも頭の部分を切り落とし、手で掴んで茶色い薄皮を剝がしていた。 


「思い出してもらうんだったら。楽しい記憶の方がいいじゃんか」

「……」

「だからぁ。杏鶴も愛嬌マシマシで頼むよ。にこーって可愛く笑ってー?」

「うるさいです。気が逸れて手元が狂う可能性も否めないのですけど?」

「こっからは包丁か?」

「ええ」

「なら。ふざけるのもこれくらいにしとこうかな」


 怪我をさせてしまったら笑い話にできなくなってしまう。

 これ以上邪魔をするのはやめておこうと、少し身を引く。


「……急に何ですか」

「待ってる間暇だから構ってもらおうかなって」

「子供みたいなことをしないでください」

「悪い悪い。もう静かにしてるよ。杏鶴も普通に料理できてるしな」

「心配しなくて大丈夫だと、ずっと言ってるじゃないですか」

「だな。でも、怪我する可能性は誰にでもあるから。そん時はちゃんと言えよ?」

「……はい。分かってます」

 

 頷く杏鶴を見て、雪翔が満足気に笑う。

 見守りターンに入ると、包丁のトントンという音がよく聞こえた。 

 

「……急に静かになられても不気味です」

「え。じゃ、話しかけてもいいのか?」

「邪魔にならない程度であるなら別に構わないですよ」


 にんじんを一口大の乱切りにしながら、杏鶴がぶっきら棒に言い放つ。

 その許可が下りるのであれば、最後に言っておきたいことがあった。

 

「こうやって撮ってて思ったんだけどさ」

「はい。なんです?」

「今度エプロン買ってきてもいいか? 次はその恰好で撮りたい」

「もう二度と喋らないでください」





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