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「どうだった?」
「とても面白かったです。予想は裏切られてしまいましたが……」
「あんな予想当たってたまるか」
二時間の視聴を終えて、杏鶴は雪翔が淹れた牛乳を飲みつつ、一息吐いていた。
集中していたからか彼女は疲弊気味で、背もたれにされたウミウシが、肘掛けとの間でぺちゃんこに潰されている。
「このアプリ……は、他の映画も見られるのですか?」
「ああ。沢山あるぞ。カンフー映画もあるんじゃないかな」
「……へぇ」
「今度一緒に観るか。今日は疲れただろうし」
「気になっていたタイトルがあったような気がします」
「じゃ。また思い出しといてくれよ。NetLiveに配信されてるかは分かんないが」
「最近公開されていたので、ないかもしれませんね」
「その時はレンタルするか。ディスクを買ってもいいし」
自分のマグカップに口を付け、何でもなさそうに雪翔が言う。
中身は杏鶴と同じ牛乳だ。
「そこまでして貰う必要は……」
「ああいや。俺も見たいからさ。そういう系には疎かったし。興味ある」
「……雪翔は映画がお好きなんですね」
そう言って、杏鶴の視線が壁際に置かれた本棚に向かう。
そこには雪翔が収集した映像作品のDVD類が並んでいた。
特に気に入っている物については表紙が見えるように面置きされていて、映画館でも視聴した作品になると、当時のチケットも一緒に纏められている。
雪翔の趣味。好きな物が集められたスペースで、部屋の中で最も存在感を主張している場所だから、杏鶴も気になっていたのだろう。
「程々にな。子供の頃から暇があればよく見てた」
雪翔よりも背の高い本棚は、天井に向かってせり上がっている。
そこには、映画の他に小説や漫画も収納されていた。
その中から、面置きにされたパッケージを一つ手に取る。
タイトルは、【トゥルーマン症候群】という洋画だ。
「これとかおすすめだぞ。気分で変えてるけど、表紙置きしてるやつは全部良い」
「ふふっ」
「どうして笑うんだよ?」
「いえ。雪翔はオタクなんだなと」
「おい。オタクを笑ったか?」
「別にオタクを嘲笑った訳ではないです。主語を大きくしないでください」
「じゃ。俺のことは?」
「それは、答えるまでもないでしょう」
「笑われてるのは俺だけだったか……」
あくまでもすまし顔の杏鶴が、マグカップをテーブルに置いて立ち上がる。
それから雪翔の隣りにやってくると、一冊の小説を手に取った。
「映画以外に小説も多いですね。ロミオとジュリエットなんて読むのですか?」
「知ってるのか? ロミジュリ」
「しっかり覚えてる訳では……。文化祭で取り上げられている印象が強いです」
「杏鶴は演じたことある?」
「え? ないですけど……?」
「そっか。俺もないんだよ」
「大多数の人はないものじゃないですかね?」
杏鶴が不思議そうに首を傾げる。
構わず、雪翔は続けた。
彼女の手から【ロミオとジュリエット】を受け取りながら。
「いつかのために練習だけはしてたんだけどなぁ」
「……練習?」
パラパラとページを捲りながら、ふっと息を吐く。
探していた台詞はすぐに見つかって、一拍の後、肩の力を抜いた。
目を閉じると、その瞬間から静寂だけが鼓膜に触れる。
「……僕は船乗りじゃないけれど、たとえあなたが最果ての海の彼方の岸辺にいても、これほどの宝物手に入れるためなら、危険を冒しても海に出ます」
一息で感情を込めて、言葉を綴る。
それから五秒。雑音さえも消え去り、世界が止まって。
「な、何ですか今の……」
顔を上げたら、杏鶴がドン引きしていた。
引き攣った表情で一歩、二歩と後退る姿は、まるで壊れたロボットのようだ。
「何って。ロミオのセリフだよ。結構有名じゃないか?」
「知りませんし、そういうことでもないです! 喋り方が変でした!?」
「変って言うな。酷いぞ」
「背筋がぞわっぞわっとしました」
「あけすけに言い過ぎなんだって……」
そこまで酷評されると流石に傷ついてしまう。
「……もう一度言ってみてくださいよ」
「そんな反応された後に言う訳ないだろ。おまえいじめっ子か?」
「あなたが勝手に言い出したのに。私がいじめっ子だなんて心外です」
「黄色い声援的なのが貰えると思ったんだよぉ」
とんだ思い違いで痛い目を見た。
八つ当たりで杏鶴を睨むけど、彼女は既に違う物に興味を惹かれている様子で、視線すら合わせてもらえない。
自分の背丈よりも高い棚の方に目を向けて、止まっている。
「これは……」
そこにあるのは、額縁に飾られた一枚の写真だった。
写っているのは雪翔と仲間達で、客出しが終わった後のガランとした劇場内で、舞台上に並んで座り、話しながら笑い合っている五人の後ろ姿が撮られている。
「真ん中にいるのはあなたですか?」
「杏鶴は気持ち悪いって言うけど、これでも昔は芝居とかしてたんだよ。小さな劇団だったけど、座長だって任されてたんだぞ?」
「気持ちが悪いとは言ってません。ただ、あなたがお芝居の経験者だということには、何だか腑に落ちました。だから、雪翔は……」
「俺は?」
「どんな時でも飄々とした態度をしているんだなと」
「えっ。杏鶴から見た俺ってそういう感じなの……?」
「褒め言葉ですよ。あなたが余程のことでもないと物怖じしないのは、お芝居の経験で得た神経の太さが影響しているのかなって」
「それ。ホントに褒めてるのかい……?」
まるで褒め言葉に聞こえない言葉選びだったが、妙に納得している様子でうんうんと頷いているので、本心で言ってくれているのは間違いないらしい。
雪翔にそんな自覚はなかったけれど、褒められているのなら悪い気はしない。
自然と鼻の下を掻いてしまう。
「まぁ。年の功もあるのかぁ。俺ってば大人だし」
そう調子づくと、彼女が一歩雪翔に近付く。
その縮まった距離感は、杏鶴からの信頼の現れかとも思ったが、
「ところで」
話はたった四文字で切り替えられてしまった。
雪翔の目の前には、普段通りの杏鶴が腕組みをして立っている。
「ん?」
「先程。牛乳パックを取り出す時に冷蔵庫に何も入っていないのが見えたのですが。食材の調達はいつになったらしてくれるのですか?」
「……あ」
そんなことはすっかり忘れていた。
時計を確認すると、時刻は十七時を過ぎていて、高窓から差し込む日差しも徐々に陰りを見せている。そろそろ夕飯を準備する時間帯だ。
「大人であるなら。迅速に契約を遂行してください」
「け、契約だなんて……。物々しいなー」
「等価交換の約束をしたじゃないですか」
「えっ。そんな約束だったっけ……?」
彼女が提示した条件を雪翔は軽く受け止めていたのだが、杏鶴にとっては相当な覚悟を伴ったモノだったらしい。
「昨日は普通に肉まん食って、そこのソファで寝てなかったか?」
「あ、あれは……。あなた側の契約違反ですから。私に非はありません」
「えー」
「買い出しをしておいてくださいと。私は事前に言っています!」
「お、おぉ……。そ、そうだよな。分かった分かったから」
契約云々は抜きにしても約束をしたのは事実。
ごたごたがあって、それを守れなかったのも事実だ。
その埋め合わせは、きちんとしなければいけないだろう。
「それで? 何を作りたいんだよ?」
「……では、カレーで」
そうして、今日の夕飯の献立が決まった。




