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 結局。気絶したひったくり犯は、程なくして駆け付けた警官に連行された。

 その際、雪翔も軽く聴取を受け、解放されるのに三十分。

 殆ど現場を眺めていただけだったが、疲れはドッと増していた。


 それなりの人が居た中で、雪翔が襲われたのは偶然でしかなかったらしい。

 被害に遭った女性も男との面識はなく、鼻を摘みたくなる酒の匂いがしていたことから、突発的な犯行である可能性が高いとのことだった。


 やはり、ツイていない。

 

 その言葉に限るけれど、何事もなかったのは不幸中の幸いと言える。

 怪我もなかったのは、間違いなくあの少女のおかげだが、彼女は警官がやってくる間にいなくなってしまっていて、お礼も伝えられていない。


 彼女は、さすらいの正義のヒーローだったのだろうか。

 感謝も賛美も受け取る前に立ち去るなんて、とてつもなく格好良い。


 事件を見ていた野次馬の中には、そう囁く人もいたけど、暗がりの中で彼らは気付かなかったのだろう。


 少女を目の前にした雪翔には、彼女の服装に覚えがあった。


「コスプレではないよなぁ……?」


 引き留めなかったことが悔やまれる。

 いや、引き留めても無駄だったのだ。

 少女には、あの場に留まれない事情があった。


 手掛かりもなしに、探す手立てもない。

 雪翔は、今度こそ自宅に向かって歩き始め、途中にあるコンビニで適当な昼食を調達する。静まり返った住宅地を進むと、古びたボロアパートが見えてきた。


 築三十年を超えた二階建てのアパートは、外観内装共にリフォームされているものの、寂れた雰囲気は隠し切れず、雪翔の把握している限り、一、二階合わせて八つある部屋は、五つしか埋まっていなかった。


 雪翔は、それなりに古株の部類だ。

 大学進学からこのアパートで生活を始め、今年で八年目になる。


「ただいまー」


 迎えてくれる誰かはいないが、律儀にそう声に出し、二階の一番手前にある、二〇一号室の扉を開く。


 部屋の間取りは1K。持て余すような広さはないが、三畳程度のロフトがあるため収納として使える部分は多い。部屋自体の天井も高めに作られているおかげで、空間的な広さを充分に感じることができた。


 キッチンを横切り、部屋に続く開きっ放しの扉を潜る。

 正面に置かれたローソファを跨ぎ、左角に置かれたデスクに鞄を掛けてから、キッチンの流し台で手洗いうがい。

 そのルーティーンの途中で、静かな部屋にインターホンの音が響く。


「……こんな時間に誰だ?」


 時刻はとっくに一時を過ぎている。

 こんな時間に来客の予定はない。


 常識的な時間外の来訪者に付き合う必要もないが、何か予感めいた感覚があって、足音をたてずに玄関まで近付き、ドアスコープに右目を寄せる。


 頭の中を占めるのは、怖いもの見たさと好奇心。

 そして、酔っ払いのおじさんが部屋を間違えただけというオチだったが、


「……ん!?」


 決して、そうはならなかった。

 

 玄関の前に立っていたのは、幽霊でも、まして酔っ払いのおじさんでもない。

 そこには、先程雪翔を助けてくれた華奢な少女が立っていた。

 先程は慌ただしくて分からなかったが、少女は鼻筋の通った、シャープな顔立ちをしていて、魚眼レンズ越しにも確かな品格を感じ取ることができる。


 意思の強そうな大きな瞳は、真っ直ぐにドアスコープを見据えていた。


「な、なんだ……?」

 

 自然と、単純な疑問が口をつく。

 彼女と雪翔は初対面だ。

 彼女がこの家を知っている筈はない。

 

 先に姿を消したのは向こうだったが、後をつけられていたのだろうか。

 それでも、そうする理由は分からない。


 名前も知らない、ある高校の制服を着た少女は、雪翔に用があるらしい。


「……」


 少し警戒して幾らか時間を置いてみたけど、少女は雪翔が見えているかのようにその場を動かず、根を伸ばした大樹のようにぴくりともしない。かと思えば、細い腕を伸ばして、絶え間なくインターホンを鳴らし始めた。


 ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。


 確実に部屋にいることはバレている。

 その上で、彼女は雪翔を脅迫していた。


 現時刻は、深夜一時。

 静まり返った木造のアパートに、甲高い音は良く響く。

 このままにすれば、雪翔は碌に眠れないし、ご近所からはクレームの嵐だ。


「だぁー! 何してる!?」


 急いでドアノブに手を掛けて、扉を開く。

 それが、ドツボにハマる行為だと分かっていながら。


「……」


 雪翔が飛び出してきたことに、少女は僅かに眉を動かしたが、口元は堅く結ばれていて、何かを喋る気配はない。

 こんな状況で掛けるべき言葉は分からないが、悪戯という訳でもなさそうだ。


「えーっと……。さっき助けてくれた子だよな?」


 そう会話を試みれば、少女は顎を上げて、雪翔の顔をまじまじと見上げる。

 白い髪に白い肌。神秘的な雰囲気を纏う少女は明らかに幼く、それでも、端整な顔立ちで見つめられると、年甲斐もなく、たじろいでしまいそうになった。


「さっきは助けてくれてありがとな。君のおかげで怪我せずに済んだよ」


 それだけは伝えそびれていたから言ってしまう。

 それで雪翔はスッキリしたが、彼女の目的がお礼の催促である訳もなく、この場を去る素振りはない。

 

 ある高校の制服に身を包んだ少女は、明らかに問題を抱えている様子だ。

 

 その予感を裏付けるように、彼女はたどたどしく口を開いた。

 

「それだけですか?」

「え?」

「私がいなかったら。怪我程度では済まなかったと思いますけど」


 無感情に、不愛想に少女は言う。

 その説教にも似た物言いに、面食らってしまった。


「あ、あぁ……。確かにカッター持ってたのにはビビったかな」

「その対価が言葉一つなら。あなたは大人の風上にも置けません。不誠実です」

「えー。初対面でめちゃくちゃに言われてる……」


 一度口を開いた少女は、捲し立てるように雪翔を口撃し、冬の空気みたいに澄んだ、可愛らしい声で非難を始める。外見こそ浮世離れしているが、その価値観は実に現実的な物をお持ちになっているらしい。


「突然押し掛けてきて何だよとは思うけど、言ってることに間違いはないか……」


 仮に命を助けられたのだとするなら、その大恩に報いる必要があるだろう。

 言葉だけの謝辞では誠意が足りないと言うのは、雪翔も同感である。


 この状況を俯瞰的に受け入れて、雪翔は彼女に問いかけた。


「俺が君に恩返しをするためには何をしたらいい?」


 腹を探り合うようなやり取りは得意ではないので、彼女の本音を催促する。

 とんとん拍子に話を進めれば、彼女は寧ろ、警戒心を強めるように眉を顰め、それをすぐに無表情の内に引っ込めてから、大きく一歩踏み込んできた。


「……夜分遅くに失礼します」


 そう、予め考えていたような白々しさで、平坦な言葉が紡がれていく。


「私は、先程あなたを助けた。柚鳥杏鶴(ゆとりあんず)と言う者です」

「お、おぉ……?」


 近付いた距離に雪翔は怯み、気圧されるように一歩下がる。

 それを三回ほど繰り返せば、彼女はもう玄関の中だ。

 バタンと閉じられた扉は、家主に有無を言わせない。


「恩を返して頂いてもよろしいですね?」





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