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三章『鶴がいる休日』
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九月九日。土曜日。
今日は仕事もない完全な休息日だったのだが、だらしがないからという理由で、朝早くに起こされた雪翔。休みの日でも規則正しい生活を送っているらしい杏鶴は、図書館で勉強をしてくると言って出掛けていた。
休日によく普段通り頑張れるものだと思う。
雪翔宅から徒歩十分圏内に公共図書館はないので、彼女は残暑厳しい日中から、中央図書館か、香川大学が運営する図書館の方に出向いているのだろう。
少々距離が遠くても、杏鶴ならジョギングも兼ねていると言ってのけそうだ。
そのひたむきな姿勢には頭が上がらない。
学生時代。必要最低限の勉強しかしてこなかった雪翔は特に。
彼女の口振りからして日常的に通っている様子だったし、人助けに関わっていない時なんかは、静かに勉強をしながら過ごしているのかもしれない。
「よし。見違えるくらい綺麗になったな」
勉強はできない雪翔だが、料理もできない。しかし、掃除くらいならできる。
八時頃に起きて、今は十一時。普段はダラダラと過ごすのだが、今日ばかりは中途半端になっていたロフト掃除の続きをして、額に汗を滲ませていた。
不要な物は処分し、思い出の品は段ボールに詰める。
埃っぽかった天井や床面は拭き掃除して、見違える程度には綺麗になった。
「あとは、これとこれを使って……」
この場所に杏鶴用の布団を敷く予定だったが、三畳ほどのスペースに布団だけあるのも味気ない。気が付くと凝り始めている自分が居て、つい先程百円均一の店で買い物を済ませてきていた。
雪翔の座る周りには、様々なインテリアが置かれている。
まずはパネルタイプのカーペットを床に敷き詰めていく。
アイボリーとブラウンで二色あるパネルを交互に繋げ、単色のフローリングを覆うだけでも、空間の印象は大きく変わった。
その上に中身を空けた小振りな本棚を配置し、奥の壁に沿って布団を敷く。
あとは、折り畳めるピクニックテーブルを広げれば、隠し部屋のような印象になって。家具の色味を同系色で纏めているから、部屋全体の雰囲気も優しくなっている。
これで完成でもいいのだが、雪翔には抜かりない。
ロフトは高い位置にあるので、雪翔が手を伸ばしても届かないが、角度をつけるとある程度は覗けてしまう。これだけ開放的だと、プライバシーが守られない。
扉や壁を増築することはできないので、急造感は否めないけれど、それでもないよりはマシだろうと取り出したるは突っ張り棒。
そこに小窓用のカーテンを通し、ロフトの際に設置する。
素材がレースの物しかなかったため生地は薄めだが、簡易的な目隠し効果は期待できる筈だ。雪翔だってまじまじと見るつもりは毛頭ない。
気分的な敷居として機能すれば充分だ。
「まだちょっと寂しいか……?」
自分の生活空間に不要な物は置かない主義の雪翔だが、誰かに使ってもらうとなると、幾らか質素な気がしてしまう。
必要最低限の物しか置いていないからそう感じるのか、住んでいる人の気配がしないからそう感じるのかは分からないが、女の子が使う部屋なのだから、もう少し可愛いらしい方がいいのかもしれない。
杏鶴は見た目も言動もクールだが、年相応な一面も持ち合わせていると思う。
趣味趣向も全く持って知らないので、気に入って貰えるかどうかも怪しいが、可愛い女の子が可愛い部屋で過ごす様子は、きっと可愛い。
これは目の保養のため。
丁度いい掘り出し物も掃除の途中で見つけられていた。
雪翔は一度ロフトを降り、大きなダンボールを引っ張り出して、蓋を開く。
「かわいい……。よな?」
箱の中で蠢いていたのは、メンダコとウミウシをモチーフにしたぬいぐるみ。
雪翔もあまり詳しくないけど、実際の体長よりも遥かに大きく作られているのは間違いないだろう。両脇に抱えて、はみ出す程の大きさだ。
「なんか目が合ってる気がして怖い……」
ウミウシの大きな黒目が、自分のことをずっと捉えているような気がする。
デフォルメされている筈なのに、妙にリアルな造形をしていて迫力が凄い。
こいつらを並べたら、相当賑やかになる筈だ。
奇抜さが際立ってしまう可能性も捨て切れないけど。
少し古い物ではあったが、大事に保管されていたので、ほぼ新品の状態であり、抱きかかえると程よい弾力が返ってくる。
「へへっ。どんな反応をするか楽しみだぜ」
「何をしてるんですか……?」
ロフトに持って上げようとしたタイミングで、真後ろから声を掛けられた。
ビクッとして振り替えると、制服姿の杏鶴が立っている。
ほくそ笑む雪翔に怯え、引いたような表情をしていた。
「おぉっ。杏鶴。帰ってきてたのか。おかえり」
「え? あ……。ただいま、です」
「ふふふ。照れちゃって」
「照れてなんていません」
たった一言で挙動不審になる彼女がおかしくて、ついつい揶揄ってしまう。
杏鶴は即座に否定して、忌々しげに足を踏み抜きに近付いてきた。
紙一重で躱すと、明らかに不満そうな顔を向けてくる。
「勉強は捗ったかね?」
「普段通りです。問題はありません」
「夜まで帰ってこないかと思ってたけど」
「……お腹が空いたので」
「ははは。そりゃ。帰ってきた方がいいな」
正直な発言に吹き出す。
沢山頭を働かせた後に腹が減るのは自然の摂理だ。
雪翔も朝から何も食べていないので、昼食のタイミングとしては申し分ない。
ただ、その前に彼女には見て欲しい物がある。
「そんなことより。両脇に抱えているそれは何なんですか?」
「なんだと思う?」
「……怪獣?」
「ぶー。残念。メンダコとウミウシだ」
「めん……? うし……?」
杏鶴には聞き覚えがなかったようで、困惑気味に首を傾げている。
雪翔自身、マイナーな生物であることは分かっているが、ぬいぐるみ化されているのだから需要があるんだろう。
「どっちも海の生き物だな」
「初めて知りました。……ふむ。特徴は捉えられていますね」
杏鶴がふむふむと頷きながら、スマホの画面とぬいぐるみを見比べている。
携帯の検索機能を使って表示された画像を確認しているみたいだ。
「ぬいぐるみが好きなんですね」
「いや? 俺の趣味じゃない」
「……え?」
「杏鶴はぬいぐるみ好きか?」
「いえ。特には」
「じゃ、可愛い物は?」
「人並みだと思います」
「ふーむ。それなら大丈夫か」
「な、なんですか? 不審です」
雪翔が神妙に頷いてみせると、杏鶴が何事かと身構えた。
何が何だか分からないという表情をしているので、嬉々として説明しようと、顎でロフトの方を指す。
「上がってみてくれ」
「何かあるのです……?」
「まぁ。見てもらえば分かるよ」
訝しむ彼女の背中を追い立てて、強引に階段を上らせる。
「こんな風になってましたっけ?」
カーテンで隠された謎の空間に、こてんと首を傾げていた。
「開けていいぞ」
雪翔もその後ろをついていく。
後ろからでは手が届かないので、杏鶴にそうお願いした。
じゃらじゃらと音を発ててカーテンが開き、完成した新たな部屋が露わになる。
「どうだ? それっぽくなってるだろ?」
「……」
「本棚は使わないなら、何かの収納にしてくれ」
「……」
「杏鶴?」
声を掛けても返事がない。
彼女の後ろにいる雪翔には、何も見えない。
「あなたはどうして……」
ぽつりと、そんな声が聞こえてきた。
でも、それきり息を呑んで、続く言葉は出てこない。
「……」
階段を上がりきり、パネルカーペットの上に膝をつく杏鶴。
手を伸ばして、用意された布団に触れて、四つん這いの体勢でゆっくりと奥に進んでいく。
「いつまでも壁にもたれて寝てたら身体痛めるだろ?」
ごろんと寝転がり、半身でこちらに振り返る。
「暖かいです」
「そいつはよかった」
「暑いくらいです」
「……扇風機も必要だったかな」
「そういう意味ではありません」
配慮が足りていなかったと唇を噛む雪翔。
杏鶴は違うと言うが、完璧だと思っていた手前、至らぬ点が露呈して悔しい。
すぐさまこの内装に合うデザインの扇風機を考察するが、視界の中に彼女の腕が伸びてくるのが分かって、思考が止まる。
ハッと我に返ると、布団に寝頃がったままの杏鶴が、大きく両手を広げていた。
「ください。その子達」
完全に脱力し切った表情を浮かべて、柔らかくはにかむ。
その笑顔は、月並みにも真っ白な天使のようで。
圧倒的な可愛さが空の世界を色付けていく。
謎生物まで愛くるしい物のように錯覚しそうだった。
「もう。私の物ですからね」
そう言った杏鶴は、赤いタコの頭に口元を埋めた。
その表情が、タコよりも赤くなっているように雪翔には見えた。




