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「どうして全て使い切ってしまったのですか……?」
「い、いやっ。今日中に食べ切った方がいいのかと思って……」
「まだ数日は保存が効いたと思います。絶対に」
「だったら。明日の飯に使うでもよかったんじゃ……。買い出し急かされたし」
「新鮮な内に食べたい気持ちもあるでしょう。分かりませんかっ!?」
杏鶴が洗濯物を干している間、大量にあった肉を全て鍋にぶち込んだ雪翔。
それは彼女の想定ではなかったようで、テーブルを挟んで向かい合い、こんこんとお叱りを受けている。使い切ることしか頭になかった雪翔は、ソファーも杏鶴に明け渡して、肩身狭く正座していた。
「そんなの言ってくれなきゃ分かんない……」
「面倒臭い女子みたいなこと言わないでください。まったく」
二人の間には、ぐつぐつと煮立った鍋が置かれていた。
カセットコンロも久しぶりの御役目に張り切り、轟轟と炎を吹き上げている。
「ま、まぁ。とにかく食べようぜ。全部平らげたら無駄にはならないんだし。貰い物なんだから俺らに損はないだろ?」
「私が頂いた物ですけどね」
「じゃ、俺に任せた杏鶴が悪いわ。杏鶴の責任だわこれは」
「最悪」
「うぐっ……。そんな目するな。俺が悪かったよ」
生ごみを見るような視線を向けられ、背筋が冷たい。
彼女の纏う空気は極寒と化しており、ご飯を食べて温まって貰う他なかった。
雪翔は率先してとんすいに具材を取り分け、杏鶴の目の前に運ぶ。
杏鶴はそれを一瞥し、小さな溜息を漏らしてから、両手を合わせた。
「いただきます」
「お、おう。俺も食おう」
同じように雪翔も具材をよそい、彼女に倣って手のひらをくっつける。
誰かと食卓を囲んでご飯を食べるなんて久しぶりだ。
「……そういや脱衣所の半紙はなんだ? バッテンされてて入れないんだが?」
「立ち入り禁止のバリケードテープです。私の許可なく侵入することは何人たりとも許しません。絶対に覗かないでください」
「ここは俺の家なんだけどなぁ……。まぁ、そっちに用はないからいいけど」
恐らく、そこで洗濯物を乾かしているのだろう。
体操服以外にも、雪翔に見られたくない物を洗ったのだと予想はつく。
それは例えば、肌着だったり、下着だったり。
「……ん? じゃ、今下着って……?」
ふと、真理に思い至り、見事に口を滑らせる。
視線も下に滑らせたのは、言い訳もできない大失態だったけれど、幸い生地が厚くて透けていたりはしなかった。
「それを明らかにするのは必要なことですか?」
じっと見つめていると視線の先にとんすいが持ち上げられる。
ハッとして顔を上げたら、瞳孔の開いた杏鶴と目が合った。相当怖い。
「いや……。よく平然としてられるなって」
「平静でいるために黙っているんです」
「なるほど。まぁ、安心してくれ。ガキの裸にーー」
「うるさい」
「う、うっす」
これは完全に触れるべきことではなかったので、これ以上は止めておこう。
杏鶴は一度大きく鼻を鳴らして雪翔を威圧し、話は終わりだと箸で豚肉を掴む。
食事の時も楚々として、上品に咀嚼し、嚥下する。
「……塩辛いのですが」
「杏鶴がもえキュンしてくれないから。甘さ成分が足りなくてな」
「そういう問題ではないでしょう。あなたの調整ミスでは?」
予想していた言葉を受けて、雪翔も一口食べてみる。
神頼みはしたのだけれど、味の改善は全く為されていなかった。
彼女の言う通り、味噌の主張が強すぎる。
「実はだしの素的な物を買い忘れちゃってさ」
「野菜も少なく感じます。人参や大根があれば、うま味になったのでは?」
「野菜なぁー。野菜かぁ。野菜好き?」
「まぁ。程々に。白菜とか入れて欲しかったです」
「渋っ。子供は肉を食え」
「その理論なら、大人であるあなたは野菜を食べてください。好き嫌いせずに」
雪翔を軽くあしらいながら、唯一の野菜であるえのきを口に運ぶ杏鶴。
間違いなく味は濃いけど、食べられない訳ではないらしい。
「杏鶴と一緒に居ると自分の不甲斐なさが際立つぜ……」
一人暮らしが長くなると、自堕落な生活から抜け出せなくなってしまう。
今や深い怠惰の沼に沈んで、自力で岸に上がることは出来そうになかった。
実家にいた頃は、母親から毎日のようにお小言を貰っていて、それが嫌で一人暮らしを始めたけれど、今となっては本当に有り難いことだったのだと痛感する。
「……鬱陶しいですか?」
だから、杏鶴の不安気な言葉は全くの的外れだ。
「全然? 最早開き直ってる」
「それはそれでどうなんです……?」
「俺は何やっても俺だからな。自分らしくいることが健康的だと思ってるし」
「野菜嫌いの人が健康を語るのは矛盾していると思いますけど?」
「はははぁー!! こりゃ一本取られたな!」
結局は、自分の都合の良いようにしか考えられない。
健康パンだけで病気は治らないし、自炊をしなくちゃ出費も嵩む。
嫌なことに目を瞑っているのは、紛れもない真実だ。
模範を目指す杏鶴に見せる社会人の姿としては、まるで適していないだろう。
「杏鶴こそ。俺みたいな大人といてイライラしないか?」
「自分の理想を他人に強要する程。頑固ではないと思ってます」
「多少強情な自覚はあんだな」
雪翔の揶揄っても彼女は何も答えない。
自分が意地っ張りであると自覚しているのは、大人に憧れた背伸びだろうか。
「でも、嫌われてないならよかったよ」
そう何気なく口にして、肉を食う。
食べられなくはない。よりは美味しくてよかった。
「それは……、どうしてですか?」
大量の肉を平らげようと本腰で気合いを入れようとして、抑えた声が聞こえてきた。顔を上げれば、真剣な表情をした杏鶴が真っすぐな目を向けてきている。
「私がどうかなんて関係なく。あなたが嫌なら追い出せばいいでしょう」
その言葉は、半ば強制的にやってきた彼女の行動にはそぐわない。
けれど、きっと。あの時の彼女は、なけなしの虚勢を張っていたのだろう。
縋る物を見つけて、必死にしがみ付こうとしたんだろう。
「私に情けを掛けたって。あなたにメリットはないのですから」
固い仮面を外してみれば、こんなにも簡単に孤独に塗れた表情が顔を出す。
力尽くで雪翔を従わせるつもりなんて。生真面目な彼女らしくない
「確かに。その通りかもな」
「……」
「杏鶴は。もう来んなって言ったら来ないのか?」
思えば、彼女は昨日も今日も人助けをしていて、それを恩義に感じる人に出会えていた。その中にはもしかしたら、彼女の事情を理解して、受け入れてくれた人もいたかもしれない。
「……はい」
けれど、杏鶴は今日もこうして、ここにやってきた。
そこに意味があるんだと。雪翔は思う。
「じゃ。それまではここに居ていいぞ」
「え……?」
「言っただろ? 一人で飯を食うのは味気ないって」
失敗した料理も、杏鶴がいるから食べられる。
それだけで、とても大きなメリットだ。
「だから、実質。杏鶴がこの生活を嫌になるまでってことになるかな」
彼女を遠ざける理由が雪翔にはなくて。
詰まるところそういうことになるだろう。
杏鶴がいなくなって得られる物は、平穏という退屈な物でしかないのだ。
「この生活は、嫌です」
「嫌なのかよ……」
「栄養が極端に偏りそうなので」
「食べられるだけ感謝しろー」
こんなところで我儘を言う杏鶴に溜息が漏れる。
でも、彼女が言いたかったのは、お姫様みたいな図々しいモノではなくて。
「優しくして貰うだけは、嫌なのです」
きっぱりと言い切る言葉全てが、柚鳥杏鶴らしい。
今までだって、彼女は必ず、何か対価を用意していた。
そうしないと、素直に甘えられない性格なのだ。
「あなたは好き嫌いが多くて、バランスの良い食事は作れないでしょう」
「まぁ……。正直自信というか。作るつもりもないかもしれん」
「だったら、私が作ります」
「……へ?」
「それが私にできる。雪翔への恩返しです」
そう言って、杏鶴は優しく笑ってみせた。
その笑顔が柔らかくて。温かみがあって。ようやく彼女が安心できたのだと。
自分にそれができたのだと。ほんの少しだけ鼻高く思えた。




