【コミカライズ】忘れられた王女ですが政略婚の旦那様に溺愛されてます
――ガルスール国には忘れ去られた第三王女が存在する。
身分は低いが美しく聡明だった女性官吏を見初めた王が無理矢理召し上げ作った王女。幼い頃にその母親が亡くなってからは王妃によって王宮の離れに閉じ込められ、今となっては王宮の使用人でさえ第三王女の顔を知る者はほとんどいなかった。
…………そんなガルスール国王城の資料庫から、頭巾をしたメイド姿の少女が両手いっぱいの書物を持ってホクホク顔で王宮の離れへの道を歩いていた。
(やっぱり国外関連の蔵書は資料庫に限るわよね。王宮図書館の本は全て読み終えてしまったし)
こっそりと離れの自室に戻った少女は頭巾を外し、質素な部屋着のドレスに着替える。鏡に映るのは、豊かな波打つ亜麻色の髪を下ろし、新緑の様な鮮やかな翠瞳をもった美しい令嬢。
オリヴィア・ティア・ガルスール。それが忘れられた第三王女である私の名前だ。
母が亡くなってから、王妃に疎まれずっとこの離れに閉じ込められてきた。顔を合わせることができるのは、毎日二回食事を運んでくるメイドのみ。
……はじめのうちは最低限の教育を受けさせるつもりはあったのか、家庭教師はついていたのだ。家庭教師の杓子定規な勉強は物足りなかったけれど、未知のことを知ってそれをどう応用するのか考えるのはとても楽しかった。たくさんの知識に埋れれば、母と共に本を読んで内容を語り合った日々を思い出す。だから簡単な課題を秒で終わらせると、私は法律書や過去の政策の資料などを持って来てもらってはそれを読み耽って自分の考えを聞いてもらっていた。だが、そんな事をしていたら家庭教師は半年もしない内にもう教える事はないと言って去ってしまった。
新しい本が手に入らなくなって暇を持て余した幼い私は離れを探索しまくり、ある日王族の避難用と思われる地下通路に続く隠し扉を発見した。それからは第三王女の顔を誰も知らないのを良いことに、離れを脱出しては王宮図書館に忍び込んで蔵書を読み尽くす日々を送っていた。
トントンッ。
手に入れた本を読んでいると、いつもの食事の時間でもないのに部屋の扉がノックされた。
急いで資料を隠して返事をすれば、何回か見たことのある侍女長が入って来て感情のこもらない声で告げられた。
「オリヴィア様、陛下がお呼びです」
「……はい……?」
パチクリと目を瞬かせる。王、つまり父親からの呼び出しなどこれまで一度もなかったことだ。
ついて行った先は、豪奢で金のかかった悪趣味な部屋。そしてその部屋に似合いの恰幅の良いジャラジャラと宝石をつけた王と派手なドレスを着た王妃が正面の王座に座っていた。
「ほう、これが。なかなかの容姿じゃないか。これならもっと支援金をつり上げられたな」
王はジロジロと私を見ると下卑た笑いを浮かべる。
(そもそも、まだ第三王女がいた事を覚えていたのね)
頭の中でそんな事を考えていた私は、冷めた目を隠すようにじっと瞳を伏せていたが、王の隣で私を睨みつけていた王妃が口を開く。
「陛下。容姿は良くても、女でありながら無駄に学をつけようとするみっともない娘なのですよ。まるであの女官吏のようで忌まわしいこと」
女性は男性に従順であれ。貴族女性が学をつけて働くなどよっぽど貧乏なのか、みっともない。――そんな世論のこの国で、国のため官吏として働いていた母がどう思われているのか理解はしているつもりだった。
私は拳を握って表情を隠すように顔を俯かせたが、しかし次の王妃の発言にその新緑の瞳を大きく見開かせることとなる。
「ふん、慈悲でお前のような者をこの城に置いてやっていたけれど、役に立って良かったわ。――お前には、隣国の王弟に嫁いでもらうわ」
***
(わざわざ私を生かしているのも、何かしらに利用する為だとは分かっていたけれど、やっぱり政略結婚か……。隣国に嫁いだら、もう好き勝手に勉強も出来ないわよね……)
離れの自室に戻り呆然とそんな事を考えながら、以前読んだ隣国の情報を頭の中から引っ張り出す。
隣国グランデリアは現在王位を継いだばかりの若い王が統治している。そしてその王の実弟の名はレンブラント・ロス・グランデリア。王族でありながら騎士団に所属し、騎士団の団長を務める実力者だったはずだ。
「そんな人物が、私みたいな売れ残りを……?」
高位貴族の娘であれば十六歳のデビュタント前には婚約者も決まっているものだが、すでに十八歳にしてデビュタントも未ださせてもらえない私は完全に売れ残りだった。
後から聞いた話では、近年疫病が流行るガルスール国への支援の見返りに王女との婚姻を提案されたらしい。上の二人の第一、第二王女がすでに結婚、婚約しているため、王はやっと第三王女の存在を思い出したのだ。
(違和感を感じる……。大国であるグランデリアにとって何のメリットもないのに、何故……)
……ちなみにこのガルスール国は控えめに言っても腐っている。
王侯貴族の贅沢のために税金が上げられ続け、平民たちは貧困に喘いでいるが、誰も改善しようと声を上げた事などなかった。
当然国民たちの不満は溜まりに溜まり、王族への憎しみの感情は日々膨れ上がっていた。
***
隣国の情報を集める間もなく、顔合わせの日はやって来た。
支援状況の確認もかねてガルスール国へやって来たレンブラントに私は深く頭を下げる。
「お初にお目にかかります。ガルスール国第三王女、オリヴィア・ティア・ガルスールと申します」
「初めまして、ガルスールの姫。私はレンブラント・ロス・グランデリア。あなたの婚約者となる者だ」
涼やかな声に顔を上げれば、レンブラントの紫を帯びたサファイアのような青い瞳を至近距離から見上げる形となった。華美でないが上品な黒いコートに、背中で括られた艶やかな銀髪がよく映える。その姿は社交界で確実に女性たちを騒がせるであろう容姿だった。
「へえ、妾腹で引きこもっている王女と聞いていたけど、礼儀作法は問題無さそうだね」
いきなり放たれた失礼な言葉に、私は貼り付けた笑顔のまま固まった。
「……ふふふ、レンブラント様こそ、このような親にも忘れられた王女を支援の見返りに娶ろうなどと物好きな真似をなさって、どんな目的があるのか非常に気になりますわ」
私の言葉に意外そうに眉を上げると、レンブラントは視線ひとつで人払いを済ませた。そしてその口元を緩める。
「なかなか頭も回る姫のようだね。実は最近兄や貴族たちからのお見合い攻撃に嫌気がさしていてね。上手く黙らせる方法はないかと考えていた時に、君の国から支援を求める話がやって来たという訳さ」
「なるほど、お飾りの妻をお望みという事ですね」
「頭の良い人は好きだよ。なに、これは君にも利のある話だ、忘れられた第三王女様。こんな所に押し込められていたようだけど、俺は君にお金の不自由はさせない。君が望むなら社交界にも出させてあげる。
妻役を上手く演じてくれるなら、君の自由を保証しよう」
「……それは、確かに私のような者には破格の待遇ですね」
私の呟きにニコリと満足そうに笑うと、レンブラントは手を差し出した。
「では、交渉成立という事で」
レンブラントの大きな手を握りながら、私は満面の笑みで問いかけた。
「ちなみに、具体的においくらいただけるのか契約書に明記していただけます?」
私の言葉に、今度はレンブラントの方が笑顔を固まらせたのだった。
***
(まさかあんな金額を貰えるなんて、言ってみるものだわ)
私はルンルン気分で机に何枚もの計画書を書き連ねていた。
思い浮かべるのは、時々城を抜け出して行く下町で出会った人々の姿。特に心を占めるのは、好奇心にかられて初めて城下に降りた時に迷っていた私を助けてくれた孤児院の子供たちだ。
王宮で誰にも顧みられない毎日を送る私にとって、いつの間にかそこは心の拠り所となっていた。無邪気な笑顔を向けてくれる子供たちを、いつしか私が守りたいと思うようになった。
しかしもちろんこんな国の孤児院で十分な支援など受けられる訳はなく、日々の食べ物にも困っている状況だ。病気にかかっても、医者に診てもらうこともできないだろう。お金がなければ、何よりも大切な命さえ守れない。孤児院に限らず、ギリギリの状態で暮らしている人々はこの国に溢れている。
私に王女としての力があれば……。せめてお金さえあればこの状況を少しでも改善できるのに。
そんな苦く悔しい思いをずっと抱えてきた。だからこれは、私にとって初めてのチャンスだった。
今まで読み込んできた膨大な資料から導き出し、頭の中で構想してきた施策。その場限りでなく持続的に子供たちが職を得て飢える事のないように出来る仕組み。その初期費用を、この予算でなんとか賄うことができる。
私は夢中でペンを動かした。――ノックの音に気づかないくらい。
「……へえ、面白いことを考えているね」
突然すぐそばから聞こえてきた声に、驚きからペンを取り落とす。振り返れば、驚くほど近くでレンブラントの秀麗な顔が私の手元を覗き込んでいて心臓が口から飛び出そうになった。
「レ、レンブラント様⁈いつの間に入って来られたのですか⁈」
「ちゃんとノックはしたさ。でも反応が無かったから気になってね」
悪びれもなく言ったレンブラントは、私の手元の計画書をスルリと抜き取ると、止める間もなくじっくりと読み込み始めた。私は慌てて止めようと手を伸ばす。素人の作ったものだと馬鹿にされるのではないかと、咄嗟に怖気付く心が顔を出したのだ。
しかしその手が触れる前に、レンブラントからこぼれた呟きに手が固まった。
「……凄いな。よく考えられている」
「……え?」
「通常、貧困層支援なら食料供給くらいしかされてこなかったが……。最新の絹織り機を導入して中規模の工業化を図り貧困層の職を生み出す、か。この部分の予算は何を元に?」
「あ、それは、昨年の絹や綿の物価推移を元に。絹は現在貴族間で人気が高まっており、その後民間でも広まっていくことが予想されます」
「この技術は?」
「今年他国で発表された新技術にアレンジを加えています。我が国の伝統的な織物の技術を持つけれど現在職を失ってしまった寡婦や高齢者たちも指導役として十分な戦力となるでしょう」
次々に放たれる質問に対して打てば響くような回答に、レンブラントは愉快そうに口元を緩めた。その青い瞳が、初めて私を認識したかのようにこちらを見つめる。
「いいね。オリヴィア、君はもっと大きな予算を動かせるとしたら、何がしたい?」
レンブラントの言葉に、私は驚きを隠せない。こんな小娘の話を聞こうとする人なんて今までいなかったから。
「……それなら、下水設備の整備を。疫病問題を根本的に解決するなら、それは避けては通れません。それに、食料問題解決のために、冷害に強い麦の導入も検討したい。それに……」
私が夢中になって考えを話していると、レンブラントの瞳がわずかに緩んだ。興味深そうに私を見つめると、口を開く。
「今回、ガルスール国への支援と君との婚約を名目に来たわけだから、俺にはこの国の支援策に口出しする権利があるんだ。ここの王族は嫌がるだろうけどね」
「……ああ、あの人たちは支援金も全て自分たちの贅沢に使いたかったみたいですから」
「そんな事させないさ。人命救助の点で教会からの肝煎りでもあるから、こちらからの支援内容に文句は言わせない。君の考え、試してみるか?」
「っ……それは、私の案を採用してくれるという事ですか?」
「俺たちは一ヶ月支援状況の視察でこの国に留まる予定だ。その間に予算内である程度の形にできる計画に詰められるのならば、君の案を支援しよう」
「!」
トクトクと心臓が跳ねる。今まで誰にも話せなかった考えが、実現するかもしれない。私にも、この国の民のために出来ることがある。そのことが、甘い痺れのように全身を駆け巡って胸を高鳴らせた。
きっと私は頬が緩んでだらしない顔をしていたのだろう。心のままに笑顔を浮かべて「ありがとうございます!」と感謝を伝えれば、レンブラントは一瞬目を見開いた後、顔を隠すように背を向けてしまった。
それから私は夢中で計画の詳細な資料を作りレンブラントと話し合った。彼は必要な資料も用意してくれた。女の考えだと馬鹿にするガルスール国の官吏を説き伏せ、計画を進めさせてくれた。
自分の考えが形になり、城下の人たちの生活が少しでも向上すると考えると、とても嬉しくやりがいを感じる。
それは全て、私の案を認めてくれたレンブラントのお陰だった。彼は約束の通りに、私が自由に動けるように最大限の後押しをしてくれた。
(どうしてこんなに良くしてくれるんだろう……)
書類を見つめるレンブラントの秀麗な横顔をそっと見上げる。
私のような専門に学んだ事もない女の言葉を、彼は真摯に聞いてくれる。民の生活に関わる事柄に対してとても真剣な表情をする様は、初対面の時の印象とは正反対だった。
(彼は、王族として民を守る事への責任感が強いのね。そしてそれは、他国の平民たちにも……)
そんな初めて充実した日々を過ごしていた私は、忘れていたのだ。レンブラントの婚約者としての役を全うしなければいけない契約だったということを……。
舞踏会の扉の前で、私は顔を青ざめさせる。
今日はグランデリア一行を交えての舞踏会が開かれるのだ。今まで社交に出る事はなかったためにすっかりと舞踏会の存在を忘れていた私は、レンブラントに贈られたドレスを纏ってエスコートされていた。
「わ、私、デビュタントもまだの上にダンスもまともに習った事がないんです。私なんかをエスコートすれば、いらぬ恥をかく事になりますよ。今からでもどうか別の方を……」
「俺は婚約者である君以外をエスコートするつもりはさらさらないよ」
レンブラントはおかしそうにクスクス笑って私の手を取る。
「我が婚約者殿は大胆な施策を考えつくくせに社交に関してはまるでヒヨコみたいだな。でも契約だから、君にはしっかり俺の婚約者役をしてもらわないと」
レンブラントはそう言いながらも、まるで守るように私を優しく抱き寄せる。
「何も心配いらない。何があっても俺が守ってあげる」
宝石のような青い瞳に射抜かれて、私は小さく息をのんだ。ニコリと微笑んだレンブラントに手を引かれ、広間に入場する。
「まあ、あれが第三王女様ですの?とてもお美しい方ね」
「とはいえ、あの歳でデビュタントもまだじゃ、まともに社交がこなせるのか?」
「大国グランデリアの王弟には釣り合いませんわ」
コソコソと囁かれる声に顔を俯けそうになった私の肩を、レンブラントが引き寄せた。そして私を噂していた人たちに向かって口を開いた。
「私はガルスール国の方々に感謝しておりますよ。これほど優秀な王女を我が国にお迎え出来るのですから。彼女はすでに私の仕事の補佐もしてくれています。私の妻には、彼女以外は考えられません」
そして私の前で跪くと、「踊っていただけますか」とダンスに誘う。その瞳に断る事が出来なくて、私は無様なダンスになるのを分かっていながらもその手を取ってしまった。
「大丈夫、俺に任せて」
その声に顔を上げれば、自信に溢れた笑みが返される。グッと腰を引かれてダンスが始まれば、体が羽のように軽くステップを踏む事ができた。それは、全て目の前のレンブラントの完璧なリードのおかげだという事が分かる。
「君は堂々と胸を張っていい。この国の救済策を提示し、予算内で誰も思いつかない最高の手を打った。ベテランの官吏でも出来ない事だ。君は、自分の才能を誇るべきだ」
ダンスという密着した状態でそんな言葉を吐かれて、私は自分の頬が熱くなるのが分かった。
私の努力を認めてくれた、初めての人。
――私、この人と結婚するんだ――
縁談よけのお飾りの妻だと分かっているのに、私の胸には小さな熱が灯ってしまったのだった。
その日の夜会から、忘れられた第三王女は大国の王族に望まれるほど優秀なのだという噂が広まっていった。
***
日々は瞬く間に過ぎ、グランデリア一行がやって来てもうすぐ一ヶ月。私はレンブラントと共に絹織り工房の現場を視察に訪れていた。工房は今は廃業している昔の製糸工房を利用している。
レンブラントの伝手で素早く導入する事のできた絹織り機が稼働している事に、私は瞳を輝かせた。
「問題ないようで良かった」
工房の手伝いをしていた孤児院の子供たちが私に気づいて駆け寄ってくる。
「オリヴィアお姉ちゃん、工房を作ってくれてありがとう!お仕事のお陰でね、毎日お腹いっぱい食べられるようになったんだよ!」
輝く子供たちの笑顔に、私は目頭が熱くなった。他の働き手たちも生き生きと仕事をしており、私に笑顔を向けてくれる。
手伝いに戻る子供たちの後ろ姿を見つめながら、私は隣に立つレンブラントに湧き上がる想いを伝えた。
「私、ずっと何かを成し遂げたかったんです。この国の官吏であった母の為にも、孤児院の子供たちの為にも……」
「君は立派に成し遂げたよ。あの子たちの笑顔は、君が守ったものだ」
包み込むように笑うレンブラントに、私は胸に芽生えた想いをそっと隠しながら精一杯の感謝を込めて笑顔を浮かべた。
「レンブラント様、私の夢を叶えてくださってありがとうございました。グランデリアに行ったら、契約通りあなたの妻役を精一杯頑張りますね」
その綻ぶような笑みを見て、レンブラントは魅入られたように息をのんだ。グッと拳を握ると、とても真剣な瞳を私に向ける。サファイアのような青い瞳の中に熱を灯して……。
「オリヴィア、君に話しておきたい事がある。俺は……」
その時、レンブラントを呼ぶ声が聞こえてきた。
「レンブラント殿下!グランデリア国の使者より陛下からの書状が届いたようです」
「っ!ああ」
何かを言いかけていたレンブラントは、後で話そうと真剣な瞳で言い置くと、足早に使者の元へと向かって行った。
「〜〜!!」
私は熱い頬を両手で隠しながらペタリと床に座り込んだ。
どうして人が自分の想いを隠してあなたに都合のいいお飾りの妻役を全うしようとしているのに、そんな目で見つめてくるのだろう。
(やっぱり人が悪いわ……)
私は頬の熱を冷まそうと工房の空き部屋まで行き、ベランダで風に当たるため窓を開けた。
ちょうどその時、ベランダの直ぐ下から二人の男性の話し声が聞こえてきた。
(この声……、レンブラント様とグランデリアの使者?)
盗み聞きは良くないと場所を移動しようとした時、耳に飛び込んできた使者の言葉に私は体を硬直させた。
「レンブラント様、この国の王族に取り入り情報を得る計画は順調でしょうか?」
「いや、まだ決定的な証拠を掴めていない。それさえ掴めれば、この国の腐った王族を引き摺り下ろせるのだが……」
「グランデリア国内では、まどろっこしい事はしないで武力で圧倒してしまえば良いとの声も出ていますが……」
「万が一戦になった時には真っ先に民の命が脅かされてしまう。それは避けたいんだ」
確固としたレンブラントの意志の窺える言葉に、従者は胸に手を当て頭を下げた。
「かしこまりました。引き続き計画通りに進めていきます。しかしこの国に留まっていられるのもあと僅かですので、早急に証拠を掴まねば」
「ああ、多少強引な手段に出なければいけないかもな。秘密裏に人身売買を行っているような奴らをこれ以上国のトップに置いておく事はできない。我が国の人間にも手を出されたのだ。必ず責任を取らせる」
「オリヴィア様とのご婚約はどうなさるのですか?」
「……もちろん、今回の件の方がつけば婚約を解消する」
レンブラントの言葉に、私は息をのんだ。
頭の中が真っ白になり、足元がガラガラと崩れていくような錯覚に襲われる。
二人の姿が消えた途端、私は詰めていた息を吐き出した。的確に状況を判断してしまう自分の冷静な頭が、今は憎かった。
ふらりと壁に寄りかかると、天井を見上げて乾いた笑いをもらす。
――ああ、政略結婚でさえなかったんだ。
レンブラント様にとって私との婚約は、ただこの国の罪状を探るための隠れ蓑でしかなかった。
(人身売買……。平民を物のように考えているあの人たちならやりかねないわ。城下でも、ガルスール王国周辺で人攫いが頻発しているという噂を聞いた事がある。他国の人間にまで手を出していたとしたら、戦争になっても文句は言えない)
ガルスール国の王女と婚約を結ぶ事で油断を誘い、支援視察の名目でこの国に滞在して証拠を探る。
教会で禁止されている人身売買をガルスールの王族が行なっているという確証が得られれば、教会からの破門を言い渡されて争いなく王位から引き摺り下ろす事ができる。恐らくレンブラントはそれを狙っているのだろう。
(その腐った王族の血が流れている私と結婚する気なんて、きっとカケラもなかったんだわ)
胸がズキズキと焼けるように痛い。
しかし私は手をギュッと握りしめて頭を振った。
分かっていたのだ。今回の施策が根本的な解決にならない事は。この国の王族がトップにいる限り、民の疲弊は進んでゆく。支援が円滑に進んでも、グランデリア一行が帰国した後では王の一言で全てを無にされてしまう恐れだってあった。
この国の民を救うためには――今の王族では駄目なのだ。
(ずっと願っていたことじゃない。孤児院のみんなが安心して暮らせるような国に変われたらって。あの王族たちを引きずり落としてくれるのがレンブラント様なら、きっと悪いようにはしないと信じられる。敗戦国の民への支援も積極的に行なっているグランデリアの属領になれば、少なくとも今より民の生活は良くなるわ)
ともすれば涙を流しそうになる目元を強く擦ると、私はバッと顔を上げた。
他国の人間に危険を冒させるつもりはない。自国の責任は、腐ってもこの国の王族の血が流れる私が行うべきだ。
それに、彼らが証拠を掴めなかった場合、戦が起こる可能性もある。それは絶対に避けなければならなかった。
(レンブラント様たちが帰国するまでもう時間がない。王と王妃は公務という名の豪遊で明日の夜まで城にいない。きっと今しか、チャンスはないわ)
私は城の隠し通路のほとんどを把握している。迷宮のような地下通路を、幼い頃の探索で全て記憶しているのだから。
そして王の機密書類の保管場所にも、心当たりがあった。
私はグランデリアの騎士に先に帰る旨を言付けてもらうと、工房内の知人たちにいくつもの指示の手紙を託してから一人城に帰ったのだった。
***
翌日の夜。
隠し通路から王の執務室に忍び込んだ私は、やっと手に入れた国が人身売買に関わっていた証拠の書類を抱えながら地下通路から這い上がり、レンブラントたちが滞在する離宮に駆け込んだ。
取り次いでくれたグランデリアの騎士から私の様子を聞いたのだろう、急いでやって来たレンブラントに、私は機密書類を押し付けるように手渡した。執務室から持ち出した書類だけではない。ここにはそれを裏付けるために下町の協力者のみんなに集めてもらった国中の行方不明者やその地域、時期の詳細や実行犯と思われる組織をまとめた資料もある。
「レンブラント様、これを持って今すぐ国にお帰りください」
「は?おい、これは一体どうしたんだ!それに、なんでそんなにボロボロになってるんだ⁈」
最後の最後で衛兵に見つかり、何とか地下通路に飛び込んで逃げ切ってきたのだ。髪もほつれてドレスも所々擦り切れた私にレンブラントが焦ったように問いかけてきた。
しかし今は説明している時間もない。機密書類がグランデリア側に渡った事を気づかれないように、今ここに私がいる事を知られてはいけない。すぐに移動しなければ。
私は最後になるであろうレンブラントの瞳をじっと見つめた。
騙されていたと分かってはいても、彼の真剣な青い瞳は誰よりも綺麗で、信頼できるものだと思えるのだ。
「レンブラント様、どうかこの国の民をお願いいたします」
それだけを言い置いて、私はレンブラントの制止を振り切って自分の離れに駆け込んだ。
その直後に、離れの扉がノックもなしに激しく蹴破られる。
「オリヴィア!お前、重要機密の書類を持ち出したな⁈どこにやった⁈」
衛兵を従え鬼のような形相で怒鳴りつけてくる王と王妃に、私は震える足を踏ん張ってなんて事ないように笑顔を浮かべて見せた。
「何のお話でしょう?私には皆目見当もつきませんわ」
「お前が盗んだ証拠は出揃っているのよ!衛兵、こいつを地下牢へ!拷問してでも吐かせるのよ!」
衛兵たちに取り押さえられながらも、私は静かに息をついた。
(これでいい。レンブラント様たちが城を出るまでだけの時間が稼げればいいのよ)
これから自分がどう扱われるのか恐怖を抑え込みながら、抵抗せずに外に引き摺り出される。
しかしその時、唐突に周囲の衛兵たちがバタバタと倒れ始めた。
驚く私の目の前に、月夜に輝く銀糸の髪が舞う。レンブラントの姿を認識した次の瞬間には、私を捕らえている衛兵も一瞬のうちに剣の柄で沈めてしまった。
カチャリと剣を鞘にしまったレンブラントの青い瞳が、私を捉える。
「遅くなってすまない。……迎えに来たよ、オリヴィア」
「レンブラント様……?」
痛む体で何とか立っている私の姿に、レンブラントはグッと拳を握りしめて近づくと力強い腕で私を抱きしめた。その腕の温かさに、目頭が熱くなる。
「……どうして、助けになんて来たんですか?あなたの目的は達成できたのに。……私は、あなたの憎むこの国の王族なのに」
「来るに決まってるだろ!あいつらと君は違う!君こそ、何でひとりでこんな危険な事を!」
「だって、あなたの目的は、人身売買の証拠を掴む事だったのでしょう?その為の隠れ蓑の婚約者の事なんて、捨て置けば良かったのに!」
「確かに君に近づいたのは王族の情報を得るためだった。だけど、君を知るほど俺は君に惹かれていた!君の目標に向かう真剣な瞳も、民を思う気持ちも、俺を惹きつけてやまなかった!」
熱い想いを宿す青い瞳に真っ直ぐに射抜かれる。
「俺は元から、君を置いて国に帰る気なんてなかった。
――君を愛しているんだ、オリヴィア」
レンブラントの言葉に、心の奥から熱いものが込み上げてくる。
胸がいっぱいで何も言葉に出来なくて、ただ新緑の瞳からポロポロと涙を流す私の頬をレンブラントは優しく拭い、愛おしそうにそっと赤い目元に口付けを落とした。
レンブラントは私を宝物のように腕の中に抱き上げると、鋭い瞳でへたり込んだ王と王妃を睨みつける。
「さて、ガルスールの王よ、こちらはあなた方が人身売買を行っていた証拠を手にしています。すでに本国の教会に早馬で送っているので、あなた方の破門は確実ですね」
「な、お、お前を殺せばまだ間に合う!衛兵たち、こいつらを捕えろ!」
しかしまだ動ける衛兵たちも、誰も動こうとはしなかった。
「はは、私利私欲に塗れたあなた達には、誰も忠誠など誓っていなかったようですよ。王位を剥奪されるあなた達の命令など、誰も聞く者はいない。地下牢に行くのは、あなた達の方だ」
――そうして王族や犯罪に加担していた貴族達は軒並み罪に問われることになり、ガルスール国はグランデリアの属領となったのだった。
新しいガルスール領の領主となったのは、元ガルスール王の残虐な振る舞いを摘発したグランデリアの王弟。そして元ガルスールの王族の中で唯一民の暮らしに心を痛めその救済に尽力した第三王女がその妻として共に赴くこととなった。
「全ての方がついたら、私との婚約は破棄するつもりだったのではないのですか?」
「ああ、偽りの政略結婚は破棄して、君に俺の本当の妻になって欲しいと乞い願うつもりだった」
全てが終わった後、レンブラントはそう言って、驚きで目を見開く私の前に跪きそっと私の手を取った。
「オリヴィア、愛している。君をお飾りにしておくなんて、俺の方が耐えられそうもない。
お飾りの妻なんかじゃなく、最愛の妻として、俺に君を愛させてくれないか?」
熱のこもったレンブラントの言葉に、顔が赤くなるのが分かる。
「私も……愛しています、レンブラント様」
恥ずかしさで小さな声になってしまったけれど精一杯に気持ちを伝えれば、目の前のサファイアのような青い瞳が熱くとろける。レンブラントは強く私を抱きしめると、そっと私の頬に手をそえて熱く優しい口づけをおとした。
二人の結婚は他国からは穏便に領地を治めるための政略結婚だと思われたが、その仲睦まじさが伝わるうちにそんな噂はいつの間にか消えていった。
後に民から絶大な支持をうけて『貧民救済の革命者』として名を残すことになる元忘れられた第三王女は、今日も夫と共に生き生きと政務に邁進し、ガルスール領をかつてないほど発展させるのだった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
コミカライズ詳細につきましては、決まり次第またご報告いたします!