暗殺者、決闘する・3
連撃に連撃を重ね、アレスを回避に専念させていたアスラン。
その合間合間に術式の構築と詠唱を終え、正に今こそソレを放たん!としていた時であった。
それまで回避一辺倒であったアレスが、アスランに対してその拳を顔面へと目掛けてめり込ませたのは。
「…………が、ぶへらっ!?」
当然の様に、真正面からまともに喰らってしまうアスラン。
その時まで、欠片も攻撃の意志を示す事無く回避に専念していたアレスは『攻撃する事が出来ない』と勝手に思い込んでいた為に油断しきっており、彼が唐突に攻撃をしてきたので回避しようとする素振りすら見せる事が出来ずに受ける羽目になってしまったのだ。
……尤も、油断していた、と言う事実を省いたとしても、アレスが振るった拳に対して反応する事は当然として、視る事すら出来ていなかった為に油断していようとしていなかったとしても、結果は変わらなかっただろうが。
そうして、一撃の元に地面に沈み、後は鍵言を完成させるのみ、と言う段階まで至っていた術式の構築も同時に崩壊させ、殴られた為にへし折れたらしい鼻を抑えつつ鼻血を滝の様に流しながら呻き声を挙げるアスランの姿に、周囲で勝手に盛り上がっていた見物人達は、まるで水でも掛けられたかの様に静まり返る。
何せ、自分達が状況優位と見て声援を送り、勝利を確信していた若手で気鋭なアスランが、噂では無能な寄生虫に過ぎないハズのアレスに、手も足も出ないハズのアレスの攻撃で倒れている、と言う事実を受け止め切れていないのと同時に、彼らの胸中に『もしかして噂って間違っていたのか……?』と言った疑念が湧きつつあった。
そんな、静寂が支配する訓練所の内に、アレスの声が響いて行く。
「もう、良いや。
あれだけデカい口を叩いて俺の女に手を出そうとした挙げ句、こうして大々的に決闘まで挑んで来てくれてるんだから、何かしらの隠し玉や奥の手、勝算の類いが確実に在るんだろう、と期待してここまで付き合ってやったけど、大した事は無さそうだしもう良いや。
まだ隠してる力とか御大層な切り札だとかが在るんだったら早めに使うのをオススメするぞ?そろそろ、本気で殺しに掛かるから」
半ばを過ぎ、本気で呆れている事を隠そうともしていない彼のセリフがアスランへと投げ付けられると同時に、アレスが腰に差していた長剣を抜き放つ。
と同時に、訓練所の内部へと、濃密なまでの『死の気配』が漂い現れる。
それまで、職業が本当に暗殺者であるのならば長剣なんて使わずに短剣やら暗器やらを使うハズ。
ならば、自称している職業も嘘で本当は下級職の雑魚なのだろう、とも半ば本気で思っている者も少なくは無かった。
が、彼が得物を引き抜き、攻撃の意志を見せ、目の前の相手を殺す事を意識した瞬間に悟る事となった。
…………あぁ、目の前の存在は圧倒的な強者であり、容易く周囲の生命を刈り取る事が出来てしまうのだ、と、
そして、彼の職業が詐称でも無く本当に『暗殺者』なのだろう、と言う事も同時に悟る。
一流を超えた暗殺者は、対象に命の危機を告げさせる様な『殺意』を放って感付かせる事は無い。
ただただ、絶対的な『死』のみが齎される、と言う事実を告げる死の気配を、確定した事項として下すのみなのだ、と。
それに気付いた、気付いてしまった見物人達の何割かが腰を抜かしてその場にへたり込み、その内の幾人かが失禁して下半身を汚して行く。
が、最初からこうなるのだろうな、と予測していたのであろう『追放者達』のメンバー達は、今更にして誰に喧嘩を売る様な真似をしたのか、どんな存在を馬鹿にする様な言動を取っていたのかを悟って震える連中を、生ゴミを見ている時の方がまだ温かみと人情が感じられる、と言うレベルの冷たさを含んだ視線を向けていた。
そんな、状況が比喩表現抜きに『混沌』とし始める中、それまで地面に蹲っていたアスランが、一人怒りの声を挙げる。
「…………ふ、ふざけるなよ!?姓も無い、何処ぞのゴミとも知れない分際で!?
この私を、高貴な血を引く私を殴っただけでなく、殺すだと!?そんな事が、許されるハズも、出来ようハズも無かろうが!?!?
おい、お前ら!もう、構う事は無い。このまま囲んで、この下郎に裁きを下してやれ!
これは、この決闘のルールの上でも認められている行動だ!残念だったな!!」
鼻血を垂れ流し、長く伸ばした金髪を振り乱しつつ、血走った目をしながら自身の仲間であり部下でもある『華麗なる猟兵』のメンバーへと指示を出すアスラン。
その姿は、登場当初の外見上は貴公子然としていたモノとはかけ離れており、最早魔物か妖怪の類いだったか?とのツッコミが入りそうな様相を呈していた。
己の内に秘めていた醜い本性を剥き出しにして命令を喚くアスランに対して『華麗なる猟兵』のメンバー達は、素早く反応してアレスを周囲を取り囲む。
どうやら、彼の本性については先んじて承知していた上に、アレスから放たれる圧に対してもある程度は抵抗出来るだけの実力も備えている様子。
元来、強大な魔物と対峙してソレを討ち果たす事こそ、冒険者を名乗る者達の内の一つ。
であるのならば、時には自身の力量を超えた相手と相対するのは当然の様に起きうる事態であり、相手から放たれる圧や魔力によって容易に膝を突いて戦いを放棄してしまわない胆力の類いも重要な資質の一つである、と言える。
その点に関して言えば、彼らの資質は十分優秀なモノであり、このまま順当に進む事が出来るのならば冒険者として大成する事も可能である、と言えるだろう。
…………が、彼らには、冒険者として必要な資質の内の一つ、絶対に自分達では勝てない相手には敵対しない為に必要な『相手の力量を推し測る』鑑定眼の類は、残念ながら持ち合わせていなかった様だ。
それぞれの得物を手に、アレスを包囲の内側へと収める『華麗なる猟兵』達。
流石に、この段に至っていればアレスの実力が自分達のソレを超えているのは理解しているのだろうが、これだけの人数差があればどうにでも出来る、とでも思ってしまっているのだろう。
その証拠に、彼らは自分のリーダーであるアスランが一撃で地面に沈められている、と言う事実を目の当たりにしていながらも、その口元にはニヤニヤとした嘲笑いを浮かべており、取り囲んだ直後であるにも関わらず、手にした得物を左右に持ち替えたり切っ先をユラユラと動かしたりと、アレスの事を嬲ろうとするかの様な動作を見せていた。
…………これでまだ、取り囲んだ直後に全員で突撃し、誰かがやられたとしても自分が引き換えに止めを刺す、位の気持ちで向かって来たのならばまだ彼も手心を加えるだけの余地が残されていたのだろうが、そうした行動が彼の慈悲を灼き尽くし、後に残された冷酷無情な暗殺者が何の予兆も無くその場から駆け出して行く。
特殊な身体捌きと歩法により、例え真正面から視界に収めていたとしても、極度なまでに注視していない限りはまるで唐突に掻き消えた様にも見せる動作を可能とする職業『暗殺者』。
その暗殺者の動作を最適化するだけでなく、自身が経験して来た無数の職業で得た数多のスキルを併用する事で一時的とは言え文字通りに『不可視の存在』へと至った彼は、そのままの意味で敵対する『華麗なる猟兵』達の視界から消え失せると、突然の事態に動揺を露わにした一人の胴を、手にしていた得物で薙ぎ払った。
突如として、血を吹き出しながら地面へと倒れ込む『華麗なる猟兵』のメンバー。
重厚な全身鎧を纏い、大盾の類いすら手にしていたそいつは最前衛かつ盾役として何度も攻撃を受け止め、それでいて最後まで立っている事の出来る耐久力を誇っていたのだが、今は鎧の上から斬り裂かれた腹から滝の様に血を流し、溢れ出そうとしている内臓をどうにか自身の手で抑えるのに精一杯、といった様子を晒していた。
いきなり自分達の盾役が潰された事実と、急に近くで惨劇が繰り広げられた光景に、彼らの間で動揺が加速して行く。
そして、そんな彼らの姿を冷たい目で眺めながら、自らの頬に跳んでいた返り血を無雑作に拭い取ると、一言
「…………さて、残りも潰すか」
と呟いたアレスは、刃の一振りにて血切りを済ませると、再び怜悧な光を宿した得物を手に駆け出して行くのであった……。
長かった『決闘』もここまで
次からは『蹂躙』の始まり始まり