『追放者達』、巨人の軍勢と激突する・5
音は無く、それでいて急激な加速と共に飛び出すアレス。
足場として利用した特異個体の金属的な皮膚、その背中に彼の足跡が凹みの形で残る程の強烈な踏み込むは、アレスの身体を稀人が言葉のみにて伝えた『弾丸』と呼ばれるモノへと迫る勢いを彼へと与えており、現在の状態も相まって文字の通りに『目にも止まらない速度』で短距離ながらも空を駆ける事となっていた。
その衝撃もあってか、蹴りつけられた死体は倒れ込み、その身体を地面へと横たえる事となる。
それだけの巨大な質量が、急に倒れ込めばそれ相応の音や衝撃が発生する事となり、必然的に間近で発生された他の個体としては、何事か?と確認する為にもそちらへと視線を向けて行く。
が、その動作こそ、アレスが狙っていたモノ。
未だ警戒に至らず、緊張から身体を強張らせ、次の動作に繋げられる下地が出来ていない状態であり、必然的に声も挙げられない。
であるのならば、反撃も撤退も選ばれる心配はしなくとも良い。
何せ、この時点でソレを選べるハズも無く、また選べる様な天性の勘の持ち主であれば、最初の個体が暗殺された時に既に反応しているハズであるので、可能性としては排除出来るし、状況的にはそうとも言えないが、思う存分に刃を振るう事が出来る、と言うモノだ。
そうして飛翔したアレスは、先ず手近に居た振り返ろうとしている個体を、すれ違う様に斬り付ける。
首のみを巡らせていたが為に、無防備に晒されていた首筋を横断する様に刃で撫で付け、血管と共に気道までもを断ち切り、確実に命脈を途絶えさせるだけの負傷を与えて行く。
しかし、斬り付けられた個体は動作を止める事無く、そのまま背後へと振り返ってしまう。
どうやら、アレスの絶技と刃の鋭さとが合わさった結果、未だに痛みや出血が発生していないが故に自らが致命傷を負っている事に気が付いていないらしく、呑気に身体を捻って行く。
そして、その結果。
視線を背後へと向け終わると同時に首元の傷がその口を開き、周囲へと赤黒い驟雨と共に気の抜けた笛の音にも似た音が発せられる事となる。
その頃には、他の個体もそちらへと視線を送っていたが故に、その場へと混乱の波が発生する事となる。
何せ、物音と振動に振り返って見れば、一体は地面へと倒れ込んでいるし、もう一体は振り返った直後に突如として喉元から噴水の如く流血し、呆然としながら喉元を掻き毟ろうとする様を見せ付けられる事となったのだ。
残る二体が混乱するのも、当然と言えば当然の事だろう。
が、今いる場所は戦場であり、戦場では何があっても不思議では無く、寧ろ『有り得ない事こそが有り得ない』とまで言わしめる場所である以上、それは『油断』に他ならず、また戦場での『油断』は『致命』へと繋がっている。
その証拠に、トン、と軽い音と共に、呆然としていた個体の胸板に小さな衝撃が走る事になる。
何かと思って視線を下ろせばそこには、まるで空気から滲み出す様にして姿を顕にしている謎の刃が、自らの胸へと突き立てられている光景であったのだから。
未だに現実が理解出来ていないらしく、ポカンとした表情を浮かべる特異個体に対してアレスは、情け無用とばかりに追撃を仕掛けて行く。
具体的に言うのであれば、突き立てた刃を捻り、突き上げ、確実に心臓を破壊して死へと至らしめる様に内部を搔き回し、念の為に切っ先から魔法も放って内部を焼き払ってしまう。
突如として内部に生まれた激痛と、心臓を破壊されてしまった、との死の気配と予感に、思わず恐怖を抱いて叫びそうになる特異個体。
だが、その口から飛び出たのは咆哮では無く、体内にて放たれた、内側を焼き払う業火であり、最後の最後まで苦しみ藻掻きながら、自らが作り出した血の池の中へと沈み込んで行く事になった。
斯くして、残る特異個体は唯の一つ。
これまで、同様の個体を四つ葬ったアレスをすれば、片付けるのは簡単な事だと思われるかも知れない。
…………だが、その疑問に対する返答は、只一つ。
否、それだけである。
確かに、正面戦闘するだけ、で言えば『勝てる』と言えるだろう。
敗北する事も有り得るだろうが、確率としてはかなり小さなモノであり、最早無視しても構わないレベルのモノとなっている。
では、何故『否』なのか?
答えは、こうして正面戦闘になってしまっている段階で既に、アレスが持つ本来の目的を果たす為のハードルが、極限まで高まってしまっているから、だ。
そもそもの話として、彼の目的は『この林に潜む伏兵を排除する』では無い。
あくまでも、敵には未だにここにいる部隊が健全である、と認識させた状態のままで排除する事で得られるアドバンテージが目的である為に、敢えて言うのであれば『敵に気付かれる事無く伏兵を排除する』事が目的なのである。
ソレを踏まえた上で現状を見てみると、実はかなりギリギリのラインとなっている。
何せ、今敵に立ち上がられてしまうだけでほぼ任務は失敗に等しい状態へと成り果てるだけでなく、咆哮の一つも挙げられてしまえばほぼ同じ結果となるのだ。
おまけに、有視界内での攻撃を目視され、それによって隠形も解かれてしまっている状態だ。
流石に、姿を見られてしまっていては再度スキルを展開して姿を隠す、といった事も出来ないし、そもそも目の前で仲間の血に塗れた凶器を携えた存在が唐突に姿を消したのならば、半ば反射で叫んだとしても当然の事、と言えてしまうだろう。
それらの状況が、アレスに対する凄まじいまでのディスアドバンテージとして伸し掛かって来る。
この状態に持ち込んだのが間違いであった、とは彼も思ってはいなかったし、半ば最良に近しい結果を引き続けられた、とはアレス本人も認識していたが、もう少しどうにかならんかったのか!?と内心で叫ばずにはいられない現状に、諦めの境地に近しい心情にて地面を蹴りつけ、最後の個体へと向かって飛び出して行く。
魔力による、純粋な身体強化。
タチアナによる支援術を受けた時程に圧倒的なモノでは無いが、それでも直立している状態から最高速へと至る技術を併用する事で、一瞬とは言え視界から掻き消えて見せる彼の速度は、実際のソレよりも遥かに速く感じられる。
そんな彼に対して最後の特異個体は、立ち上がるでも叫ぶでも、また逃げ出そうとするでも無く、取った選択肢は右腕を掲げての『迎撃』。
木立によって接近する際の経路の選択肢が少ない状況で、衝撃が広範囲に及ぶであろう振り下ろしを選択すると同時に、攻撃によって発生した音によって異変まで報せる事が出来る可能性を産み出す、とは良く考えられたモノであり、ほぼ最良、と呼べる選択肢であったと言えるだろう。
………………だが、それこそが、アレスの求めていた選択肢でもあった。
何せ、この時点で存在をアピールされたり、逃げ出そうとされたりする方が、彼にとっては厄介かつ目論見が途絶える盤面であったが故に、確実に仕留めるべく即座に術式を構築し、発動させ、生成した氷の矢を巨人の顔面へと目掛けて解き放つ。
アレス本人を上回る速度にて飛翔した矢は、即座に特異個体の眼球へと着弾する。
術式の特性上、着弾に際して音が出る事も無く、また急速に眼球の表面を凍て付かせる事で視界を奪い、アレスとしては幸運な事に、攻撃を強制的に中断させて反射的に顔を抑える様に強要する事にも成功する。
その段に至って漸く、咆哮を上げようと大きく口を開く。
が、ソレをアレスが見逃すハズも無く、腰から抜き放った短剣を喉と左右の肺へと目掛けて投擲する。
流石に、人間とはサイズが違い過ぎる為に、それだけで絶命する、と言う訳では無い。
が、臓腑を貫通していなくとも刃先が届き、傷付け、そこから溜め込まれた空気を漏れ出させる事は可能であり、現に三箇所も空気穴を空けられた巨人は、胸腔を大きく膨らませていたにも関わらず、まるで羽虫が飛ぶ様な音しか絞り出す事が出来ずに終わってしまう事となった。
目を凍らされ、喉を潰され、肺を破られた特異個体。
ジャイアント種特有の、即死しなければ大概の負傷は癒せてしまう強烈な回復力により、既に視界は取り戻しつつある様子であったが、その瞳には最早闘志は無く、在るのは恐怖と怯えの光のみ。
立ち上がる事も出来ず、さりとて叫んで助けを呼ぶには未だに時間が足りない事を悟ってしまったのか、恐怖で萎えすぐんだ足で必死に後退り、どうにか時間を稼ごうとする。
が、アレスがソレを読めないハズも、むざむざさせてやるハズも無く、またしても瞬く間に最高速へと至った彼が、真っ直ぐに刃で心臓を貫いたのは、喉の傷が咆哮に耐えられる程度に癒える直前の出来事であったのだった……。