『聖女』、再会する
控えめに為されたノックの音に、ツリーハウスの中から応える声がする。
誰何の問い掛けと同時に、中ではパタパタと扉へと向かって来る足音が外からも聞こえて来た事もあり、不退転の覚悟を決めたセレンであっても、緊張のあまり一歩後退りそうになってしまう。
しかし、歯を食い縛り、下腹にグッと力を込めてその場に自らの足を縫い付けて踏み留まる。
仲間達は気にしないであろうが、この来訪は彼女自身のある種のワガママであり、現状を鑑みれば彼らに命の危険を押し付ける様な事態にもなってしまっているのだ。
ソレを、為させてしまった自分が、逃げる訳には行かない。
別段、覚えていられなかったとしても、例え忘れられてしまっていたとしても、別段死ぬ訳でも無いのだから、大した事は無いだろう。
そうしてセレンが再び覚悟を固めていると、家の中から鍵を外す様な音がする。
どうやら、訪ねて来た相手が誰なのか?を問うていた声に反応を示さなかったからか、家主が不審に思って表を確認しに近付いて来た様だ。
この危険なご時世になんと暢気な!と叱り飛ばしたくもなるが、その人物がセレンの思い描いている通りの者であったのならば、まぁそうするだろうな、と半ば反射的に思えてしまっていた。
明るく朗らかでいて、普段はポヤポヤとした微笑みを浮かべながら何処か鈍臭さを滲ませているが、いざという時に限っては慌てふためく事も失敗する事も無い芯の強さを持ち合わせており、そんな彼女は周囲からも親しみと好意とを向けられている存在であった。
…………既に、森人族としても短くは決して無いだけの時間が過ぎ去った昔に、セレンは想いを馳せて行く。
それだけに、忘れられてしまっている可能性も大きく、人柄が変わってしまっている可能性も小さくは無いし、現にセレン本人としても当時の記憶は既に曖昧で、どれだけ必死に思い出そうと頭を捻っても、どうしても細部までは思い出せない状態となってしまっていた。
そんな彼女が、既に忘れられていたとして、どうして相手を責められるだろうか?
例え覚えられていたとしても、ソレは遥かに昔の自分であり、ソレと比べられて落胆されたとして、どうして嘆き悲しむ事を許せるだろうか?
確かに友人のヴィヴィアンは覚えていてくれた。
だが、あくまでも『友人』としてであり、ソレは言ってしまえば要素としては『家族』よりも軽く、忘れられていたとしても衝撃は遥かにマシなモノであった、と言えてしまうだろう。
故に、怖い。
離れて久しい自分の事を、既に『無かった事』として忘れ去られてしまってはいないだろうか、と。
そんな心持ちでいたセレンの目の前で、固く閉ざされていた扉が開く。
するとそこには、彼女の記憶の通りの姿をした女性が、彼女とそっくりな外見をした『カリン・ヘイズ』がセレンの記憶に刻まれている在りし日の姿のままで扉を押し開いて現れた。
………当然、よくよく見てみれば、変化している点なんてモノは幾らでも見付ける事は出来た。
森人族にとっても、決して短くは無い時間を離れて過ごしていたが故に、記憶に在る彼女よりも歳を取っており、他種族から見れば分からないかも知れないが、老化による肌のシワや髪の艶の衰え等、幾らでも挙げる事は出来てしまった。
…………だが、それでも、彼女の中では、変わっていないのだ。
十六の年にて『聖女』であると判明し、当時の教会によって半ば無理矢理引き剥がされることとなった肉親、『母親』であるカリンの姿は、彼女の記憶に在るそのままのモノであった。
「…………あ、その…………」
半ば、反射で姿を現した母親へと声を掛けようとするセレン。
しかし、それまでの緊張にて予め考えていた事柄は全て頭から吹き飛び、咄嗟に言葉が出なくて口をパクパクと開閉させる事になってしまう。
その様子は、傍から見ていれば、まず間違い無く不審に映る。
現に、扉から顔を覗かせたカリンは、不思議そうに首を傾げながら彼女へと視線を注いでいた。
更に緊張を加速させてしまい、最早混乱の域にまで達してしまうセレン。
再会したら話そうとしていたアレコレだとか、忘れ去られてしまっていた場合の言い訳等が堂々巡りとして脳内を駆け回り、ソレが余計にセレンの口から言葉を吐き出させる妨げとなって声も出ず、更に混乱を加速させる事となってしまい、思わず無言のままでその場から背中を向けてしまう。
…………あぁ、やはり自分には、家族と再会する資格なんてモノは無かったのでしょう。
直前まで、こうして顔を合わせる事に躊躇いを感じていたセレンは、胸中にてそう零す。
半ば無理矢理に引き立てられる事態であったとしても、ソレを切っ掛けとしてそれまで表面化はしていなかった星樹国の鎖国が完遂される事になってしまった原因は、やはり自らに在る上に、これまでにも顔を見せようと思えば幾らでも出来たのにソレをしなかったのだから、そもそもそんな資格は自分には無かったのだ、と。
「………………セレン?」
そんな彼女の背中に、カリンからの声が掛けられる。
疑問としての形は取っていたが、それはあくまでも『信じられない!』との思いから来る形である事は声の震えから察する事が出来てしまっており、断じて彼女の事が認識出来ておらず、当てずっぽうに放った言葉では無く、確信と共に放たれた言葉である、と言えるモノであった。
思わず、踏み出されかけたセレンの足が、その場に縫い付けられる。
よもや、忘れられてしまっているかも知れない、とすら思っていた相手から、自らの存在を確信する言葉を投げ掛けられたのだから、その衝撃は計り知れないモノであったのは想像に難くは無く、数多の経験と冒険を通して鍛えられて来た彼女の鋼の様な精神力であっても、現在の豆腐が如き脆さになっている状況では、耐える事も抗う事も出来ずにその場で硬直する事となった。
そんな彼女の背中へ
「あぁ、セレン!セレン!!
…………漸く、漸くまた会えた!生きていてくれたのね!!」
と叫ぶ様に歓喜に満ちた声を挙げながら、カリンが飛び掛かる様にして抱き着いて行く。
背中に掛かる懐かしい重さと、柔らかく大きな存在の感触、そしてフワリと香る記憶の奥底から蘇るそれまでの生と共に在った母の匂いに、呆然としていたセレンも幼い頃の記憶が刺激され、思わず涙と共に雪崩の如く溢れ出て来る。
…………会えたのならば、覚えていてくれたのならば、伝えたいと思っていた事が山程在った。
これまでの教会での仕事、仲間達と出会ってからの冒険、冒険者としての『高み』に至るまでの経緯、そして、人生を共に歩みたいと願える程に想いを通じ合わせられる相手を見付けられた事、と色々と事前に考えて来ており、滞り無く説明出来るだけの自信が在った。
だが、彼女の口から、それらの言葉は未だ出てくる事が無い。
ただただ、万感の思いと共に溢れ出そうになっている嗚咽を堪え、どの様な事情があったにせよ、自らの家へと自らの足にて帰ってきた者が先ず口にするべき言葉は、たったの一つしか無かったのだから。
故に、彼女はその場で反転する。
未だにセレンの存在を確かめ、彼女がこの場に居る事を自らに信じさせ、納得させようとしているかの様に、強く縋り付く様に腕を回して抱き締めて来ていたカリンの腕の中で自らの位置を入れ替えると、かつてとは異なり、ほぼ目線が同じ高さへと変わってしまっていた母に対して一言、
「…………ただいま。
ただいま、帰りました!お母さん!!」
と告げたセレンは、その瞳を滂沱の涙で濡らしながらも、その口元には確かな微笑みを浮かべているのであった……。
頑張って書いてみました
(慣れない感動パターンなのでチカレタ(ヽ´ω`))