星骸の竜神
プロローグ
子供の頃、誰か大切な人と会った気がする
もう記憶も薄れ、ぼんやりとしか浮かべられない景色の中に、誰かがいた気がする。久しぶりに会ったような、それでいて親しみのあるような、はたまた他人のような…。私は彼を見かけると安心していた気もする。でも彼とはもう会えない、そんな気がする。だから最後に、私から……
目覚めると、そこには何の変哲もない天井があった。見知った天井だ。記憶喪失になったとかそういうこともない。だが何か得体の知れない違和感が、心の中に貯まっている気がする。
よく、こんな夢を見る。もう思い出せないし、目覚めた時にはほとんど記憶にないが、同じ夢を見たという事はだいたい感じられる。
「…」
そろそろ、現実を受け入れなければならない。そう思った俺は、眠たい目を擦りながら洗面所に行き、顔を洗う。
真っ黒で、光沢のある顔だ。所々尖っているし、ゴツゴツしていて洗いにくい。我ながら不幸な身体を持ったものだと愚痴りながら、適当にパンを齧り、部屋を出る。
「一限は数学だったかな」
苦手な科目だ。訳の分からない計算ばかりで、自分の脳では理解できない事はとっくに分かっている。授業中に寝るのは避けられない。
「またあいつに怒られちゃうかな」
3-2組出席番号22番
成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗
趣味は読書、将来の夢は官僚
正に順風満帆な人生計画を持つ自分に惚れ惚れしながら、少年は校門に佇む。
この高校は特殊な高校であり、全国に数箇所しかない、「彼ら」との共学を認めている所だ。そしてそれなりに設備や環境もよく、自分にふさわしいと思った。まぁ本音を言えば、別の狙いがメインなのだが。
しばらく待っていると、予定通り彼が現れた。いつも通り遅刻5分前で、服装も乱れている。だらしない奴だと思いながら声をかける
「今日は機嫌がよろしくないようだな」
「いやなんで分かるんだよ」
彼は即座にこちらにツッコむ。というのも確かに第三者から見れば彼はいつも通りだろう。しかし、自分には絶対的な自信があった
「いつものパンを持っていないだろう。それとベルトのボタンが1つズレている」
「よくそんなとこ気づくなお前」
当然だ。こんな分かりやすい男はいない。
「今日は寝るなよ」
「当然」
彼は自然と言っているが、これはもちろん信用できない。彼はよく見栄を張るしいじっぱりだ。
「まぁ期待しておくよ」
そう小さくこぼしながら学校へと入った。
今日は幸運だ。何せ心の不安が1つ除かれたのだから
「今日は諸事情により、自習となりました」
校内放送を聞き、みな喜んでいる。何やら学校側で問題があったようだが、勉強しなくていいなら歓迎だ。
「さてと…」
自習と決まれば行くとこは1つしかない。自分は教室にいるよりそっちの方がお気に入りだ。
「どこ行くんだよケン坊」
クラスメイトの1人-あまり気に入らない奴-にからかわれるが、気にしないように教室を出る
「用事だよ。俺は忙しいんだ。」
目を細くして声を落とす。もともと目つきは悪いため、こうすれば大抵誰も追随してこない。
納得のいかなそうな奴の顔を無視して、俺は別棟の屋上を目指した。
「遅かったじゃないかケン坊」
コイツにまでケン坊と言われるのは癪だが、気心の知れた仲だ、あまり不快には感じない
「あいつに絡まれただけだよ」
そうか、とアリスは言う。彼は折角の休みだと言うのに、本を2冊ほど傍に置いて勉強していた。
「って言うかお前が早すぎるんだろ」
と、内心思っていた事を口に出す。自分が来たのは校内放送があってすぐだ。絡まれたと言ってもそれほど時間が経っていたとは思えない。
「今日自習になるのは知ってたからね」
なるほど、知っていたのか。それならば納得だ。彼はどうやらその問題を知っているらしい、それとも観察眼の優れた彼なら、周りから察することができたんだろうか。
どちらにしろ、彼が賢いのは知っていたから、あまり興味は無かった。
「そろそろ卒業だな」
彼はそう口を開いた。できればあまり聞きたくなかったワードだ。
「そうだな」
友と何気ない話を交わし、一段落ついて、周りをよく見渡せる場所に腰をかける
「ずいぶん、よくなったな。この街も」
「そうだな。あの頃に比べれば、相当な進歩だ」
彼はそう語る。実際、彼の言う「あの頃」は、今では考えられないほど混乱していた。世界中がパニックに陥り、どうしたらいいか誰も分からなかった。
「結果的には、よかったと言うわけだ。」
「結果的には…な」
彼は少し寂しそうな声を出す。それもそのはず、彼は「それ」
にあった者だ。
この街は栄えている。貧困に苦しむものも、圧政も、過度な不平等も存在しない。
2040年、世界は突然奇病に見舞われることとなる。
「それ」はどこから発生したかも、何が条件かも分からぬまま、世界中の人々に襲いかかった。
適応できたものは体が変質し、適応できぬものは最悪死んでいった。
人類は「それ」を利用し、技術の発展を狙った。だが、力を持つものの不平等など、持たないものが納得出来るはずがない。
幸いな事に、「それ」に適合できた者は、世界で1割にも満たなかった。そして、「それ」を危険視した人々は、ある場所に彼らを閉じ込める事になる。それが、
「僕達のいる街…」
アリスは自らの生まれを、生き方を後悔した事はない。振り返ってしまうこともあるが、自分なりに正しいと思うことをしようとしているだけだ。少なくとも今は、そう思っている。
アリスは、寂しげに街を見下ろしながら、また黙ってしまった。時々、彼はこうやって感傷に浸ることがある。自分はあまり深く考えていないが、彼にとっては大きいのだろう。
「何度も言うが…」
この流れは知っている。いつもの勧誘だ。できれば聞きたくない。
「もう少し勉強をしろ、お前は」
「はいはい…」
彼は非常に自分を気に入ってくれているらしい。だからこそ、彼は自分によく話にくる。
彼は将来官僚になって、少しでも世の中を良くしたいのだろう。そしてそのために、自分も付いてきてほしいと言っているのだ。
「君は、君が思っているより優秀だ。君は自分を信じれないだけだ。」
彼はそう言ってくれるが、自分が有能だと思った瞬間なんてこれっぽっちもない。明らかに贔屓されている。
「優秀なお前の考えは俺の及ぶ所ではございませんね」
優秀という所を強調しながら、彼の口調を真似て言う。
彼は上司付き合いもよく、年上受けもいいので、よく参考にさせてもらっている。まぁこれは皮肉だが。
これ以上何か言われたくないと思い、外を見ながら帰るタイミングを見計らっていると、何やら校舎裏に、2つの人影が見えた。
「あれは…」
「田浦先生と川口先生」
アロスの言う通り、保健室の田浦先生と、4組の川口先生だった。どうやら大事な話をしているようだ。だが、それより俺は、ある噂の事が気になっていた。
「川口先生って田浦先生の事好きだったんだっけ?」
そうアロスに確認を取る。
「みたいだな」
アロスは意味ありげに返事をする。これはほぼ確信しているということなのだろう。
「なんか面白そうだな」
正直見に行きたいが、バレた後の事を考えるとやはり不安がある。そのため一応、アロスにも目で確認を取った。
「……まぁ、お前がしたいのなら好きにしろ」
アロスは渋々了承してくれた。だが、この返答の仕方は、「俺は関係ないからお前だけで行ってこい」というものである。少し不満はあるが、彼に確認を取れただけでよかったと思うべきだろう。俺の心はこれから起こることにワクワクしていた。
「吉報を待ってろよ」
と言うと、
「僕を退屈させないくらいのネタは持ってきて欲しいね」
と返される。予想通りの返答だが、アロスも興味を持っていること自体は否定しないようだ。
「じゃあ特ダネ掴んだらジュース奢れよな」
と言いながら階段を降りようとする。
すると、
「おい、待っ」
と彼の制止が聞こえたが、その言葉は寸前で打ち切られた。
「いや、なんでもない。行ってこい」
何か言いたかったみたいだが、なんでもないと言うなら聞かなくてもいいだろう。
「そうか?…じゃあ、また後で」
1段飛ばしで、軽快なリズムを刻みながら階段を下り、俺は目的の場所へと向かった。
校舎裏…という場所は、厳密に言えば校舎と体育館の隙間の事だ。市街地を挟んだこの学校は、第一棟、第二棟そして比較的小さい第三棟が縦に並んでおり、1番大きな第一棟の横に、体育館、さらにその下に校庭がある。校門は第三棟で空いた横スペースの下にあり、校門から第1棟と体育館を捉えると、壮大な絶壁が立っているようにも見える。全長は約12m、6階構造に地下もあり、第一棟から第二棟、第三棟の順に2階ずつ階が減っている。体育館は主に部活動で使われ、完全室内プールや、防音、換気対策のできた部活専用の階に分かれている。
校庭は複数部活動が十分活動できるだけ広く、寮は体育館と隣接しており、生徒が過ごしやすくなっている。
そのため、生徒、教職員の大多数は主に第一棟、体育館におり、校舎裏を使う場合、よほど人にバレたくない事や、機密な事を話し合うということだ。主に告白に用いられているようだが。
そしてここが良く使われる最大の理由が、見晴らしがいい所だ。絶妙に外から隠れながらも、校舎の影に入り、目立たない位置にある。外からは見にくいが、中からは見やすいということだ。誰かに監視されていればすぐに分かる。
しかし、俺は知っている。唯一、盗み聞きをする方法を。
俺はすぐさまそれを実行に移すため、実行にとりかかった。
「よし、成功……」
俺は自分の成果に満足しながら、携帯の画面を確認する。そこには、何の変哲もない廊下が映り出されていた。
「しかし、やはり凄いな、あいつは」
小さな声で、密かに動いてくれた協力者を賞賛する。
やはり自身の力だけでは、今までやって来れなかったのは明白だ。
「ふふふ…」
人知れず笑みがこぼれる。いけないことをしている背徳感からか、それとも、これから起こることへの期待か。
ここは第1棟にある職員トイレの上…つまり天井裏のようなものだ。ここの排気口からほんの少しだけ音が拾えるのだ。これは耳の良い自分でなければ絶対に気づけなかっただろうと思っている。というのも見つけたのはおよそ半年前、アロスと罰のような形で職員トイレの掃除をさせられた時、偶然見つけられたものだ。
そしてもちろん侵入は容易ではないため、いつもあいつに頼んでいる。
(さてさて…)
耳をすませて声を拾う。本来ここで話すならする必要のないくらいの小声で話しているようだ。
「だが……はまだ…………………が……………たらどう責任をとるんだ!」
「それは……………ですから……………だい………………問題はないはずです」
途切れ途切れで話の内容は聞こえないが、どうやら喧嘩をしているみたいだ。
(今日はハズレだったか)
とはいえ彼らの違う一面を見れた思えば収穫だろう。普段仲のいい2人がこれほどいがみ合っているというのは知らなかった。
(まぁ関係なさそうだから帰るか)
壁際から退こうと脚立二足をかける
瞬間、