オタク男爵令嬢とオタクに優しいチャラ男侯爵令息
「ライナス様ぁ」
「今からみんなで最近出来たダンスホール行きませんかぁ?」
「とってもお洒落なお店なんですぅ」
「おっ、イーネェ! 行こうぜ行こうぜ!」
「「「やったぁ!」」」
貴族学園のとある放課後。
自習室に向かう途中の廊下で、いつもの場面に遭遇した。
侯爵令息のライナス様と、それに群がるハイエナのような令嬢たち。
まったく、これだから陽キャは嫌いだわ。
まあ、所詮下級貴族である私とは、いろんな意味で住む世界が違う人種。
見なかったことにして、そそくさと自習室に向かった。
「ふう、今日はこんなところかな」
ふと自習室の窓を覗くと、既に夕陽が真横から差し込んでいた。
いけないいけない。
自習室は人も少なくて作業に集中できるから、ついついやりすぎてしまう。
早く帰らないと、またお父様が心配するわ。
私は今日の成果物を鞄に仕舞い、席を立つ。
……隣の人は、今日もまだ帰らないみたいね。
私が自習室で作業をしていると、いつもカーテンで仕切られた隣の席に、途中から誰かが座ってくる気配がする。
そしてその人は、私が帰る時になっても残っているのだ。
余程勉強熱心な方なのね。
感心しちゃうわ。
私がここでしてるのは、勉強じゃないし……。
「ん?」
その時だった。
カーテンの下の隙間から、一本のペンがこちらに転がってきた。
あら、隣の人が落としちゃったのかしら。
あまり他人に話し掛けるのは得意じゃないんだけど、まあこれも自習室仲間のよしみよね。
私はペンを拾い、おずおずとカーテンを開ける。
「あ、あのぉ、これ、落としましたよ」
「おっ、サンキュー! って、あれ? 君は――」
「――!!?」
思わず心臓が止まりそうになった。
そこにいたのはあろうことか、ライナス様その人だったのである。
えーーー!?!?!?
「キャッ!?」
あまりの出来事に、私はその場で尻餅をついてしまう。
「ああッ!!」
そして残酷なことに、その拍子に鞄の中から成果物が飛び出してしまった。
うわあああああああああ!!!!
「大丈夫!? ……あっ、これは」
「っ!?」
咄嗟に成果物を拾うライナス様。
お、終わったあああああああああ!!!!
「……これって、漫画の原稿?」
「…………は、はい」
「ひょっとして、君が描いたの、これ?」
「…………ええ、まあ」
ああ、完全に私の学校生活は今終わったわ。
こんな陽キャのスクールカーストトップの人に、原稿を見られてしまうなんて……。
明日からはあのハイエナ令嬢たちと一緒に、私のことをプークスクスするつもりに違いないわ……!
もういっそ、学校辞めたい……。
「マジでッ! スッゲェじゃん君ッ!」
「……え?」
が、私の予想と180度反して、ライナス様はそのお美しいエメラルドの瞳を、少年のようにキラキラさせた。
ふおっ!?
「俺の妹が漫画大好きでさ! 妹から借りてよく読むんだ! 『君の瞳にマスタード』とか、マジ面白いよね!」
「あっ、君マスは私も大好きです! ……むしろ漫画を描こうと思ったキッカケが、君マスだったので」
「そうなんだ! 俺は絵心が全然ねーから、漫画が描ける人ってマジスゲーと思うよ!」
「そ、そんな……」
屈託のない満面の笑みで、手を差し伸べて私を立たせてくれるライナス様。
耳に付けた星型のピアスが、キラリと光る。
あ、あわわわわ……!
何これ!?
全身が燃えるように熱い……!
いやいやいや、勘違いしちゃダメよ私!
ライナス様はきっと、社交辞令でそう言ってくれてるだけなんだから。
「確か君、五組のセシリーちゃんだよね?」
「……え」
ラ、ライナス様!?
「そうですけど、何故ライナス様が、私なんかの名前を……」
「だって同じ学校に通ってる仲間じゃん。せっかくだったら学校のみんなと友達になりたいし、そりゃ顔と名前くらいは覚えるって」
「そんな……」
つまりライナス様は、学校の生徒全員の名前を覚えてらっしゃるってこと!?
てっきりカースト上位の人たちにしか興味がないのかと思ってた……。
「……凄いですねライナス様は。毎日みなさんと交友を深めた後も、ここで勉強をされてたんですね」
ライナス様の机に目を向けると、そこにはびっしりと書き込まれたノートが広がっていた。
「ああ、まあ、ね。一応俺もいずれは爵位を継いで、領主になるわけだからさ。人の上に立つ人間になる以上、みんなでワイワイ楽しく遊んで友達になるのも大事だし、それと同じくらい頭もよくないといけないだろ? だから俺なりに、必死なわけよ」
悪戯がバレた子どもみたいに、へへっとはにかむライナス様。
ああ、どうやら偏見を持ってたのは、私のほうだったみたいね……。
心臓がトクトクと早鐘を打ち、心を震わせる。
ライナス様――。
「ねえねえセシリーちゃん、この漫画、賞に出したりはしないの?」
「え? ああ……、実は来月の漫画賞に間に合えば、出してみようかなとは思ってたんですが……」
「マジで! 俺マジ応援してるからさ、マジ頑張ってね!」
私の手をギュッと握って、ブンブン振り回してくるライナス様。
あわわわわわわわ……!
「は、はい……。できる限り、マジ頑張り、ます……」
「うん! 原稿が完成したら、最初に俺に見せてくれたら嬉しいな!」
「そ、それは……!」
そんな、太陽みたいなニッコニコの笑顔を向けられたら……!
「ぜ、善処します……」
断れるわけないじゃない……!
「へへっ、楽しみにしてるね!」
「……はい」
――この日から自習室の私とライナス様を仕切っていたカーテンは開かれ、私たちは時に談笑しつつ、お互いを励まし合った。
――そんな日々を送るうちに、私がライナス様に淡い恋心を抱くようになってしまったのは、ある意味必然だったのかもしれない。
「よし、できた……!」
そして迎えた漫画賞の締め切り当日。
紆余曲折あったものの、何とかギリギリ原稿は完成した。
私はいつもの自習室で原稿を見返しながら、ライナス様を待つ。
完成したらライナス様にお見せするって約束だったものね。
ちょっとだけ怖いけど、今はライナス様に見てほしいという気持ちのほうが勝っている。
ライナス様からなら、どんな感想を貰っても嬉しいもの。
「ねえ、ちょっとそこのあんた」
「……え?」
その時だった。
耳障りな甲高い声と共に、不意にカーテンが乱暴に開かれたので振り返ると、そこにいたのはライナス様の取り巻きのハイエナ令嬢たちだった。
な、何でこの人たちがここに……!?
「最近ライナス様の付き合いが悪くなったなと思って調べたんだけど、原因はあんただったのね?」
「どういうつもりなの?」
「あんたみたいな下級貴族が、ライナス様と釣り合うとでも、本気で思ってるの?」
「いや、あの、それは……」
刺すような視線が痛い――。
ああ、敵意の籠った視線というのは、こんなにも心を抉るものなのね――。
「何やってんのよそれ。ちょっと見せなさいよ」
「――! 嫌ッ! やめて! 返してくださいッ!」
机の上から原稿を一枚奪われてしまった。
嗚呼、最初に――!
最初に見せるのはライナス様にしたかったのに――!
「プッ! なーにこれぇ! あんた漫画なんか描いてたのぉ? うーわ、キーモ」
「――!!」
うぅ……!
「キャハハ! ひょっとしてこのキャラ、ライナス様がモデルじゃない?」
「あー、わかるー。絶対そうだよ! 耳に星型のピアス付けてるし!」
「ちょっとライナス様に優しくされたからって調子に乗って。これだからオタクはキモいんだよ!」
もうやめて……!
お願いだからもうやめてよ……!!
「これは見せしめだから」
「――!!!」
そう言うなりハイエナ令嬢は、その原稿をビリビリに破り捨ててしまった――。
嗚呼……!!!
「これに懲りたら、二度とライナス様に近付くんじゃないわよ」
う、うぅ……!
悔しい悔しい悔しい悔しい……!!
こんなに酷いことされてるのに、それでも言い返す勇気が出ない、自分が悔しい……!!
「何やってんだッッ!!!!」
「「「――!!!」」」
その時だった。
いつもの太陽みたいな朗らかな笑顔とは似ても似つかない、煮えたぎるマグマのような表情を纏ったライナス様が現れた。
ラ、ライナス様……!!
「ライナス様……! あの、これは、この下級貴族の女に、身の程をわからせてあげただけでして……」
「お前はセシリーちゃんが、この漫画を描くためにどれだけ頑張ってきたか知ってるのか?」
「キャッ!?」
ライナス様はハイエナ令嬢を押しのけて、バラバラになった原稿を一つ一つ拾い上げてくれる。
ライナス様……!!
私の視界が、水の膜でぐにゃりと歪む。
「で、でも、所詮は下級貴族のやってることですから……」
「いいか、これだけは言っとくぞ」
「「「……?」」」
ライナス様はハイエナ令嬢たちを、侮蔑の籠った瞳で睨みつける。
「人の努力を笑う人間は最低だ。努力の尊さに身分は関係ない。それがわからない奴に、人の上に立つ資格はねーよ」
「そ、そんな……!」
嗚呼、ライナス様……!!
「もっともお前らみたいな奴には、言っても無駄だろうけどな。――いいか、二度とセシリーちゃんと俺には近付くな」
「なっ!? ラ、ライナス様! どうかお慈悲を!」
「聞こえなかったのか? 俺は二度と近付くなと言ったんだぞ」
「「「――!!」」」
ライナス様から発せられる威圧感は、漫画に登場する冷酷な魔王を彷彿とさせた。
ああ、私がいつも見ていたライナス様は、あくまで一面でしかなかったのね――。
きっとこのお方みたいに、清濁併せ吞んだ人間こそが、人の上に立つのに相応しいのだわ。
「ヒィ! も、申し訳ございませんでしたぁ……!」
ハイエナ令嬢たちは、涙目になりながら逃げるように去っていった。
自業自得とはいえ、ほんの少しだけ不憫ね。
「……ゴメンなセシリーちゃん。俺がもう少し早く着いてれば、この原稿も無事だったかもしれないのに」
ライナス様は手のひらの上の原稿の残骸を見て、眉間に皺を寄せる。
「い、いえ! そんな! ライナス様のせいじゃありませんから、どうかお気になさらないでください」
「でも、今日が締め切り日なんだろ?」
「はい……。まあ、縁がなかったと思って、諦めますよ」
所詮私には、過ぎた夢だったんだわ。
「いや、諦めるのはまだ早いよ」
「え?」
ライナス様?
「破かれたのはこの一ページだけだろ? だったらこのページだけ今からマジ全力で描き直せば、ギリ間に合うんじゃね!?」
「っ!」
ライナス様……!
「で、でも……」
「俺もマジ全力で手伝うからさ! セシリーちゃんが描いてるのずっと横で見てきたから、ベタ塗りくらいだったらできるぜ、俺!」
「――!?」
そんな!?
侯爵令息にベタ塗りさせるなんて、恐れ多いにも程がある――!!
「……好きなんだろ、漫画」
「――!!」
ライナス様は曇り一つないエメラルドの瞳で、私を見つめる。
ライナス様――!
「はい、好きです。大好きです――」
漫画も――ライナス様も――。
「じゃあ、いっちょマジ頑張ろうぜ!」
「はい!」
こうしてマジ全力で頑張った結果、マジギリッギリで締め切りに間に合ったのであった――。
「な、なあセシリーちゃん、どうだった?」
「い、今、見ます」
そして迎えた、漫画賞の結果発表日。
いつもの自習室でライナス様と二人。
少女漫画雑誌『フリージア』を持つ私の手は震えていた。
ああ、神様……!
どうか受賞できてますように……!
恐る恐る漫画賞の結果発表ページを開く。
隣に座るライナス様が、ゴクリと喉を鳴らした。
「…………あ」
「ど、どうだった!?」
ページの端のほうに、私の名前と『佳作』の文字が――。
「じゅ、受賞しました……。大賞じゃなかったけど、佳作で……」
「うおおおおおお!!! マジおめでとう、セシリーちゃんッ!!!」
「ひゃっ!?」
ライナス様に思い切り抱きしめられた。
ふおおおおおおおおお!?!?!?
「あっ! ゴ、ゴメンッ! マジで嬉しかったもんだから、つい……」
慌てて私から離れるライナス様。
「い、いえ、こちらこそ……。受賞できたのはライナス様のお陰です。本当にありがとうございました」
編集部のコメントを見ると、『まだまだ荒削りなところはあるが、絵に熱意が籠っていた。特にクライマックスの告白シーンは圧巻だった』と書かれていた。
最後にライナス様と二人で描き直したページだ……。
仮にライナス様に出会わず、ずっと私一人で描いていたなら、受賞はできなかったはずだわ。
「いや、受賞できたのはセシリーちゃんが頑張ったからだよ。へへっ、マジおめでとう。俺、マジ嬉しいよ」
「ライナス様……」
ああどうしよう……。
やっぱり私、この人が好き――。
「で、でさ、セシリーちゃん、実は折り入って、大事な話があんだけどさ……」
「?」
ライナス様は頬を染めながら、目を泳がせる。
ライナス様?
「はぁ、何でしょうか」
「あ、あのさ!」
「――!」
途端、ライナス様は私の前で恭しく片膝をつき、右手を差し出された。
ライナス様????
「俺――セシリーちゃんのことが好きだ――!」
「――!!!」
ライナス様は耳まで真っ赤にしながらも、それでも真っ直ぐなエメラルドの瞳で私の目を見つめる。
えーーー!?!?!?
「漫画賞の結果が出たら、この気持ちを君に伝えようと思ってた。――どうか俺の、婚約者になってほしい」
「ライナス様……」
あわわわわわわわ……!!
「で、でも、私とライナス様じゃ、身分も全然釣り合わないですし……」
「そんなの関係ねーよ! どんな手を使ってでも、マジ絶対周りを納得させてみせる。そのために、普段から勉強頑張ってんだからさ」
「ライナス様……!」
嗚呼、神様……!
どうか夢なら覚めないでください――。
「だからこれだけは教えてほしい。君は俺のこと、どう思ってる?」
「――!」
ライナス様は捨てられた子犬みたいな不安そうな顔で、私の顔色を窺う。
はうぅっ――!!
「…………す」
「す?」
「…………好き。大好き。私はライナス様のことが、ずっと大大大好きでしたッ!!」
私はライナス様の右手に、自らの左手をそっと重ねた。
ああ、言った!
言っちゃったああああああ!!!
「へへっ、マジありがと!」
「きゃっ!?」
ライナス様にグイと手を引かれ、そのままギュッと強く抱きしめられる。
ふおおおおおおおおお!!!!!!
「――マジ一生大切にするな」
「は、はい……」
嗚呼、幸せすぎて、もう何も考えられない……。
「――セシリーちゃん。『俺の今までの人生は、君に出逢うためにあったんだ』」
「――!」
今のは、私の漫画のラストシーンの台詞……!
ライナス様は私に顎クイをする。
ライナス様の芸術的とも言えるご尊顔が、目の前に……!
そして私の漫画だと、このあと二人は――。