留まらない劣等感
吹雪は出来るだけ人に見られないようにジャケットのフードを頭の上に被る。そして人通りが少ない道を選択し、走り出した。家から出るのは久しぶりのせいか、足が極端に遅くなっている。吹雪は走りながらも視界に映り込む学校の存在を見ていた。魔法学はとても大きな建造物なため、遠く離れていても目に入ってくるレベルだ。
吹雪の上では、空を飛んで学校に登校する人たちが見える。飛行免許を取っている学生たちだろう。妹も去年、飛行免許を取ったはずなので空を飛んでいったに違いない。家から出る時間は数分しか違わなかったはずなのに、もう姿が見当たらないからだ。
(いいなぁ、空を飛ぶってどんな感じなんだろ?)
吹雪は羨む目で魔法を使う人々をその目に映していた。自分には見ることができないが、その目はまるで未知のものに憧れるような少年の目であったに違いない。
吹雪は学校に着く間もずっと走っていた。吹雪よりも遅くに家を出た人は、どんどん吹雪を魔法で追い抜かしていく。それは吹雪との実力の差を表しているようだった。
* * *
吹雪は学校の門の前にたどり着くと、学校の大理石の壁に手を当てて息を切らす。数十分、ぶっ続けで走り続けたため運動不足の吹雪にとっては長い道のりだった。現在の時刻は7時20分。卒業式は7時40分。卒業式にはギリギリ間に合ったといったところだ。
学校の門は当然閉まっている。登校時間を過ぎたからだ。吹雪はフェンスの上に手をかけると、体を持ち上げてフェンスを飛び越えた。
幼い頃は、遅刻をしたらこうやって学校の敷地内に入り込んでいた。数年やっていなくてもまだまだフェンスを飛び越える感覚は残っている。
吹雪は学校に通っていた頃を思い出しながら、校舎の玄関から入る。目の前には沢山の生徒達の下駄箱が広がっている。その背景を見たとき、吹雪は落ち着かなくなる。
(誰もいない下駄箱というのは、どうしてこんなに緊張するんだろう)
吹雪は自分が上靴を持っていないことに気づいた。咄嗟のことだったので、妹の忘れ物だけを持ってきてしまった。吹雪はしょうがなく、自身の赤い靴を脱いで靴下の状態で学校に上がる。
(職員室は1階だったはずだ。 適当な先生に妹の忘れものを渡して、さっさと帰ればいい)
吹雪は記憶を頼りに職員室に忍び足で向かう。出来るだけ注目されたくはない。吹雪は永遠とも思える長く白い廊下を進み続けた。
やがて1分もたたずに、職員室の前にたどり着く。吹雪は背筋が凍るのを覚えながらも、ドアをノックする。しばらくして中から返事が聞こえる。
「はいよ、なんのようだい?」
職員室にいた先生は1人だけだ。しかも幸運なことに一年生のころ吹雪の担任を務めていた黒沢先生だ。吹雪はこの先生を今まで担任をしてくれたどんな先生よりも気に入っている。
黒沢先生は唯一、魔法が使えない吹雪のことをさけすんだり、馬鹿にしたりしなかった。そんな黒沢先生は吹雪の姿を見るなり、笑顔になる。そういえば、会うのは2年近くぶりだ。
「お、吹雪。 卒業式には出席しに来たのか?」
「あ、いいえ。 妹の音月の忘れものを届けに来ただけです」
「ん? あの子が忘れものだなんて珍しいね」
黒沢先生は珍しいものを見たという顔をしながら、吹雪が渡した身分証明書を受け取る。たしかに音月が忘れものをするなんて滅多にないし、珍しいことでもある。
これも狡猾な妹の罠のような気がしてならないが、疑っても仕方のないことである。
黒沢先生は妹の担任になったことはないはずだが、吹雪の妹である音月のことについてよく知っていた。そう、音月はこの学校では有名人なのだ。
引退してしまってはいるが、音月は中学2、3年の間ずっと生徒会長を努めていた。
しかも、学校を主席で卒業する優等生だ。この学校で如月音月の名前を知らない人間はいないだろう。吹雪は先生に忘れものを渡すと、職員室から出て行こうとする。
そんな吹雪を何を思ったのか、黒沢先生は引き止める。
「吹雪、よかったら卒業式を観に行かないか?」
「?」
* * *
吹雪は校舎の屋上から外で開かれている卒業式を観ていた。昔の卒業式は中でやるのが定番だったらしいが、今は魔法披露があるため、外でやるのだ。
魔法披露とは言葉通り、3年間で学んだ大魔法を披露し合うのだ。そう、これがもっとも吹雪が卒業式には"行けない"理由なのだ。目の前では大きな花火のような魔法や桜が舞う桜吹雪の魔法などが繰り広げられている。まさに卒業生の見せ場である。
(俺はなぜここにいるのだろう?)
本来なら吹雪だってあそこに立っていていいはずだ。吹雪だって卒業式には出たくはなかったわけではない。吹雪は何一つ感情のこもっていない目で卒業式を観ていた。
忘れもしない小学校の頃の卒業式。吹雪は魔法披露でただ立ち尽くしていただけだった。その時の周りの侮蔑の目と嘲笑は忘れもしない。そんな吹雪の横顔を黒沢先生はずっと見ていた。そして……。
「吹雪、学園に行かないか?」
そんな虚な吹雪にそう問いかけたのは他でもない黒沢先生だった。