雌伏の時
何事も初めては緊張するものだ。
例えそれが、ホテルのルームサービスを頼む時であろうとも。
「あ、すいません。カレーライス大盛りで一つお願いします」
数あるメニューの中から光樹がチョイスしたのは、一番馴染みがあると言っても過言ではないメニュー。
もはや日本のソウルフードとも言えるカレーライスであった。
最初はタダだから、と、ステーキやハンバーグなどを頼もうと思っていたのだが、調子に乗って食べ、胃もたれなどの体調不良になることは避けたい。
けれど、がっつり食べたい。そう考えて悩んだ末、出した答えがカレーライスであった。
(ホテルのカレーはまた家庭のカレーと別って聞くし? こんな機会じゃないとホテルのカレーとか食わないと思うから意外と良かったかもな)
ホテルの料理=手の込んだ料理。
そう言った図式がなぜか確率されている光樹の脳内では、これから運ばれてくる予定のカレーに期待が膨らみ。
(今のうちに飲み物だけ用意しとこ。……かといって冷蔵庫の中のエナドリは食事中に飲むもんじゃねぇし……)
待つ間に部屋を出て、廊下に備え付けてある自販機へ。
(全部無料でボタン押せば出てくるのか……。無難にコーラだな)
これまた馴染みのある飲み物のコーラを選び、ついでにラインナップの中で一番甘いと思われるカフェオレも選択。
部屋に戻ってストレッチをしていると、いよいよ待望のカレーライスが到着。
(あぁ。……匂い嗅ぐだけで安心するわ。俺が知っているカレーだ……)
部屋も、デバイスも、環境も今までの自分の家と違う空気に少しだけストレスを感じていた光樹は、変わらないカレーの匂いに少しばかりの安堵を覚え。
「いただきます」
しっかり手を合わせ、スプーンを握りしめてカレーを口へと放り込んでいった。
*
(マジで天国かよ……)
湯船に浸かりながら天井を眺め、長時間プレイした疲労感と満腹感から来る眠気に抗いながら。
ぼんやりとそんなことを考える。
食べ終わった食器は扉の前に置いておけば回収されるし、その時に例えばこの飲み物が欲しい、と書いたメモを挟んでおけばそれを届けてくれるらしい。
食後のコーヒーなどで利用する人が多いそうだ。
また、廊下に備え付けの自販機は、今すぐに飲みたい、と言った場合に使われることが多いらしく、コーラですらルームサービスで持って来てくれるとのこと。
分からないことを意を決して聞いた光樹に、嫌な顔一つせずに対応してくれたホテルマンの対応は、非常に嬉しいものだった。
(とはいえ、砂糖とミルクマシマシのカフェオレを頼んだ時はちょっと驚いた表情してたけどな)
だったらと、馴染みの味を思い出しながら出した注文には、流石にホテルマンも困惑した。
砂糖とミルクがたっぷり入ったカフェオレが一リットルくらい欲しい。
それが、困惑させた注文の内容。
流石に、リットル単位で注文した客は今まで居なかったらしく、なるだけ善処します。と返されてしまった。
(それでもピッチャーで持って来てくれたんだから、結構無茶な注文も通るもんだな)
数分後、注文通りのコーヒーが扉の前に置いてあったのには思わず笑いが出た。
流石に寝る前にカフェオレや糖分で脳みそを回そうとは思わないのでまだ口をつけてはいないが。
それでも、起きてから目覚まし代わりにあのカフェオレを飲む時が今から楽しみである。
(そろそろマジで寝そうだし上がるか。……きっとベッドもフカフカで気持ちいいんだろうな)
なんてことを考えながら、寝間着に着替えた光樹は、期待から外れることのないベッドの上で、数えるまでもなく寝息を立て始めた。
*
「あぁ……疲れた脳みそに酒がうまい」
マッサージチェアに座り、肩と腰を重点的にマッサージしてもらいながら、片手にはグラスホッパーと呼ばれるカクテル。
炒ったナッツの盛り合わせをツマミに、飲み放題オプションの付けられたカクテルを楽しむのはマンチの中身である篝。
食事は和風の冷製パスタを。デザートにはチョコのケーキをルームサービスに頼み、食後には好みのカクテルを数杯。
そして、締めに先ほどのデザート感覚のカクテル。
およそ妄想していた理想の生活に、無意識に意識が遠のいていく。
「とはいえこんな生活は配信が成功し続けないと終わっちまうし、流石に色々とアクションは起こすべきだよな」
そんな遠のく意識を引っ張って、現実に戻した篝は今後の為に思考する。
「まずはレベルだな。籠り狩りでどこまで上げられるか。……転職も気になるし、どっかのコメントで言ってた勢力? ってのも気にはなる」
流石にネタバレに当たる部分まで掲示板を見てはおらず、未だにその時のコメントしか情報が無いのだが。
それでも、侵攻の直後でそのコメントということは、自分たちがいる立ち位置からそんなに離れていない筈。
「だったら、せめてそこに届くくらいまでは次で行きてぇなぁ」
それは、ゲーマーとしての意地か。性か。
ネタ振りという足踏みをしながらも、それでも先へ。
置いて行かれないようにと進む意思はある篝は、大きく伸びをしてグラスを置く。
「ま、そのためには寝るとしますか。……これであいつらにやる気が無くなってたら、俺が焚きつけなきゃなんねぇのかな……」
そんな、年長者ゆえの気配りも見せながら。
フカフカのベッドに沈む様に。
篝の意識は、深く沈んでいった。