新たな環境
「長く、苦しい戦いだった……」
「エルたそでいいんだよね? いらっしゃ~い」
両親の説得を終え、無事に『バラ―ジュホテル』へとやってきた光樹は、フロントで黄昏に出迎えられる。
「あー……。うん。雑誌とかで拝見させていただいたりしてました」
「敬語とか吹き出すからやめてね。気にしないからいつも通りで大丈夫よん」
黄昏の姿を確認し、ごまイワシ……引き籠りセサミだと認識したエルメルは深々とお辞儀。
エルメルが目指す夢、プロゲーマーの先輩なのだから当然と行った行動は、黄昏が嫌がった事で最初で最後となる。
「ていうか現実だとござる口調じゃないんだな」
「あれは流石に現実でやると痛いだけでしょ。普段は見ての通り聞いての通りのパンピーよ?」
「突っ込まないからな?」
聞き慣れたござる口調でないことに違和感を覚えて聞いてみると、突っ込む箇所が多い考えを披露して。
んじゃ、とりあえずこっち~と部屋に案内し始める黄昏。
「階層間違うと別のプロチームの所に迷い込むから、間違えないようにねん」
「わざと間違えたくなりそうな話ですこと」
エレベーターに乗り、目的の階層である21階のボタンを押し、そんなことを光樹に念押し。
「我らの階層はロリで覚えるといいってマンチニキが言ってた」
「何故に21階がロリ?」
「(21)って急いで書くとロリに見えるとか何とか」
「あー……あったなぁそんなネタ」
ついでに、忘れないであろうインパクトの強い覚え方を伝授して、ZJKの借りた部屋へと到着。
「一番奥が†フィフィ†ネキの仕事部屋。入らないことをオススメしておく」
「邪魔されたくねぇだろうしな」
「扉開く音で中から怒号が聞こえてくるでござるからね」
光樹たちに割り当てられた部屋を順番に説明していく黄昏。
「んで、その手前が†フィフィ†ネキのゲーム部屋。その向かいがマンチニキの部屋。んで、†フィフィ†ネキの仕事部屋の向かいが――」
「俺の部屋、と」
「先に送られてた荷物はもう届いてるでござるから、まずは色々環境を整えるでござるよ」
そう言ってリストバンドを渡された光樹は、それが何なのか疑問に感じながらも素直に装着。
「それを部屋の扉に翳すとロックが解除される。もちろんオートロックだから、間違っても全裸で部屋の外に出たらダメよ?」
「どこをどう間違うと思ってるんだよ……。そんな趣味は無いから」
「あと、部屋の中の冷蔵庫にはこのホテルと提携してる会社のエナドリがずらっと並んでるから、好きに飲んでいいのと~」
「あ、それ嬉しい」
「ルームサービスはリストバンドで決済するんだけど、その支払いもZJK持ちなので、出来ればあまり高級なのはやめてねって感じかな~」
リストバンドにはどうやらカードキーとカードの役割が含まれているらしく、絶対に無くせないと心に刻む光樹。
「んで、俺に何か話があるときは……まぁ一緒にゲームやってるだろうけど、もしログアウト中に何かあったら、部屋に備え付けの電話で三番を押せば繋がるから、気軽に」
「そういやごまはどこでプレイしてるん?」
「チーム競技とかで使われる大部屋でプレイ中。中に自分含めて五人居るから、まぁ今度紹介するでござるよ。……拙者の動きについてこられる若者として」
「!? ……それって――」
ここでようやく、光樹へのサプライズを口にする黄昏。
色々と考えた末、やはり憧れを、夢を抱いているならば、その最初の一歩くらいは手伝ってやりたいと思う老婆心。
果たしてそれが光樹の人生にどう影響するかは分からないが、それでも選択肢は増やせるだろう。
そう考えての、プロチームへの紹介だった。
「まぁ、拙者に出来るのは紹介までだから、後は自分で勝ち取りな」
「燃えること言ってくれるじゃん」
「あ、消火器はあそこでござる」
「そうじゃないから……」
一通りのやり取りを終えた光樹は、自分用にとあてがわれた部屋にいざ侵入。
なんの変哲もないホテルの一室……とはもちろんいかず。
部屋の中央にデン! と構えられたゲーミングチェアと一体型のフルダイブ用VR装置。
光樹が普段使用している、重さも値段も軽いものでなく。およそ趣味として手を出すには到底買おうとは思えないような値段がするその装置は、左右にセットされたパソコンやマイクとコードで繋がっている。
「んで、冷蔵庫とベッドと」
そのゲーミングチェア兼VR装置から手を伸ばせば届く位置に冷蔵庫が置かれ、中を確認すると言われたとおりに大量のエナジードリンク。
全5種の味が各5本ずつ。総計25本のエナジードリンクが置かれていた。
「あんまり飲んだことないんだけどな、これ」
普段はそもそもエナジードリンクをあまり飲まない光樹だが、それが無料というなら話は別。
わざわざ買ってまで飲まないだけで、捻れば出る水の如くあるのならばそれは飲まない理由がない。
「マッサージチェアまで置いてあるのいいなぁ。座りっぱで背中バッキバキになるし」
ベッドの脇にはマッサージチェアまで置かれ、コンディション調整もプロの仕事と主張してくるし、さらには……。
「頼めば筋トレ器具も設置可能……って、そこまでやる奴はいないだろ……」
フロントに電話さえすれば、ルームランナーを始めとする筋トレや体を動かす器具を設置してくれるとのこと。
流石に光樹はそこまでいかないが、果たしてこれを設置してもらうプロゲーマーは居るのだろうか。
「うし。部屋の構造は把握したし、後はもろもろ調整だな」
そう言ってゲーミングチェアへと座った光樹は、自分用に環境を整え始める。
椅子の高さや背もたれの角度。調整を終えたらゲームを起動しての感度調整や音量、音質の設定。
その過程で、
(予想してたけどヌッルヌル動くな。普段使ってるデバイスでも遅いとは思わないけど、こっちは早すぎ)
あらゆるレスポンスが普段使っている装置の一回り二回り上を行くプロ仕様を実際に使用して、素直に驚く光樹。
ボイスチェンジャー機能をONにして、一言二言喋ってみるが、
(音質が良すぎて粗が目立つ。普段何気なく聞いてる声の筈なのに、もっと可愛く出来ると俺の中で何かが叫ぶ)
感じるのは、違和感。
環境が変われば変化するのは当然だが、それでも自分の耳で聞いて感じてみればその違いは明らかで。
ぶっちゃけた話、既に今までの声では満足できなくなっている光樹。
(これ関連は沼ると無限に時間使うからある程度で妥協しなきゃなんだろうが……)
そう頭で理解はしていても。
本能が、それを許してくれない。
結局、光樹がエルメルとしてゲームをプレイしたのは、ホテルに到着してから2時間後の事だった。
それでも、十二分に妥協したほうである。




