課題答案例、其の一
コンコンコン…
コンコンコン…
なんだ、獅子脅しかな…… やけに速い動きだな。あぁ、今日は大雨予報だったからか。
ここ数年毎年春に日本のどこかをおそっている爆弾低気圧とかいうやつかもひれない…
…眠い…
伊藤がバイトに行ってから朝布団に入ったせいかあまり眠れず、まだ宵の口といえど僕はうとうとしていた。
コンコンコン…コン…
…
…
ドンっドンっドンっ!!!
大きな音に肩がびくっとはねた。
これはさすがに獅子脅しではない。お客さんやご近所さんだったらまずいので頬をたたいて目を覚ます。コーヒーもいれたいとこだけどまずは音のする方へ…。お客さんだと悪いから一応身だしなみ確認するか、寝癖はないといいけど…
鏡のカバーにしているエンジ色の麻布をはずすと、鏡には眉間に皺をよせた女の子のドアップが映っていた。
「うわぁ、アガサ!」
「うわぁって何さ」
前髪からのぞくニ重瞼に黒目がちな瞳。ほっぺたを膨らませてこちらを睨んでくる。
鏡いっぱいに拡大されて映ったので、ホンモノより二回り迫力がある。小さな巨人のようだ。
何を怒っているんだ?
コホン、とわざとらしく咳払いしてアガサの顔が少し遠のく。どうやら彼女はまたビーチ沿いにいるらしい。プールやベンチではなくビーチのみえるカフェかレストランのようで、テーブルにパイナップルの刺さった飲み物がおいてあるのが見えた。ピナコラーダとかいうやつだろうか。
「もうコウタ!!なんなのこの手紙!」
「手紙?」
「こ れ は 何 ! ! !」
バンっと紙を鏡に押し付けてきた。アガサが見えない。その紙自体については見覚えがある。寝ぼけていたかもしれないが、たしかに僕の字だ。
《謎はすべて解けた。
教えてほしければヒントを送り返せ》
平成時代中期に漫画を読んでいた諸先輩方には白い目でみられそうな文章だ。アガサがその時代にマンガを読んでいたかは知らないが、ここは謝っておくか…?
「ご…」ごめんといいかけたところでアガサの顔が泣きそうになる。
「何なのコレぇ。謎解き課題増やさないでよぅ。全然わかんない」
僕は面食らって、ハトのような顔をしたと思う。あの伝書鳩はいつもはどこにいるのやら。
僕は深呼吸して、つとめて親切にふるまうことにした。作戦変更。
「落ちついてアガサ。アガサはあの数字が書かれた紙まだもってる?僕が送ったやつ」
「ホテルにあると思う…ぐすっ」
よし!!!
「じゃあそれを君の鳩に渡してくれる?
あの紙、間違って手紙に包んじゃったんだごめん。もう謎は解けたし、答えは今から教えるから、もうあの数字の紙はアガサにはいらないものなんだ。でも僕にとっては大事なものなんだ」
アガサが首を横にたおした。
無言でなんで?といっている。
領収書で確定申告に必要といって伝わるだろうか、いや、たぶん、否。
「僕にとっては大事な思い出だから…絶対捨てないでほしい」
つとめて真剣な顔で。ミニキッチンとトイレとシャワーの領収書に思い出も何もないが、これで効くか…!?ごくりと唾を飲む。あぁ、コーヒー飲みたい喉が乾く。
「わかった」
アガサがわかったといったぞ。良かった、あほの子で。
キッとアガサの目つきが厳しくなる。
ええ?この見習い魔女じつは心が読めるんじゃないだろうな?
またアガサの顔がアップに近づく。手鏡をのぞきこんだんだろう。そこにはヘラッとつくり笑いをした僕がうつっていたはずだ。
「それで、答えは?だれが魔女なの?それとも」
「うん、だれが魔女かはわかんなかった。可能性の話ならできるけど。でも魔女先生がかけた魔法はわかったよ」
アガサの表情がにんまりとする。頬に色がもどってきて可愛い。おまんじゅうみたいだな。
「どんな魔法?」
「その前に確認だけど、アガサはプエルトリコ初めてなんだよな?」
「うん。そもそもこういうリゾートは初めて」
「アガサ、後ろのビーチを見せて」
「こう?」
アガサが手鏡を動かして僕に景色を見せてくれる。
一般常識があれば至極簡単な問題だった。ただ、アガサを通じた情報だけで判断するには、あのカフェでの場面に至るのを待たないといけなかっただけで。
ここ八畳間の祖母の鏡台にカリブ海のビーチが映る。高い波を堰き止めるために配置された大きな白い岩、オレンジ色に染まった海と空。
「アガサ、今そっちは何時?」
ネットで時差が13時間あることは確認していたが、一応きく。
「ええとね、朝9時だって」
近くの店員に時間をきいたらしい。ていうかこの鏡に向かってしゃべってるシーン他人に見られていいのかアガサ?
まぁいい、それは後回し。
「おかしいと思わない?プエルトリコのこの時期の日の出は朝6時半くらいだろ?」
「あぁ!」
アガサがぐりんと顔を後ろにまわして海の方をのぞきこむ。
レストランのテラスから身をのりだして。おい、落ちるなよ?こっちがヒヤヒヤするわ。
テラスから身をのりだして風に吹かれたのか、あわてて麦わら帽子をおさえている。アガサは水着の上から薄いワンピースをきて、帽子をかぶっている。まわりの客も似たような軽装のようだ。リゾートめ、うらやましい。
「ええ?つまりどういうこと?ずっと夕焼けの魔法?」
「…と、いうのがたぶんひっかけ用の答案だと思う」
鏡台にあらかじめ置いておいた、カフェの本棚のイラストをアガサにみせる。準備万端で電話を待ってるなんて僕はなんて健気なんだ。
アガサは麦わら帽子をおさえたまま首を傾げている。
「ほら、昨日アガサいかにもなカフェに行っただろ?あのカフェでヒントを見つけんだ」
「えぇえ、まさかぁ。家具の大きさを変える魔法?人の大きさを変える魔法?もしかして私達、大きくなってた!?」
あのカフェに家具が大きくなったり小さくなってる魔法をかけた可能性もゼロではなかったけど、アンナさんが飲んでいた紅茶にクッキーがついていたって話を知って、たぶんあのカフェへはそういうコンセプトの店なんだろうと思い直した。ロミオとジュリエットや不思議の国のアリスなど物語をテーマにして家具もメルヘンにつくっているだけだろう。
「アガサ、百科事典って見たことある?」
「あるような気がする。魔女の森の図書館にずらーっと並んでたような」
あるのかよ。じゃあなんで分からないんだよもう。
「この本棚にも百科事典が映ってる。それもたくさん。記憶の中の百科事典と比べてみて」
アガサがグッと鏡をのぞきこんでくる。僕は本棚のイラストを顔の前にもってきてよく見せてやる。
「…あ。わかったかも?」