鬼は泣く-3-
寮に戻った二人は初めにミコトの部屋に向かって食材を置く。ユツキは服の入った袋を持って自室に戻ろうとして、ミコトに引き止められる。
「……お味噌汁、持っていくね」
「ああ、分かった」
いつも夕飯時に作り持っていくのがミコトの日課になっており、気にした様子もなくユツキは頷く。
自室に戻ったユツキは関わることの出来た生徒から得られた情報をまとめて定時連絡と共に送る。
「……こんなことに意味があるのか」
デザインに関しての情報は多少隠しているが、名簿を奪えば手っ取り早く、そもそも最終的にはそうするつもりなのだろう。
不確定なこんな情報が役に立つとは思えない。 結局全員殺すなら細かなデザインによる特性など考える必要もない。
ユツキは少しだけ疑問に感じながら、関係ないことだと振り払う。
何をさせたがっているのかは分からない。 あるいは先走る奴等を止めることを目的としているのかもしれないと考えたが、その目的を自身に伝えない意味が分からなかった。
だが、意味のないことをさせるとは思い難い。 指示の少なさも相まって、違和感や疑問が積もる。
「……遅いな」
いつもなら部屋に来ているであろう時間になってもミコトが来ていない。 少し不思議に思いながらも、行き違いになるのも防ぎたいと思い少しだけ待つかと考える。
三十秒ほど待ったところで、自身の任務に対する焦燥もあり、ユツキは落ち着かない気持ちを封じるためにもミコトの元に向かうことに決めた。
そう遠くもない部屋へと歩き、その扉を何度かノックするが反応が返って来ない。
行き違いになったと思い振り返ったところで、焦げた異臭に気がつく。
戸惑いや迷いもなく、ユツキは全力で扉を蹴り破壊する。
壊れた扉からの異臭が強まり、中に入れば、ほんの少しだけ先ほどよりも乱れている室内に、異臭の源だと思われる、溶けた窓ガラスと焼け溶けたカーテンが目に入った。
「っ、四階だぞ、ここは」
目を見開く、溶けた窓から外を覗き込むが人の影は生徒のものだけだ。
カーテンやガラスはまだ熱を持っていて、白昼堂々としていることもあり、急いで向かえばまだ見つけられるかもしれないと思われた。
携帯電話を取り出し、慣れた様子で連絡先を入力し、耳に押し当てる。
「真寺だ。 対象の高校の生徒の長井命が何者かに攫われた。 犯人の特定と追跡の許可を」
ほんの少し語気が強くなっていることに気がつく。 扉を破壊したせいで廊下が騒がしくなっていることに気がつき、早く追跡をするべきだと考える。
「特定は既に完了している。 追跡の許可は出来ない」
電話越しの男の声に、ユツキは考えもせずに口を開く。
「どこの人間だ。 追跡は何故出来ない。 まだ作戦の本行動は先だろう」
「それは答えることは出来ない。 真寺有月、現場にいるのならば、人に見られれば厄介だ。 早急にそこから離れたまえ。 以上だ」
電話は切られ、ユツキは舌打ちをして命令に従おうとして窓から出ようとする。
その時に、ここ数日で慣れ親しんだ、味噌汁の匂いに気がつく。
味噌汁の入った鍋を見て、ユツキは口に出す。
「……遅かれ、早かれ。 どんな状況であれど、どうせ死ぬんだ。 助けに行く意味はない」
ならば何故、それを自分に言い聞かせようと口にするのか。
決まっていた。 助けたいと思っているからに違いない。
もう一度携帯電話を手に取り同じ場所に連絡をし、同じように一言で拒否される。
「命令違反を行う。 意味はない。 生きても数ヶ月だ」
ユツキは自分へと言い聞かせるように言うが、そんな言葉は誰にも届かなかった。 無論、ユツキ自身にさえも。
頭の中では言い訳するための理由付けばかりが浮かぶ。 何故その場で殺さずに攫ったのか、何故特定まで出来ているのに追跡が許されない、何故先走りが許されている。
もう一度、携帯電話を操作する。
「真寺有月 クドい。 答えることは出来──」
「守らないのは魔術師の仕業ではなく、別の存在だからか。 この誘拐が魔術師の存在が知れてしまう理由にはならないと思っているんだな。
だが、塔と島の魔術師はこの付近に多くいて、デザインを殺そうとしている。 金のある連中が警察だけに捜索を任せるとは思い難い、デザインやその親の手先が散らばれば、街中が戦争になる可能性が高い」
「……判断に時間がかかる」
「追跡を行う。 手は出さない。 許可を」
「……許可が出るまでは手は出すな、分かったな」
ユツキは携帯電話を閉じ、窓から飛び降りる。
「生の書:第六章【為すべきことがために】……より強く」
◇◇◇◇◇◇◇
馬鹿げている。 と長井命は強く思った。
「出来ることならば、貴方自らが協力してくれることに越したことはないんですよ。
ほら、健康診断って受けたことありますか? 落ち着いた環境でするでしょう? 走り回った後になんてしない。 暴れられたり、不安に思われると困りますから」
車の中、手足は縛られていない。 窓を融解させて侵入するという手荒な誘拐で、問答無用であったが、妙な話、ある種の丁重さもあった。
「……分からない」
「何がですか? 私達が非合法であることは分かっていますが、悪党だとは思っていません。
大多数の人間のために、世界を変えたいと思っているだけです。 もちろん貴方の幸せも望んでいますので、可能な限り誠実にお答えさせていただきます」
ミコトの横に座っている女性、ミコトを直接持ち運んだ彼女は車内にある冷蔵庫から飲み物を何種類か取り出しながら、早口で答える。
ミコトは宗教のようだと思いながら、女性を見つめた。
「……人のため?」
「はい、そうです。 多くの人を救うために貴方の協力が必要なのです。
永遠の命を持った、【不死】のデザインである長井命様の協力があれば、多くの人の命が救うことが出来るのです」
「……私と似たの、作るの?」
「いえ、それは行いませんよ。 万能細胞というのはご存知ですか?」
「……移植に使う?」
「はい、その万能細胞で間違いありません。 博識ですね、長井様は」
小さく謙遜したミコトに女性は続ける。
「従来の移植手術では、本人と同じ遺伝子を持った臓器などを移植します。ですが、それにも問題がありまして、例えば新たな腕を取り付けたとしても、ほとんど動かすことが出来ません。 幼い内の移植ならば大丈夫なのですが、高齢の方に施術を行いますとただの義肢と同じようになってしまいます」
「……うん」
「ですが、長井様の持つ【不死】の遺伝子を持った細胞を用いれば、従来のものよりも遥かに治りが早く適合しやすいと考えられるのです」
ミコトは小さく頷く。 長井命の【不死】のデザインはただ寿命がないだけではない。 長く生きるために必要な不老、突然死しないための高速治癒、暗殺されないための薬物耐性、など……と、言ってしまえば腹に大砲で風穴を開けられても翌日には傷跡すら残らない化け物だった。
「長井様の不死の遺伝子をその方の遺伝子に多少組み込んでから移植をこの行うことで、今まででは不可能だった規模での再生医療が、非常に安価で安全且つ負担も少なく多くの人に行えることになります。
歩けない子供が走れるように、幼い子の親が子供が独り立ち出来るまで生きられるように、目の見えなかった人が星の光を浴びて、音の聞こえなかった人が愛を語り合う。 ──そんな世界に、変えたいのです」
いいことのように、ミコトは思った。
デザインの最大の失敗である「格差」と「多様性の低下」は起こらない。
治療が早くなり入院日数が減れば結果的に安価で提供出来るため貧困者にとっても都合がよく、移植しても生殖細胞に関わりはないので次世代以降の多様性がなくなるということもない。