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日々という日 -7-

「っ! やれっ!!」


 放っておいてはならないと、ユツキの様子に焦った男は命令を下す。

 自身が何故、殺すのではなく捉えるのを選んだのかも忘れて。


 ユツキの全身に剣が突き刺さり、稲妻が走り、重力に押し潰される。

 そのユツキの体が動かないことを確かめて安堵した男の背に、トン、と振動が伝わった。


「……怯えたな」


 男の首が背後から万力のような力で締め上げられ、苦痛からか、恐怖からか、酷く男の表情が歪んでいく。


 ユツキの体は未だに男の視界の中で倒れている。 まさか幻覚のはずもない。


「……全身の細胞が潰れ、電流で焼けた。 生の魔術はあくまでも細胞分裂を繰り返す。 ……残っている中でもっとも大きい部位から、再生することぐらい知っているだろう」


 男は掴まれている腕で振り返ることも出来ず、全身に鳥肌を逆立てさせた。 男にとって何年ぶりの感覚だろうか、少なくとも、男の記憶の中にはないほど昔に感じたきりだろう。 怖い、とは。

 ユツキは男の身体を床へと叩きつけた。


「お前の神に祈れ、死後は金が欲しいと」


 目隠しはなくなったが、既に電源が落とされたせいで魔導書を読むことが出来ない。

 それは相手も同じ条件であり、今ユツキが魔術による攻撃を喰らわずにいられているのは、そのためだろう。 銃撃がないのは、足蹴にしている彼等の長のためだろうか。


 ユツキは一度、この男を仕留めれば計画は中断せざるを得ないだろうと考えたが、体が動くことはなかった。


 仕留めれば、撃たれ続けて死ぬかもしれない。

 死を覚悟してこの場にきて、この瞬間、初めて死が恐ろしくなった。


 理由は分からない。 と、ユツキは自覚していなかったが、そう難しい感情のためではない。


 腹が減っていた。 毎日この時間には味噌汁に舌鼓をうちながら過ごしており、体が思い出していたというだけのことだ。


 戦闘中に「味噌汁が飲みたい。 ミコトの作ったやつ。」などと馬鹿げたことを自分が考えているなんて、思いもしないようなことだった。


 そんなありえないマヌケな一瞬が、命を救った。 ユツキか、あるいは男の。


 風の流れを感じたユツキは、全力でそちらへと駆け出す。 自由な身体であれば、身体能力の強化されたデザインであるユツキの脚力に追いつけるはずはない。


 背後からの銃撃をいくつか被弾しながらも、ユツキはその場から駆けて逃げ出した。


 一般の職員は避難を終えていたのか、暗闇の中に人の気配はない。 体の中に仕込まれていただろうGPSも、身体を一度全て失ったので問題なくなった。

 逃げることが出来る、とユツキは思いつく。


 ここから逃げて、ミコトを攫い、どこか遠くに行く。

 以前教えられていたデザインを皆殺しにすることが真実ではなく、金儲けのためだと言うのならば……見つけるのに時間も金もかかる海外であれば、追ってこないかもしれない。


 競争相手もいるのだから、悠長に失敗した作戦を続けることはないだろう。 放っておいてもカケル達も無事だ。


「ここから出て、ミコトに会えれば……!」


 ミコトを幸せにしてみせる。 馬鹿な俗物どもから守ってやれる。

 そう思いながら見つけた階段を駆け上がり……ユツキは、唯一の通り道である階段が崩れる音を聞く。

 壊れたコンクリートの破片がユツキの頬を裂いて落ちる。 先ほどまで感じられていた微かな風も感じられず、崩されたコンクリートの砂埃の匂いだけがその場に残った。


 唯一の出入り口を封じられたのだ。 対人戦では強力なユツキの魔術は、大規模な破壊には向いていない。


 それは、ユツキがこの施設から抜け出す方法はないということだった。


 人の足音を聞いて、近場の扉の中に逃げ込む。 どうやらパソコンがあるらしく、ブレーカーを落としていても、バッテリーのためか動いている際に発光するランプが点灯して、若干の光度が部屋の中に保たれていた。


 灯りがあるとは言えど、若干物の輪郭が分かる程度で、魔導書を読むことは難しい。 パソコンを操作して画面を表示させれば魔術も可能だろうが、そうすれば灯りで場所がバレてしまう。

 ユツキは息を潜め、扉を背にして座り込んだ。


 死にたくない。 そう思ったのは初めてだろうか、それとも感じないようにしていただけか。

 少なくとも安易にパソコンを操作して魔術を使用しなかったのは、正解だっただろう。


 ユツキの背に、扉の向こう側の足音が伝わっていた。 息を潜めたユツキは、その振動を感じながら、自身の魔術を扱うための力が減っていっているのを感じる。


 長時間の使用に加えて、何度も無理な回復を繰り返していたことで尽きかけていた。

 せめて消費を抑えようと、振動を感じなくなってから魔術を解除して、何か使えるものはないかと部屋の中を漁る。


 どうやら更衣室も兼ねていたのか、ロッカーがあり、その中には衣服と菓子があった。

 ユツキは意味がないとは思いながらも服を着て、菓子をもそもそと食べていく。


 咀嚼が苦手なのを克服していて良かったとユツキは思いながら、失敗したかもしれないと思った。 最後の食事がこんな菓子で腹を満たしただけというのは味気ない。 最後ならば、ミコトの作った味噌汁が良かった。


 馬鹿なことを思っているとユツキは自覚しながら、座って身体を休める。 もう逃げ場がないことや、ここも時期にバレるだろうことを気付かないふりをして。


 死にたくない。 だが、生きることが難しいのは明らかだった。

 どうしようもない状況が、扉が開かれたことで悪化する。 入ってきた人が気付く前に仕留めようと音もなく忍び寄り全力で拳を振るう。


 無力化には成功したが、倒れたことでロッカーにぶつかって音が鳴る。

 すぐにこの場から離れなければならないと、ユツキはパソコンをコードから引き抜いて駆け出す。 すぐに見つかるだろうと分かっていたが、生きたいと自覚したユツキはほんの少しの可能性を考える。


 通気口、水道と何か穴はあるはずだと考えて移動し続けた。

 少しずつ、逃げられる範囲が狭まっているのが分かる。 身体の性能が良いことで先に見つけて離れることが出来ているため、決定的なことは起こっていないが少しずつ確実に追い詰められている。


 一度見つかれば、出口がないために逃げることが出来ず、死ぬまで戦い続けることになる。

 ユツキは逃げ隠れるしかない。

 また適当な扉に入ったところで、ユツキは心身の疲労で膝をつく。 あとどれだけの時間生きられるのか。


 自分の死後、ミコトは幸福になれるのだろうか。 そればかり考えて、彼女の顔を思い出す。


「ミコト……」


 数々の暴言を謝りたい。 生きたいと思わせてくれたことに感謝したい。 また、彼女の作った味噌汁を飲みたい。


 ユツキはそう心の中で叫び、顔を歪める。 望んだところで会えるはずもなかった。 自身の望みが何かを変えることなどあるはずかないと知っていた。


「……ユツキくん?」


 だから、これはユツキの望みの結果ではなかった。

 表情がひどく歪む。 ほとんど存在しない明かりだが、持ってきていたパソコンの小さなライトで輪郭だけが目に映る。


 小さく細い、華奢な身体。 輪郭だけでも制服と分かるほど、ユツキには見慣れた格好の少女だった。

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