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日々という日 -4-

 不快感から眉間のしわが寄り、以前見たときと比べずいぶんと雰囲気が違うことに若干の疑問を覚えたユツキだったが、思い返せば元々このような場所にも思える。


 変わったのは場所ではなく、自分の目かと思い。 ユツキは死ぬ前と分かりながらもそれを誇らしく感じる。


 細かいことすら不安に思うほど弱くなったのかもしれないが、悪くない。 怯えているのは人らしく生きられている証拠のように思えた。


「例えばのことなんだけど──」


 若干油断していたユツキの耳に、反響した声が響く。 警戒を強めた彼は足を止めて、奥の暗闇に目を凝らす。


 簡単に本拠地である地下にまで入り込めたのは、灯りを消して暗闇にすることで虚の書の発動を封じるためだろう。

 それを証拠にか、先ほどまで絶え間無く襲ってきていた魔術師達が自然光の入る階段までにはきておらず、暗闇に紛れている。


 生の書のみでは勝ち目が薄い。 ユツキの強みは二つの魔導書を持っていることであり、もっと言えば虚の書で相手の魔術を封じた上で、生の書で一方的に魔術を使うことだ。


 一切の光源がなければ相手も魔導書を読めず魔術を使えないだろうが、そうなれば人数の多い管理院側が圧倒的に有利になる。


 生の書の魔術はしばらくかかりっぱなしだろうが、追加しなければいつかは切れ、その時点で死亡が確定する。 相手も持続して発動する魔術を使ってくるだろうことを思えば、光源がなくなることでの不利は圧倒的にユツキが被ることとなってしまう。


「──ここで心を入れ替えてくれたら君の命は助けてあげるって言ったらどうする?」


 ユツキがどうするにしても不利は変わらないが、無策で突っ込めば犬死にするだけだ。


半歩足を後ろに擦らせた瞬間、上から入り込んでいた太陽光が失われる。


「……ッ!」


 闇を作るために光の入り口を塞ぐのなど、考えれば当然のことである。

 ユツキを驚愕させたのはそれではなく、その光が消えた一瞬、視覚に頼った外部情報の取得から、聴覚による状況判断に切り替えた瞬間に首を掴まれるという攻撃を受けたことだった。


 光が遮断されることはユツキにとっても想定内のことであったが、敵側のゼロコンマ一秒以下のズレもない同時行動などあり得ないと判断していた。


 ほんの少しでも首を狙うのが早ければ、ユツキが姿を見て反撃出来ただろう。

 ほんの少しでも遅ければ、ユツキは音を聞いて風の揺らぎから反応していただろう。


 視覚と聴覚の切り替えの隙間を狙い撃つ。 異様とも思える技術に驚愕するのよりも先に、ユツキの腕は動いていた。


 治癒の魔術がかかっている間は細胞は死滅せず、常に栄養があるのと同様に動くことが可能だ。 それは息をせずに酸素が足りなくなったとしても変わらない。


 首を掴まれても衰えないユツキの反撃の腕を相手の男は躱し、手首を掴み、階段へとユツキの身体を叩きつける。


 実際の柔道のように受け身が取れるような優しい投げ方をされるはずもなく、受け身も取れず叩きつけられたユツキの背骨が異様な音を立てて折れた。


 だが、治癒の魔術があれば、その程度の致命傷はあってないも等しく、そのことはユツキも……当然のこと、相手も理解している。


 狙いは叩きつけたことによるダメージではなく、寝技による拘束。


 階段上で揉み合うようになるが、人間らしい技術の有無が大きな差を生んだ。

 柔道の関節固め技。 ユツキが関節を外しても動くことが出来ることや、階段の上であることから既存の技からはかけ離れていたが、人間を超えた魔術師同士のぶつかり合いは人間の技によって終わりを迎えた。


 魔術、銃、体術、ユツキには抵抗する術はなく、押さえ込まれながら縄で縛られる。

 目隠しの上、暗闇の中で引き摺られていった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 見つからない。 思い出も、情報もなく、ただまぶたの裏に見えるのはユツキの仏頂面ばかりだ。


 泣きそうになるのは、焦燥のせいだろうか。 あるいは、長く過ごしたつもりで何も知らずにいたからだろうか。


「次はどこに行けばいいんですか?」


「……分から、ないです」


 ユツキがどこにいるのか、何を考えていたのか、ここからどこに向かえばいいのか。

 女性は困り顔になりながらミコトを見つめる。


「……どうしたら、いいか。 こうなるって、分かってたのに」


 ミコトは俯きながら、どうしようもない現実を呪うように喉を震わせた。


 自分は、あまりに無力すぎる。 自分だけが生き延びる【不死】など、本当に利己的なだけだ。 人のためには、何も出来はしない。


「……ここで、いいです」


「えっ、山の中だよ? 何かありそうにもないけど……」


 停められた車からミコトは降りて、運転手の男と女性に頭を下げた。


「……デザインの方は、殺されるので、国外に逃げた方がいいです。 普通の飛行機なら、ダメだと思います」


「殺され……って、この前のあの人達と関係しているんですか?」


 ミコトが後ろに下がろうとしたことを察した女性は離れようとしていたミコトの手を握り、逃げられないようにして尋ねる。

 力を入れても動かないことをミコトは確かめたあと、頷く。


「……魔術師、不思議な力を使う人がデザインを殺そうとしています。 なので、逃げないと危ないです」


 ミコトの言葉に女性は苦そう表情を浮かべて、続けて尋ねた。


「長井さんはどうするつもりなの? ここから逃げたり出来るようには思えないんだけど……」


「……私は、ひとりだけ逃げたくないから」


 けれど、立ち向かうことも出来ない。 そう思いながらも口にすることはなかった。


 望みはない。 たったひとつ、妥協に妥協を重ねた「せめて、ひとりぼっちでは死なせない」ことすらも叶わず、ヤケになっているだけかもしれない。

 そんなミコトを瞳に映した女性は、ゆっくりと息を吐き出す。


「話が上手く飲み込めないけど……。 わざと死ぬのは良くないよ?」


 当然なことを、大袈裟に言うものだとミコトは思いながら、そんな当然なことを考えてすらいない自分に気がついた。

 それは、簡単に「人を殺す」と口にするユツキと過ごしていたからではなく、ただ生まれつきそうだった。


 自分にとって、命はさして重要な意味を持っていないことにミコトは気がつく。


 それは自分が【不死】のデザインだから普通だと考えもしていなかったが、それもおかしくはないかと疑問に思う。


 人格とデザインに影響はあれど、相関はない。 運動神経のいいデザインはスポーツが好きなものが多く、知能の高いデザインは学力が高いものが多いが、それは親の勧めや成功体験が元になっているからだ。


 決して才能と好みが直接結び付いているわけではない。 それを考えれば、親の勧めやら成功体験などあるはずがない「生への執着の薄さ」が何の理由もなくあるはずがない。


「……死ぬのは良くない。 ……ですか」


「そりゃそうだよ。 それに研究に付き合ってくれる約束もあるんだからさ、生きてよ、ね?」


 何故自分は死を恐れないのだろうか。 生きていたいのが当然で、だからこそ【不死】を両親が多額の費用をかけて生み出したというのに、おかしいだろう。


 何か重大な見落としをしているようで、しかしながらそれを知れば自分の根源を否定することに繋がるようで、酷く、強く、深く……恐れてしまう。

 思考から逃げようと目を上にした瞬間に、女性の顔が目に入った。


「……あ、れ?」


 足元が崩れてしまうような、空が落ちてくるみたいな、そんな感覚。

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