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日々という日 -2-


 振り返ったユツキの目には同様の壁があり、蹴って破ろうとするが、返ってきたのは脚の骨にヒビが入った感覚のみで、壁は揺らぐこともなかった。


 すぐにユツキは周りにある背後の壁や上下左右の壁が彼へと迫って来ていることに気がつく。

 敵はユツキの魔術の欠点を知っており、押しつぶすつもりなのだろう。


「……少しばかり、舐めすぎだ。

 虚の書:第二章【暖かさに意味はない】……安寧を奪え!」


 虚の書は相手を目視出来なければ、発動することが出来ない。 それが前提であり、だから管理院の魔術師も相性の良い魔術師を当てがったのだろう。


 だが、魔術師には《格》の違いがある。

 圧倒的な情報量を持つ魔導書の全てを読み込むことは不可能であり、読んだとしても理解しなければ発動は不可能。


 常人ならば才能に溢れていて一章を読めるかどうか、多くの魔術師は三章から四章止まりである。


 このコンクリートを扱っている魔術師は幼い頃から「非凡」「天才」「神童」と持て囃され、負けたことのない人生を歩み、七章までの発動が可能となった。


 一章違えば倍の魔術を使う力と戦力差があるとされるため、単純計算で通常の魔術師十六人分の戦力である。

 魔術に必要なものは、魔術の知識と、操る物への理解だ。 だから、まだ足りない。


 たかだか「非凡」、せいぜい「天才」、所詮は「神童」。 「その程度」が【魔術】のデザインである真寺 有月の相手になるはずがなかった。


 壁の外にはユツキの血痕、肉体の破片がある。

 それが寄り集まるようにして球体になり、周りの血が剥がれ落ちるようにして眼球が生まれる。


 ユツキの扱う治癒の魔術による眼球の生成。 それからグロテスクな管が伸びて、その管が壁に張り付く。


 壁が徐々に狭まっているということは、その中にある空気が圧縮されることであり、そうなれば壁を壊す可能性のある圧力を増やしてしまうこととなる。


 それをなくすために空気穴が必要であり、ユツキも気圧が高くなっていないことから空気穴が開いていることが分かっていた。


 一通り見回し、一目では見えない空気穴があることを確認したことから、見えないほど細かな穴が大量にあると判断し、その穴から神経を通して壁越しに眼球と手のひらを繋ぐ。

 そして、壁の外にいた魔術師を「目視」する。


 その瞬間、コンクリートの動きが止まり、水で固められた砂山のようにゆっくりと崩れていく。


「……確か、【工】の書は触らなければ発動が出来ないんだったか」


 触感を奪う魔術、それひとつで完全に魔術を封じられる。

 男は急いで懐から拳銃を取り出そうとするが、触感を失った身体ではまともに物を掴むことすら出来ず、ユツキが落ち着いた動作で取り出した拳銃を見て命乞いをしようとしたが、乾いた発砲音に掻き消された。


 ユツキはため息を吐き出して、後悔を振り抜くように駆け出しす。

 ユツキは虚の章を第九章まで、生の書を第六章まで読むことが出来た化け物だ。 神童程度では相手にすらならなかった。


 魔術師が壁の向こうに出ていたのは、魔術の効果範囲内全てのコンクリートでユツキを封じ込めており、自分の身を隠すものがなかったからだろう。 日々という日はない、良い日も悪い日も、所詮は後付けに過ぎない。


 俺は今日、死ぬ。

 後付けをすることは出来ない。 良い日とも、悪い日とも言えないだろう。

 本拠地のすぐ上で、目立つ音と振動を発する魔術師を相手に短くない戦闘したのだ。


 来て当然だった、敵の増援も。


「よお、ユツキ、久しぶりだな」


「……今日はいい日だ」


 八人の魔術師に、通常の銃を持った十数人の人員。 その魔術師の誰もが、先程の【工】の魔術師よりも章の進んだ魔術師だった。


「死ぬにはか?」


 顔見知りだった男が気分良さげに、品がなく口を開けた顔で尋ねる。

 ユツキがほんの数ミリだけ口角を上げて、男を見返す。

 今日は文化祭だった。 あまり上手くもない絵も描き上げ、劇の小道具も出来上がった。 今は、友人が下手な演奏をしている頃か、下手な劇を披露しているか、下手な絵を笑っているか。


 目をほんの少し閉じれば、まるで見てきたことのように、瞼の裏にしっかりと浮かんだ。


「……ああ、間違いない。 死ぬにはいい日だ」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「……死にたくない」


 少女は電話越しにそう言った。


「だから、助けにいくと確実に死ぬ。 無駄死にを増やしたくないから、俺は止めている。 ここまでは分かっているか?」


「……分かってるから、どこにあるのか……教えて」


「聞いてどうするつもりだ。 行くんだろ? 行ったなら死ぬんだ。 死にたいのか?」


「……死にたくない」


 電話口の相手、大鬼は近くのビルからミコトを見下ろしながら大きなため息を吐き出す。

 ユツキが出て行ったのを確認してからも、継続して学校の生徒達の護衛をしていた大鬼だったが、ユツキの居場所である管理院の位置ぐらいは分かっていた。


 分かっていることと教えることは全くの別だったが。


「俺は可哀想な人間を見たくないだけだ。 だから理不尽な「大人の都合」で作られ、殺されるデザインを見たくないと思っている」


「……いい人なのは、分かってる。 あの時も、見逃してくれた」


「俺はいい人だから、わざわざ若者を殺そうとは思わんな。 だから聞かれても答えない」


「……ユツキくんが、死んじゃう」


「お前が行っても死体が増えるだけだ」


 ミコトはしばらく口を開かずに考えを巡らせる。 電話越しに突然黙りこくった少女の言葉を、三分以上も待った大鬼は確かにいい人なのだろう。


「……ひとりでは、死なせたくない」


 それだけ考えて出した答えは、自殺と呼んでも過言ではないものだった。


「そんな言葉を吐くから、行かせられないんだろうが」


「……だって、どうしようも……ないから」


 彼女の言葉の通り、どうしようもないのがユツキの運命だった。

 予定通りにデザインを殺せば自分も殺され、裏切れば当然死ぬ、逃げようと追いつかれる。 ミコトの知っていることではないが、ユツキ自身に発信機を埋め込まれているので逃げることすら不可能だ。


 何年も昔から、あるいは生まれたときから、ユツキが死ぬことは決まっていたのだ。


「……救えるなら、救いたい。 一緒にいたいし、話したい。 悪口とか、悪態とか、ちょっとムッとしたりして」


 ミコトは自分が思ったよりも冷徹な人間なのかもしれないと、涙も出ずに話していることを疑問に思う。

 好いた人の生き死にのことなのにと。


「……生きたいけど、どうせ生きられないなら」


 それはやけっぱちの言葉だったかもしれない。 ミコト本人も電話口の男を説得出来るとは思っていなかったのは確かで、自覚こそはしていないが八つ当たりに近いものだったとすら言えるだろう。


 大鬼は学校へと迫る人影を複数見つけ、魔導書である大巻物を生み出し、片手で持った携帯電話に向けて声を発する。


「無理矢理にでも生かしてやる。 どうしても死にたいなら、デザインも魔術師も関係なく自殺でもすればいい」


「……私はっ! ……ただ、だって」


 電話がプツリと途切れ、代わりに遠くから破砕音や地面への若干の振動を感じる。


 大鬼が塔の魔術師と接敵したのだろうか。 誰にも死んでほしくないとミコトは思っているが、どちらかが……十中八九は塔の魔術師が死んでしまうだろうとは思った。


 そんな中で、遠くにいるユツキの安否だけが気になる自分は酷く利己的なのだろう。


 自分が大切なものだけが大切で、それが脅かされていると目の前の人の命には関心すら抱けない。


「……ただ、ユツキくんが……幸せになってほしいだけで」


 電話は繋がっていない、そもそも電話に口を近づけてすらいない。 ただの独り言は、遠くの戦闘音と共に文化祭の喧騒に掻き消えた。


 どうすることも出来ない無力感。 結局、父に頼んでいた管理院の発見は出来ておらず、製造工場は分かったものの、搬入先は全国散らばり多すぎて判別が出来ない。

 頼りの大鬼も塔の魔術師から自分達を守ることで手がいっぱいであり、ミコトが無意味に死にに行くことも認めないだろう。


 どうしようもないのだ。 泣こうが、騒ごうが、諦めようが、進もうとしても、意味がないことが分かる。

 現実から逃げるようにフラフラと歩いていれば、いつのまにか慣れた道を歩いていたのか自分のクラスの前だった。


 喧騒から逃げるように中に入り、ユツキの机に手を当てると、まだ机の中には彼の荷物が残っていることに気がつく。

 何の気なしにその荷物を取り出せば、雑多に纏められたプリントに暇つぶしに描かれた落書きが残っていた。


 あまりいい趣味ではないが、虫やらナメクジやらの気持ちの悪い生物の絵が多い。 まともなものは最後に描かれたミコトの絵ぐらいのものだろう。


 珍しい模様の蜘蛛の絵を見て、ミコトはほんの少し疑問を覚える。 産まれてこのかた、こんな模様の蜘蛛は見たことがない。

 ユツキの完全な創作なのかと思っていたが、他の絵は見たことがあるものに似ている。


「……これ、は……」

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