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偽物と本物 -4-


 美術室に入ったユツキはシャーロットがいないことを確認した後、真っ直ぐに後ろに飾ってある絵を見に向かった。


 天使の絵を見たユツキはしばらく眺めて、ため息を吐き出す。 この絵は美しいと、ただ思う。


「……そんなに好き、なの?」


「悪くはない」


 この絵は本物だ。 と考え、本物とは何かと思いを巡らせる。 模写やデッサンは違う、存在しないような物を描くような、自分の考えを表すようなものこそが、本物だ。


 そう考えていたユツキの頭が白い手でポンポンと撫でられる。 ユツキが振り返ればシャーロットがニコリと笑っていた。


「人魚姫の舞台を描くんだよね?」


「……はい。 そんなに場面多くないけど、大きいから……大変ですか?」


「んー、まぁ大きい絵を描かない方法はあるけどね。 小さい絵をパソコンに取り込んで、プロジェクターで映すとか。 まぁでも、光の調整が難しいからオススメはしないね。

 大きく描くとしたら布に描くのがオススメ。 紙だと畳むとぐちゃぐちゃになるからね」


 シャーロットはとりあえずどんなのを描くかを普通の紙に書くように言い、ユツキとミコトは相談しながらそれらしくなるように描いていく。


 簡易な絵だがそれらしいものが完成していき、ミコトが携帯電話で写真を撮って劇をまとめている女子生徒に送る。


「……オッケーだって」


「早いな。 他のやつに相談とかないのか」


「……まぁ、過半数は取れるから」


「本来の民主主義というのは、全員一致だぞ」


「……とりあえず、材料集めてこよっか。 布とか」


 ミコトが椅子から立ち上がろうとしていると、いつのまにかいなくなっていたシャーロットが美術準備室から出てきて、丸めた巨大な布をいくつも美術室の床に並べた。


「去年とかもっと前の時の文化祭で、余ってるのあるから使ってもいいよー。 あっ、結構な値段するから書き損じとか出さないようにね」


「……分かりました。 ありがとうございます」


「脚本も出来ていないから、必須だろうやつからやっていくか。 多少変わったとしても海の中がなくなることはないだろう」


「……今更だけど、海の存在、知ってたんだ」


「知らないわけがないだろ」


 簡単な下書きをするにしても、二人で同時に描くわけにも行かないためユツキが大きく描きながら、ミコトが簡単な指示を出したり、細かいところを描き足したりとしていく。


 大まかな形が出来たところで、色を塗るところを分けるための線を引いていき、不必要な線は消していく。

 それだけ終えたところでミコトの携帯電話が鳴る。


「……あ、お父さん。 ごめん、今切るね」


「いや、出ろよ」


 珍しくユツキが真っ当なことを口にして、ミコトは渋々といった様子で電話に出ながら廊下に向かう。


 勝手に新しい作業に入るのも良くないかとユツキが身体を解し、また天使の絵を見つめる。


 シャーロットはユツキの隣に来て、彼の頰を指先で突く。


「そんなに気に入ったの?」


「まぁそうだな。 あれは本物だ」


「ん、真寺くんの言う本物って、模写とかじゃない絵ってこと? いや、違うかな。 現実を含めて、真似じゃないってことかな?」


「そうかもしれない」


 シャーロットはユツキから目を逸らして、絵を見つめる。


「じゃあ、あれは偽物だよ。 あの絵ね、私の妹がモチーフなんだ」


 ユツキが怪訝そうにシャーロットを見ると、彼女は自嘲するように語る。


「昔、仲良くない妹がいてね、仲良くしようとしてたけど、交通事故で」


「そうか。 ……随分、美人だったんだな」


「惚れちゃったの? 長井さんかわいそう」


「いや、先生が描いたんだな。 あの絵」


「上手でしょ? 尊敬しちゃった?」


 軽口を言うシャーロットを見てユツキは頷いた。


「不思議と、それでも嫌いになれない」


 自分が嫌っていたはずの偽物であると思っても、なお変わらずに美しい絵だった。


「真寺くんはこだわりが強いんだよ。 特別な物があって、それがいいって思ってる。

 実際は、何かのデッサンでも描く人がどんな技術を持ってるか、どういう気持ちで描くか、どんな風に見てるか、どんな人か、全然違う絵になる。

 特別じゃない、本物じゃない、そんな絵は、存在しないって、先生は思うな」


「そうかも、しれない」


 特別じゃない物は存在しない。 それは先程のミコトとの話、普通じゃない物が存在しないのと食い違うようで、同じ意味のように聞こえる。


 特別であり、普通でもあるというのが、普通なのだろうとユツキは考えた。


「文化祭、自分の絵も描いてみたら?」


「少し、考えてみる」


「何を描くかを?」


「ああ、少し迷う」


 ユツキの返しにシャーロットは少し驚きながらも嬉しそうに頷く。


「頑張ってね。 真寺くん」


「……よく分からないんだ。 何をしたいと」


「そんなの私にも分からないよ。 真寺くんが自分で考えないとさ。

 好きなものの絵でもいいし、ただ思い浮かんだものの絵でもいいよ、嫌いなものを書いてみるのも面白いかもね。 私、真寺くんの絵が好きだから楽しみにしてるね」


 美しい絵ではないだろうと、ユツキはため息を吐き出して思う。


 いつまでここにいられるのか、あるいは生きていられるのかも定かではない。


 ミコトが戻ってきて、ユツキが一歩だけ扉に向かう。 ミコトがその様子に首を傾げるとユツキはわざとらしく顔を歪めた。


「……どうしたの?」


「お前は……嫌いだな、と」


「……私は、ユツキくん、好きだよ」


 簡単に描くものが決まった。

 続けて劇用の絵を描いていき、ほんの少しだけ進んだところでシャーロットが帰るように二人を促した。


 二人は劇の絵の話をしたり、文化祭でのことを話をする。 一緒に文化祭を回ろうという約束をしてミコトの部屋の前で別れる。


「……ユツキくん」


「なんだ。 もう帰りたいんだが」


「……ユツキくんは、私に気を使っていうことを聞いてくれたり、しないよね?」


「当たり前だろ、なんで気を使ってやる必要がある」


「……そっか、なら。 ……もう少し、お話ししようよ」


 ユツキは少しミコトの部屋で話をしたあと、部屋に戻り携帯電話が鳴ったことを確認する。


 六月十八日、決行。 それ以外の内容はユツキの耳に入ることはなく、知る必要もなかった。


 隣から聞こえる楽器の鳴る音に、手に握られていた劇の下絵。


 大きく出そうになった癖のため息を飲み込み、服の中に隠していた拳銃を取り出して、ゆっくりと整備していく。

 覚悟は、決心は、あるいは諦めはついた。

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