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偽物と本物 -3-


 ユツキが彼女の目を見ると、自分が死ぬしかない状況だと言うのに、心配そうにユツキを見つめていた。


「お前は、どこまでも……馬鹿だ」


「……ユツキくん、逃げる?」


 ユツキは迷う。 逃げ続けることは不可能でも時間は稼げるかもしれない。


 魔術師と不老のデザインをのうのうと逃すはずはないので、いつかは死ぬだろうが……もう少しの時間は、一緒にいられるかもしれない。


「見殺しにしてもいいのか」


「……どちらにしても、生きられないなら」


「少し、考えさせてくれ」


「……うん」


 ユツキはミコトの手を離し、立ち上がって外に出る。


「……大丈夫?」


「ああ、大丈夫だ。 ……文化祭の準備でもするか。 部屋に何か画材を取ってくる。 場所を使うなら、屋上でいいか」


「……何作ればいいか、聞いてくるね。 迎えに行くから」


 逃げてもいいのだろうか。 逃げてしまえば、それの方がよほど幸せかもしれないと、ユツキは歩きながら考えた。

 多少の瑣末ごとはあるだろうが、まだ生きることが出来、美味いものを食うことも出来れば、まだ上手く出来ない絵を描くことも上達するだろう、笑うことも上手く出来るかもしれない。


 何よりも、ミコトを殺さずに済む。 あるいは別の誰かに殺されずに。

 自室の前に来てドアノブに手を触れた時に、大きな音が聞こえて手を離して身構える。


 ユツキが少し落ち着いてみれば、隣の部屋から楽器の音が鳴っているだけであることに気がつく。


 あまり上手いものではないが、自分の部屋に入って音を聞こえにくくするには惜しいようにユツキは思う。


 どうせ画材を取るのに時間がかかるわけもなく、ミコトの来訪を無駄に待つことになるだけだ。


 しばらく楽器の音を聞いていれば、音が止んで隣の部屋の扉が開いた。


「うお、ユツキか。 部屋の前で何してんだ?」


「カケル、お前、楽器を弾けたんだな。 まぁ、金持ちの子供は教養に習うことが多いと聞いたが」


「いやいや、そういうのはこんなギターとかじゃなくて、ピアノとかバイオリンとかじゃねえの? これはただ俺が好きでやっているだけだ」


 好きでという言葉にユツキは顔を顰める。


「意味がないだろ。 お前は運動能力が高いのだから、そちらに集中した方がいい。 それが仕事になるわけでもないんだしな」


 ユツキの言葉にカケルはへらへらと笑う。


「いや、これでもプロ目指してるからな。 親とは喧嘩になるかもしれないけど、どっちかに集中してやるならこっちだ」


「……正気か? 成功が約束されているだろう」


「俺にとっての成功はそれじゃねえからな。 そんなのより、今度文化祭でバンドやるのが重要だ。 ユツキも見に来いよ」


 カケルは階下にある自動販売機に飲み物を買いに行くらしく、手を振って廊下を歩いていく。

 自室に戻って画材を取り出したところでミコトがノックする音が聞こえて外に出る。


「……シャル先生が、今なら教えてくれるって」


「教わりながらか。 まぁそちらの方がいいか」


 ユツキもミコトも絵を描き始めたのは最近のことで、大した画力が求められているわけではなく単純に劇の登場人物をやりたがらないから割り振られただけのものだ。


 それほど丁寧にする必要もなかったが、指導を断る意味もなかった。

 ユツキはクラスメイトからも大根役者の棒演技しか出来ないだろうと思われており、ミコトも声が小さい棒演技しか出来ないと思われていた。


 それは二人も頷く事実であり、棒演技で劇を棒に振るのはクラスメイトだけではなく、ユツキやミコトにしても勘弁願いたいものだ。


 初夏の暑さに顔を顰めながら二人で学校へと歩き、薄着になっている女子生徒を見て鼻の下を伸ばしているユツキの手の甲を、ミコトは小さな力でつねる。


「なんだ。 つねって」


「……べつに、なんでもない」


「ならするなよ」


 それも尤もだとミコトは思い、自分の行動に苦笑する。


「……嫉妬しちゃったから、つねっちゃった」


「馬鹿が、始めからそう言え」


 ユツキはそれだけ言って不機嫌そうに歩いて行くが、学校に近づいて女子生徒が増えていくが、短いスカートや袖に注目することもなく進む。


 そんなことを気にする義理はないだろう。 付き合ってもいないのだから、とミコトは自分が言っておきながらも思った。


 それでも嬉しかったのか、微かに不機嫌そうな表情はなくなり、小さく微笑んでいるようにも見える。 表情が小さすぎてじっと見つめても分からない程度ではあるが。


「……ユツキくんは案外、普通」


「何の話だ」


「……常識がないだけの、普通の人だと、思う」


「お前は普通の範囲が広すぎる」


「……だって、そういう風に生まれて、そんな感じに育てば、そうなる……と思う」


 だから、普通。 そう言って学校を見ながら微笑んだミコトに、ユツキは珍しいミコトの無表情ではない横顔に見惚れる。


 そんな表情が出来るのならば始めからしておけば良いのに、とユツキは微笑みを向けられたのが自分でないことを不満に思いながら考える。


「生まれと育ちが人の全てだろう。 ……生まれという言葉も、育ちという言葉も範囲が広すぎるせいだが」


「……そうかも」


「お前の理屈だと、全員が普通だ」


「……間違ってる、の……かな?」


 どうなのだろうかと、ユツキは考える。 人は遺伝子という設計図を元に発生する。


 親や、それに準じたものに食事を与えられ、たまたま会った者や物に影響されて育つ。


 何かを自分で決めるとしても、自分では選ぶことの出来ない遺伝子と育った環境を元にして決められる。 言ってしまえば、「自分で選択する」というのは、どうやってもあり得ない。


 もっと言えば、原子や、もっと小さい陽子や電子、中性子……あるいは光など、ありとあらゆるモノは決まった振る舞いをする。


 その決まった動きをするモノの塊により世界が出来ており、当然唐突に法則が乱れるなどということはない。

 だから、「変」というものは突き詰めては存在しておらず、会って当然のものでしかない。


「間違っているとは言えないな」


「……じゃあ、ユツキくんは、普通の男の子、だね。 すごく不器用で、結構ぶっきらぼうで、かなり頑張り屋さんの、とっても優しい、普通の」


 ミコトの言葉を聞いて、ユツキは自分の考えた結論とは真逆のことを語った。


「お前は、変なやつだな」


 美術室の前にきたミコトはくすくすと笑う。


「……「変」なんてないって、話したばっかりなのに」


 そうだったらいいと、ユツキは思っただけだ。

 先程の結論を認めれば、見えもしない運命が全てを決めているようで気分が悪い。

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