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生きる意味≠生きること-5-


 返してしまおうと思って、友達の部屋に向かってノックをする。


「はーい、おっ、みこちゃんどうしたの?」


「……本、返しに」


「読むの早いね。 あれ、本は?」


「……あっ……忘れた」


 ミコトは自分の間抜けさに驚愕し、友達は笑いながらミコトを招き入れた。


 ユツキのベッドに占領されたおかしな間取りの部屋とも、ミコトの小綺麗に片付いた部屋とも違う、可愛らしい小物が散らかされている部屋だ。


 ミコトはぬいぐるみの一つに目を奪われながら、用意された麦茶に口を付ける。


「あれでしょ、真寺くんとの相性が微妙だったから、ショックで忘れたんでしょ」


「……違う」


 とりあえず否定したけれど、それが信じてもらえるとはミコト自身も思っていなかった。

 こくこくと麦茶を飲んで、友達の方へと目を向ける。


「……本当に、違うよ。 ミナちゃん」


「はいはい。 私も彼氏ほしいなぁ、彼ピッピ」


「……付き合っても、ない」


「いや、割とごつい人の方が好きだから、彼ピッピより彼ゴッゴの方が……」


 噛み合わない会話に苦笑していると、ミナはやれやれと首を振りながらミコトの方を見る。


「まぁ、みこちゃんにはまだ難しいかもね。 恋愛っていうものは」


「……そんなこと」


 恋人がいたことがなく、特に好きな人も好かれた経験もないミナは、わざとらしいため息を吐きながら口を開く。


「あれだよみこちゃん、一緒にいたいって思ってるでしょ? それで、他の人と話してるのを見るのも嫌でしょ?」


「……うん」


 ミコトも普段から友達の恋愛を指南しているミナが経験がないとは、まさか思うはずもなく、誤魔化せないかと頷いた。


「それで笑ってると嬉しいってなると、それはもう完全に恋だね。 あとは自覚するだけだよ。 応援してるからね!」


「……応援されても、困る」


 それから文化祭やゴールデンウィークの話、誰と誰が交際しているという話を一方的に聞いたあと、ミコトは味噌汁をユツキに届けるために部屋に戻った。


 作っている途中で蓋をしていた物を仕上げて、いつものように水筒に詰める。


「……知ってるよ」


 まだほんの少しいつもより早く、ミコトは時計を見ながら小さくため息を吐き出した。


「……言われなくても、分かってる」


 いつのまにか分からないけど、好きになっていた。 恋愛などしたことがあるはずもないけれど、これが噂に聞く恋心であることは分かる。


 好きになった理由は分からなかった。 守ってくれたからかもしれない。

 一度目ではなく、二度目に助けに来てくれたとき。


 その救出が任務に必要ではなかったことは、聞いてはいなくとも、状況を思えば簡単に想像が付いた。


 あれほど悪態を言っていたのに守りに来てくれたことは非常に嬉しかった。


 けれど……それは理由とは、なんとなく違うように思う。

 もしも、好きになったことに理由を付けるとすれば、酷く、悪く、辛いことを言っていたからかもしれない。


 何にせよ、理由などに意味はなかった。 どのような思いがあれど、いかな理由があろうとも、恋慕の情をユツキに言うことは出来ない。


 知ればユツキは、自分を殺しにくくなるだろう。 それでも殺すだろう。 そして、深く傷つくだろう。


 絶望で、死なせたくはない。 何も対抗出来ないなら、せめて、幸せにはなれずとも不幸になれず死んでほしいと思った。


 ミコトは水筒を持ってユツキの部屋へと歩き、ドアをノックして返事を待つが、声が聞こえることがなかったのでドアノブを回してみると、鍵がかかっていなかったらしく簡単に開く。

 今はいないのかと思って中を覗き込むと、黙々と集中して絵を描いているユツキの姿があった。


 邪魔をしては悪いかと思ってドアを閉めようとしたとき、ユツキの目がミコトの方に向く。


「ああ、ミコトか」


「……うん」


 結局邪魔をしてしまったと思いながらユツキのとなりに向かって、ぺたりと床に座り込む。


「……絵、描いてたの?」


「ああ、一応な」


 当初より遥かにマシになってはいるけれど、上手いとは言い難い絵だった。


 その絵を見て、ユツキの努力を思い、ミコトは思わず声を普段よりも大きくして話す。


「……ユツキくんは、生きてほしい」


 自分は何を言っているのか、とミコトは思いながらも続ける。


「……ユツキくんは、逃げれる。 強いし、速いから、ここから離れて、暮らしたら。 追ってくることは、ないって思う」


「何を馬鹿な。 俺がいなくとも他のやつが殺すだけだ」


「……分かってる。 でも、逃げて」


 利己主義だ。 ユツキが嫌悪していた、自分が大切にしているものだけ優遇しようとする卑怯な行いだ。

 あのときは、多少はユツキに同意していたけれど、自分がその立場になれば簡単に意見など変わってしまう。


 大切な人には、何があろうと幸せに生きていてほしい。


「お前が何を言いたいのかが分からない」


「……ごめん、なさい。 お味噌汁作ってきたから」


 ユツキにはその想いは通じない。 そもそもが生きることや死ぬことに価値を見出していないのだから、伝わるはずもなかった。


 死ぬように育てられているのだから、長く生きるように生まれたミコトの言葉は遠すぎた。


「ああ、ありがとう」


 ユツキはいつものようにそれを口に含み、ため息を吐き出した。


「美味いな。 ……美味い、多分」


 ユツキが初めて「美味い」と口にしたことに目を丸くしたミコトは、そのことに言及はせずに日記に書き込むことを決める。


 ユツキが描いていた途中の絵を見ると、竜のようなナメクジのような、あるいは百足のような、あるいは何物にも似ていない妙な長い生物が描かれていた。


「……何の、生き物の、絵?」


「知らない。 特に生物というわけでもない」


「……そっか」


「暇つぶしに描いているだけだ。 時間がかかるから都合がいい」


 暇つぶしというけれど、おかしな話だ。 それほど時間に余裕があるはずもなく、その言葉が嘘であることはミコトには見破ることが出来た。


「そういえば」


 と、ユツキは味噌汁を飲みながらミコトの目を見て、すぐに目線を逸らす。

 ミコトは彼から話を広げることが珍しいと思いながら、少しはにかみ耳を傾ける。


「連休の間はどうするつもりなんだ」


「……聞くの、遅くない? 明日からだよ」


「軽率な行動はしないだろうから、あまり確かめる必要はないかと思っていた」


「……家に帰るか、迷ってる」


「帰ればいいだろ。 学校に通うことがないなら、家に篭っていた方が安全だ」


「……ユツキくんの、ご飯」


「それならあれがある。 そもそも栄養はあれで取っているから問題ない」


 ユツキにとって、味噌汁はあくまでも酒やタバコと同様の嗜好品という感覚である。

 別にインスタントでも問題がないと、部屋の横に積み重ねられているインスタント味噌汁のダンボールに目を向けた。


「親と会う最後になるかもしれない。 だから帰った方がいい」


 珍しく、優しい言葉だとミコトは思った。 他の人が聞けば悪態に聞こえたかもしれないが、ユツキは、口は悪いが素直なものであることをミコトは知っていた。


「……ユツキくんは、どうするの?」


 だからこそ、ミコトの顔は顰められた。


「俺に会うような親がいると思うか」


「……いないの?」


「会ったことはないな。 ……そもそも、それも親と呼べるかは分からないが」


 ユツキが「それ」と言ったのは、彼の親と呼ぶのに最も近しいものだっただろうが、どうにもそうは思えないらしい。


「……デザインでも、結構な血縁関係はある。 それに、お腹から産まれたんだから……」


「なら、俺に親はいない。 そもそも会ったこともないから、いたとしても意味はないが」


 そう吐き捨てたユツキは、でかいベッドに寝転がる。


「……寝るの?」


「ああ、さっき睡眠薬を飲んだからな」


 ミコトは睡眠薬という言葉にほんの少しの忌避感を覚えた。 普通の人間が飲んでいても気にしないだろうが、ユツキは普段から謎の完全栄養食品で腹を満たしていたりと異様な生活をしている。


 それに加えて出所の怪しい薬を飲んでいたら、不安にもなるだろう。


「……ゴールデン、ウィークは……どうする、の?」


「適当に寮に残っている奴から情報でも集める」


 ミコトは頷いて、家に帰らないことを決める。 死んでしまうユツキを一人にさせたくはないと思ったからだ。

 ユツキは眠りそうになりながらミコトに言う。


「俺を殺してもいいからな」


「……おやすみ」


 ミコトは仕方なさそうにユツキを見て、彼が散らかしていたペンなどを纏めていく。


 彼の描いていた絵を見て、ぐちゃぐちゃだと思う。 技術は上手くなっているけれど、纏まりがない。


 元来、ユツキは何をしても優秀なのだろうけれど、その性能に反して絵は下手だった。 技術の問題ではなく、表現する力に欠けているからだろう。


 そういうことをする必要がなかったからだ。 自分で考える必要がなく生きてきたから、自分で考えて表現することは苦手らしい。


 せめて、自分が一緒にいてあげたいと思い、けれど自分が死ぬことでユツキには傷ついてほしくないとも思う。


「……本当に」


 殺した方が、彼にとってマシなのではないかと思ってしまう。

 もちろん、そんなことをするつもりは露ほどもない。 ただ自分の無力さを呪うばかりだ。

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